近代病院のなかの伝統的「死」
Terminal Care and Informed Concent for "fatal illness" patient until 1990s in Japan
1.はじめに
ターミナルケアを考える際に、患者の心理的・社会的な視点、さらには、その文化的な観点から理解することはますます重要になってきた。
しかしながら、患者の社会的・文化的観点に対する人びとの関心は高まってはきたが、それは現在までのところ、理念としての議論に留まっており、 具体性に富んだ実証的研究は少ない。わが国において、医療の現場における文化人類学のフィールドワークは、まだ端緒についたばかりであり、将来の成果に期 待がかけられている★(1)。
実証的な調査研究は将来に期すこととして、本稿では文献的な資料をもとに、伝統的な死に関する観念について現在までに論じられたことを整理し、 さらに病院医療において末期患者の「死」というものが、人びとの認知と行動から、どのようにとらえられているか、ということを考察する。
2.伝統的な「死に関する観念」
まず、伝統的な日本人の「死に関する観念」について、現在までに明らかにされたことについて整理してみよう。
2.1 神話および民間信仰
日本神話である『古事記』のなかで、イザナギがその妻であるイザナミの死後、彼女を追って“死後の世界である”黄泉国に訪問するが、最後には妻 を捨てこの世に帰還するという物語は、古代の人びとの死についての観念を知るための手がかりを与えている。波平(1985:65-73)は、その物語に表 わされた死の観念が、現在においても、ひろく民間信仰のなかに見られるとして、それを次の6つの特徴にまとめている。
A.死者を弔う儀礼が、一定の順序を追って遂行されるように、死というものは段階的に訪れる。
B.遺体の腐敗をもって、その死が決定的になる。
C.死者儀礼などを観察すると、死者に対して相反する二つの考え方がうかがえる。ひとつは、死者の再生を願う観念であり、別のひとつは死別を決定的な契機とみなし死者の再生を拒絶する観念である。
D.死者が向かう死後の世界(=黄泉国)は、生者にとって「ケガレ」★(2)た場所である。このことから、死には常に「ケガレ」という負(マイナス)のイメージが付与される。
E.“禊ぎ”や“清め”にみられるように、死の「ケガレ」は、さまざまな儀礼を経ることによって段階的に取り去られる。
F.死の「ケガレ」を取り去ると考えられている“禊ぎ”などの儀礼は、死とは関係しない局面でも観察されるが、その際には安全や豊穣をもたらすための儀礼のように積極的に“意味づけ”られている。
死について観念は、さらに「遺体」の取り扱いに関する慣習や信仰という別の面からも補強される。航空機事故での遺族の行動や情緒を分析した波平 (1988)や、日本史から死骸の観念を論じた勝俣(1984)らの議論によると、遺体・死骸の観念に関しては、およそ次のようにまとめられる。
G.死後、霊魂が肉体からすぐに抜け出でゆくのではなく、霊魂と肉体がつかず離れずといった時期が長く続く。すなわち、霊魂と肉体の区別があいまいである。
H.死骸は霊魂が抜け去ったものであるという考え方と同時に、死骸にもなんらかの意志があり、死後も生者に対して拘束力をもつという考えもある。
I.遺体のみらず肉体に対する物理的な侵襲、すなわち遺体の損傷、身体への傷害を嫌う傾向がある。
J.同様に、遺体が公に曝されることも嫌われ、身近な人にのみ見守られることが期待されている。これは、患者が「末期」を迎える際の家族の見守りにもに見られる。
よく知られているように、中世以降わが国では祖先崇拝の慣習が仏教と習合し、現在まで至っている。すなわち、仏教の正統的な教義では「祖先」が 崇拝対象になることはないが、わが国では、古来の祖霊信仰と結びついて祖先の霊が、仏教的な儀礼をもって崇拝されるのである。このことは、日本人の遺骨や 遺品に対する感情が、ひときわ強力なものであり、墓参や遺骨・遺品収集に重きをおく行動にも反映されていると言えよう。
