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近代医療はどこから始まるのか

Thinking Medcine & Culture: Notes for a Intellectual History of the Modern Medicine

A short history of medicine / by Charles Singer and E. Ashworth Underwood, 2nd ed. - Oxford [England] : Clarendon Press. - New York : Oxford University Press , 1962

池田光穂

医療や医学という言葉は翻訳語です。しかし外来のものが翻訳される以前や以後にも、医薬の取り扱いや治療のための技術に長けた人——すな わち「治療者」——や、その人たちが担う技術体系——すなわち「医術」や「医療」——をさす固有で独特の名前が、多くの社会には準備されています。西洋で 中心的に発達してきた近代医療が、それまで普及していなかった社会に導入されると、それに対する翻訳語がすぐにできあがります。また近代医療は、いろいろ な社会への導入直後には大きな問題を引き起こしたことがあるものの、社会に完全に適応できなかったものはありません。つまり、近代医療は、それが実際に使 えるか否かは別にして、世界の多くの人たちにとって、まさに病気を治療する技術や、あるいは実践体系として認知されています。    

私の最初の疑問は、このような近代医療はいつごろ認知されるようになったのか、ということです。我々がそうであると思っているところの「近 代医療」はいったい、いつ頃からあるのだろうか、という問いを立てることにします。    

ところが、この問いに明確に答られる人はいません。まず、科学の社会史やトマス・クーンの科学革命についての議論に馴染んだ研究者なら、近 代医療がある限られた特定の時点から一斉に成立するという議論に関心がないでしょう。また、そのような問いをおこなうこと自体が有害でナンセンスだと片づ けられるかもしれません。そして、このようなことは、論理上のことだけでなく、具体的な歴史の中でどのような時代にそれが可能であったのかという問いを立 てることで、逆にその正確な答を得ることが不可能なことがわかります。    

実例をあげてみましょう。近代医療の出発点と主張される医学上の発見やその歴史的事象については、多くを指摘することができます。医学理論 に注目すると、古くは血液循環を発見したウィリアム・ハーヴェイ(1578-1657)、臨床現場における観察を重視し今日的な病気観察の類型論を確立し たトマス・シデナム(1624-1689)、30歳で夭折するまでに精力的な病理解剖をおこなった組織解剖学の祖マリ・フランソワ・ビシャ(1771- 1802)、実験にもとづく生理学の基礎づけをおこなったクロード・ベルナール(1813-1878)、実験医学の基礎をつくったルイ・パスツール (1822-1895)、パスツールとならび細菌学の祖とされるロベルト・コッホ(1843-1910)まで、その科学的認識の始祖とされる人たちの活躍 にはおよそ四世紀の広がりがあります。また、近代医療を典型的な近代制度と見立てて、社会統制のシステムであるとみると「医療警察」制度を考案したヨハ ン・ペーター・フランク(1785-1821)、イギリスの衛生改革運動の強力な推進者であり公衆衛生法と行政機関としての保健局の設置に貢献したエド ウィン・チャドウィック(1800-1890)などが、まさに近代医療の確立者であると言えなくはありません。    

近代医療を今日のようなシステム化された科学的知識とその技術的外挿と考えると、そのモデルは新大陸の北アメリカに求められ、定番となる医 学教科書をつくったウィリアム・オスラー(1849-1919)やジョンズ・ホプキンス大学設立の功績者であるウィリアム・ヘンリー・ウェルチ(1850 -1934)、医療の定式化をロックフェラー財団の全面的な援助をバックに制度改革として精力的に推し進め、世界の最高水準にまで高めたサイモン・フレク スナー(1863-1946)の名前を忘れるわけにはまいりません。これ以外にも、いろいろな近代医療の始祖を探し出すことが可能です。

近代医学のルーツをめぐる400年の広がり

(1)医学理論

(2)近代医療制度

(3)近代医学教育

このように、ざっと見ても約400年間の幅があるわけですから、近代医学のある特定の出発時点を定めること、それ自体には大いなる意味がな いことは明らかです。

■クレジット:日本消化器病学会、特別講演2「医療人類学の観点から」2003 年4月25日(金)15:10-15:50  於:さいたまスーパーアリーナ アリーナーホール

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