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統治術・統治能力

とうちじゅつ Art of Governance;とうちのうりょく governability

池田光穂

統治術(art of governance)とは、対象[object]を支配する[dominate through subjectification]技術/技法のことである。

フーコー(特に後期の)によれば、統治術 はヨーロッパにおいて、当初、君主がそれを身につけるものとして出発したが、やがて、人々が自らの対象 を支配する方法として拡張されて使われるようになったという(→ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』とは趣向を異にする)。もちろ ん、それは概念と適応範囲の単純な拡張ではなく、統治という概念と、人々の統治の対象 の概念、およびそれらを規定するような社会の変化と相互に関連するものの結果である。

統治術は、フーコーの生−権力(bio-power)の概念と関連しなが ら、より洗練された形に結実する。

"Governmentality is a term coined by philosopher Michel Foucault, and refers to the way in which the state exercises control over, or governs, the body of its populace. Governmentality also refers to the way in which people are taught to govern themselves, shifting power from a center authority, like a state or institution, and dispersing it among a population. Govermentality can therefore be understood as how conduct is shaped, making "the art of governing" and embodied experience. According to Foucault, governmentality allows for the creation of “docile bodies” to be used in modern economic and political institutions[1] " - Governmentality by Medicanth.

フーコー以降に見られる〈統治術〉概念の 多元化については、以下の7つ程度の使い分けがあるようなので、注意が必要である。

現代の様々な統治術

★統治術を駆使する統治能力そのものを主題化する議論が統治性(Governmentality)である。

統治性あるいはガバメンタリティ(governmentality)は、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが晩年、1977年から1984年に亡くなる までの間に、特 にこの時期にコレージュ・ド・フランスで行った講義の中で初めて提唱した概念である。 ガバメンタリティは次のように理解される:(1) 主体が統治される組織化された実践(精神性、合理性、技術)。 また、ガバメンタリティは次のようにも理解される:(2) 「統治術」、すなわち 統治の「方法」(すなわち、われわれがどのように振る舞い、行動するかを指示する計算された手段)。(3) 「政府の合理性」 ミシェル・フーコーが、古代ギリシアから始まり近代、新自由主義に至る時代を包含する歴史的再構成によって提供する分析の「指針」。そして(4) 「社会を統治可能なものにする技術と戦略」である。 最良の統治を行うための理性的な方法であり、同時に可能な限り最良の統治方法についての考察」(→統治性あるいはガバメンタリティ)。

 統治性と生権力論の関係(→生権力 論※作図が見えにくい時は画像 をクリックしてください

 多層化(マルチレイヤー化した)権力概念※作図が見 えにくい時は画像をクリックしてください

◆リンク集

◆文献(Governmentality by Medicanth.)より借用

◆その他の情報


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