2.2 死生観
死に対する観念は、また、生きている者の行動や感情、とくにその道徳観にも影響を与えている。死を意識して、日常の道徳が形成されることは、わが国に限ったことではないが、特に日本ではそのような意識を「死生観」と呼んでおり、古くから人びとの関心事となっている。
近代の日本人のうち、とくに6人のエリートの死生観を分析した加藤ら(1977下:208)は、そこにみられる態度を、(1)共同体における出 来事として死を迎えること、(2)死そのものへ親密さ、(3)死に対して強力に介在する――絶対神などの――存在が意識されていないこと、のなかに見てい る。さらに、加藤自身は、日本人に見られるより一般的な特徴として、次の5点の死生観を列挙する(1977下:209-216)。すなわち、
K.「家族、血縁共同体、あるいはムラ共同体」とは、生者のみならず死者をも含んでいる。
L.それらの共同体のなかで「よい死に方をする」ことが重要である。
M.死が哲学的なイメージにおいて語られるとき、死者はその宇宙のなかに入ってゆき、そこに留まり次第に融けながら拡散してゆくと考えられる。
N.死の宇宙的なイメージにおいて、個人差は次第に消失してゆくものである、とみなされる。
O.感情的にその宇宙の秩序を受け入れると同時に、また知的にも自然の秩序を受け入れる。その際、それらは「あきらめ」という感情をもっておこなわれる。
エリートと大衆における死生観はその底では一致しており、大衆においては「あきらめ」を受容することが理想とされているが、エリートにおいては自己を積極的に抑制し、それを転化することが重要とみなされた、と加藤はつけ加えている。
また相良(1988)によると、このような「あきらめ」の受容が積極的な評価に転化し、審美的な高みにまで到ったのが、武士道で言われる「覚 悟」である、と言う。他者に迷惑をかけることなく静かに死んでゆくという「ぽっくり信仰」に、死を引き受ける「覚悟」という観念を直接見ることは難しい が、「潔さ」という死に方に美意識をもつという点では、エリートも大衆も共通していると言えよう。(江戸時代の俳人である小林一茶は、それらの死の受容に ついての感情を「ぽっくりと死ぬが上手な仏哉」という句のなかに的確に表現している。)
以上、AからOまでいくつかの「死に関する観念」の項目を挙げてみた。これらの考え方は、必ずしも相互に論理的な連関をもっているというわけではないが、死に関する全体的なイメージを形成するのに欠かせないものとなっている。
2.3 「死に関する観念」の多様化
しかしながら、現代、生活様式の変化にともなって、このような観念の一部ないしは全部が“変容”しつつあることも、よく知られている。その端的 な例として、臓器移植に対する人びとの態度がある。すなわち、移植に反発する人びとがいる一方で、それとは対極的に、移植を受容する人びとも存在してい る。そして、かれらは同じ社会に住み、同じ文化を共有しているのである。臓器移植は、伝統的と見なされる遺体観から見れば、“好ましくない”ことと見なさ れようが、そのような遺体観を重要視しない人びとはおり、現在においては決して少数派ではない★(3)
このような現象は、日本人の遺体観において波平(1988)が指摘したように、死に関する観念は大きな幅をもった広がりの中で多様化している、 と理解することができる。ただ、ここで注意しなければならないことは、その多様な広がりが、必ずしも“個人の行動の主体的選択”の多様性とは見なされてい ないことである。すなわち、ある特定の個人が、自己の「葬儀」や「埋葬」について語ったり、その方法について、“自分が決定する”という意味で、意見や様 式が多様化しているわけではないということである。死んだ後の“処遇”という観点からみれば、むしろ、それらは一様化しているのが現状である。
葬儀や埋葬に関して、個人が生前に口を挟むことが少ないのはなぜだろう?
まず、第一の理由として、“死”について語ることを好ましくないとする観念があげられる。わが国では死について語ることをタブーと見なし、生前 に“自分の死”について語ることを“不吉”とする(これは先に述べた項目D.に関連する)。とくに、末期の病者を取り囲む状況において、死について語るこ とも聞くことにも強い否定的な感情が人びとに起こるが、同様に、比較的軽微な病気で入院している患者に対しても、同じようなタブー意識が認められる。
次に、わが国では、死後の自己に関する事柄を生前に決定できるという権利意識が希薄であり、またそのような習慣も少ないことも挙げられる。これ は、日本における遺言の慣行を欧米のそれと比較することで容易に理解できよう。本人の“生前の意志”があいまいなまま、近代的なエージェントである「葬儀 屋」の指導のもとに“伝統的な形態を残している葬式”が執り行われる現在の状況★(4)は、とくに変えるべき事由がないということで、伝統的な儀式が温存 されたままになるという“古典的スタイルの残存と継承”という他の社会現象と同じような側面を有している。
3.死生観の今日的課題
3.1 告知をしないこと ※注意:このトレンドは1990年ごろまでの日本についての情報です!
少なくとも過去30年間、現在にいたるまで、がんの病名は罹患している患者本人には告げられず治療が遂行されることが多い。このことは、半ば公 然化されており、医療専門職のみならず、ひろく一般の人びとにも知られている★(5)。これは、“死を目前にした末期患者を手厚く看とる”ということを中 心的な理念として掲げているホスピスケアにおいても同様である★(6)。
“告知しない伝統”を作りあげ、それを守り続けてきたのは、医師を中心とする医療スタッフであり、ひいては制度的、理念的に彼らを 支えてきた日本の臨床医学教育であることは言うまでもない。だが、それだけではない。近代医療を利用してきた患者やその家族にも“告知しない伝統”が受容 されてきたし、それに適応していることも認められる。
患者およびその家族が“告知しない伝統”に、どのように対処しているかという問題は、3.4「偽りの三角形」において、後に触れるとして、ここでは、病院医療のなかで最も大きな決定権をもつ医師に焦点をあて、日本における“告知しない伝統”について考えてみよう。
病名を告知しない理由として、医師がまず最初に挙げるのは、「告知した患者の心理状態を気遣う」ことである。すなわち、予後が不良であろうと推 察される患者が、そのことを告知されると、「自暴自棄になったり」、「精神的に落ち込んで」しまったりするために、「十分な治療効果が望めない」という説 明を医師はおこなう。
この説明から、医師の治療には、たんに身体的な治療が含まれるだけではなく、患者の心理的状態をも考慮しなければならないと「医師が考えてい る」と、まず解釈することができる。しかし、告知することを消極的に否定する表現からは、むしろ、患者の心理的な状態を掻き乱すことによって、身体的な治 療が妨げられる可能性があり、あえてリスクの大きい告知をおこなわない、と読みとることもできる。そして、「告知しないこと」が妥当かどうかの判定は、最 終的に医師の経験に帰されやすい。そのため他の医師の裁量を侵害する危険性がある「告知是非論」が、医師集団の内部で自発的に議論されにくい。
実際、医師を対象として“告知に対する態度”のアンケート調査をおこなっていた大井(1989)は、時には、その質問の真意を対象者から誤解さ れ、一部の医師たちからは“告知しない状況に対して異議や疑問を唱えることそれ自体が医師集団に対する裏切り”と見なされたという経験を報告している。こ のことからも、「告知しない」ことが自明のものとされ、同時に「告知すること」への医師の感情的反発があることも示唆されるのである。
また、わが国においては「告知すること」は間接的に患者の“死”を宣告すると解釈され得るので、医師にとって告知は過重なストレスに感じられる ことも事実である。したがって、そのようなストレスを感じる状況をつくり出したくない医師の心境は、想像するに難くない。このような心理的葛藤は、わが国 の医療者のみに限られない。北米では、1960年代末期から1970年代初期までに、告知することが急速に慣例化されたが、その時期以降、今日にいたるま で“患者にとって悪い情報を告知する”ことは、医師に対して“気の進まない”心理的負担のかかるものである、という。例えば、カナダにおいて、乳がんを専 門に取り扱っている診療室に勤務する医師は、次のような告白をしている。
「私は本当にこの部分の仕事(悪性の乳ガンであることを告知すること;引用者)を呪っています。いつも・・ひどく辛いものだと感じます・・一度 だって簡単だと思ったことはありません。(中略)・・そして私は、自分たちの命について考えている患者たちに対して、彼らが私の手の内にあるのだというこ とを、常に彼らに教えてやろうとしているのではありません。どのようにそれを取り扱えばよいのでしょう。私はそれ(=告知;引用者)をすることが嫌いで す・・だけどそれを避けることはできないのです!」★(7)
告知するか、しないかは一般論として成立しないという観点から、「原則論として告知することは薦められない」という医師の指摘もある。つまり、
告知には「治療効果を減じる」ようなケースとそうでないものがあり、「患者の性格や、その患者がおかれている状況からケース・バイ・ケースに対処しなけれ
ばならない」というものである。したがって、この場合、一般論としての告知には、告知がマイナスに作用するという患者がいることを考慮しなけばならないと
いう、消極的な理由から告知に対して反対――あるいは疑問を提示――しているのである。
以上は、臨床の現場に直接にかかわっている医療者からの発言であることが多い。しかし、これ以外の外的な要因で説明されることもある。すなわち、告知しな
い行動が、たんに医療者の内的な判断によってのみ決まるのではなく、医療者と患者を取りまく社会的・文化的な構造的要因によっても決定されていると考え
る。
たとえば米国の社会学者フリードソンは、医師の権威はもともと医学的知識を秘義的に取り扱うことに由来しており、情報を制限しコントロールする ことによって医師にふりかかる“評価”や“批判”から逃れようとする、と述べている(Freidson,1970:127)。この観点からは、もともと医 師が、それ以外の医療者、患者、ならびに患者の家族に対して、患者の情報を独占する傾向があるために、がん告知においても、その特性が現われたものである と説明することが可能になる。
3.2 告知しないことのメリット・デメリット
現在のわが国と同様、予後の不良な患者自身に対して「告知しないこと」が一般的であった1960年代の米国において、グレイザーとストラウス (邦訳1988)は、末期患者についての情報管理をめぐる医療スタッフと患者(およびその家族)の相互作用について社会学的な分析を試みた。彼らは、その 理論的な枠組みとして「気づき(awareness)」 ★(8)という概念を用いた。すなわち、ある人が、患者の末期状態についてどの程度「気づいて」いるか、あるいはその人自身が「特定の第三者が、どこまで それについて『気づいて』いるか?」と憶測することができるか、について、現場で観察する者が明確に把握していることが重要であるという。そして、彼らは 告知をめぐって、およそ次の4つの状況ができうることを提示した。
(1)「閉じられた気づき」:患者が末期であることを医療スタッフだけが知っており、患者自身は気づいていない。
(2)「疑いの気づき」:患者自身が末期であると疑っているが、医療スタッフはそのようなそぶりを見せなかったり、それを否定する。これは、患 者が疑っていることを医療スタッフが知らないという(2)a.「閉じられた疑い」と、患者が積極的に自己の状態などを質問したりすることなどから、“患者 が疑っている”ことに医療スタッフが気づいている(2)b.「オープンな疑い」に、さらに二分される。
(3)「相互に偽った気づき」:医療スタッフと患者、双方ともに死期が迫ったことを気づいてはいるが、お互いに知らないかのようなそぶりを見せつける状況である。
(4)「オープンになった気づき」:いわゆる患者に告知された状態をさすが、その情報の伝達や理解の程度には、大きなばらつき――あいまいさ――があるもの。
グレイザーらの研究を検討するかぎり、不治の病気を告知せず情報を周囲のみで管理すること(彼らの用語では「閉じられた気づき」)は、以下のような点で患者管理の確実性が低いものとなるように思われる。
すなわち、患者に関する秘密を医療者は常に管理しておかねばならない。これは、患者の情報管理という点からも、患者の心理的状態の変化を予測す るという、心理的な管理という点からも不確実である。なぜなら、情報の管理がうまくいけば、医療スタッフはスムースに患者に対処できるが、隠されていた情 報が暴露されたり、患者本人が疑いを抱くといった、その状況に亀裂が少しでも入る事態が生ずれば、スタッフがとるべき対処行動は著しく変化し、ケース・バ イ・ケースで対処することを余儀なくさせるからである。そして、このことはさらに、医療者のみならず、患者やその家族への心理的負担を必然的に招くからで ある。
しかしながら、このように「閉じられた気づき」がシステムとして不安定だとしても、そのような状況が、わが国では存続しているという事実がある 限り、「閉じられた気づき」がシステムとして安定する要因を見つけて説明しておかねばならない。例えば「告知しないこと」を比較的安定な方向へ導くものと して、グレイザーらも指摘(1988:84)しているように、「文化的同質性」ということが挙げられる。すなわち、文化的に同質な傾向をもつ社会では、文 化的に多様性のある社会に比べて、死にゆく人びとの処遇の規範というものは画一化されやすく、患者および患者の家族と病院の医療スタッフとの食い違いが少 ないだろうと、いうものである。
日米における状況を比較してみよう。異なる民族集団が共存する米国では個々の民族の「死に関する観念」の多様性は、日本におけるそれに比べて著 しく大きいと言える。そのために、日本に見られるような「思いやり」や「暗黙の了解」が、人のあいだのコミュニケーションとして成立することは、民族集団 における多数の価値観が錯綜する米国ではほとんど想像すらつかない。また、1960年代半ば以降、米国では患者の権利運動の向上や医事訴訟が急増したため に、「告知をオープン」にしてトラブルを回避しようという医療者側の戦略が、契約を全面に出す米国の状況にマッチしたと考えることもできる。
以上のことをまとめると、わが国おける「告知しない伝統」には、伝統的な死生観、医療者のストレスの回避、医師の権力に由来するもの、文化その ものの同質性、患者の権利意識や法的な拘束の欠如、などがその理由として列挙することができる。だが、これらの要因は、個々に独立して機能しているのだろ うか?、あるいは相互に作用を及ぼしてそのような「文化的伝統」を形成しているのであろうか? 次にそのことを考えてみよう。
3.3 パターナリズム
“治療の一環”として告知するか否かの決定が、つねに単独の医師によって下されるとは限らない。それは医療機関や病棟レベルでの合意事項であっ たり、「家族の同意や支援」の有無で、その決定の過程はさまざまに変動する。ここでは、告知をめぐる社会的・文化的意味づけのみに焦点をしぼってみよう。
ある特定の患者に対して告知を行うか否かについて、医療者★(9)が説明する――とくに患者の心理的な特性について言及する――際に、例えば次 のような理由が付されることがある。「告知してもよい」際には、本人が「それに耐え得る」と見なされ、「やり残した仕事などを整理させてあげたい」と医師 が考えたときである。また、「告知しない」際には、先に述べたように告知されたことによる患者自身のショックやパニックあるいは落胆を危惧する理由が挙げ られる。
医師の意思決定に共通する原則として、患者への「思いやり」ということばが、しばしば聞かれる。日本文化において「思いやり」と言われている行 為や理念がどのようにして用いられるか、ということはそれ自体で大きなテーマであるが、この「思いやり」という概念は、土居健郎の「甘え」や浜口恵俊の 「間人」につながる、日本人の相互依存的な対人関係における基本的な考えであることを指摘するにとどめておく。ここでは、むしろ「思いやり」の概念を、西 洋における「人格権」と対比させて理解することに重きをおきたい。
西洋思想において「思いやり」という概念に合致するものはない。ただ、「思いやり」に見られる、人格権を制限するという傾向からすると、それに 最も近い概念はパターナリズム(paternalism)であろうかと思われる。パターナリズムは、通常「温情主義」や「父権主義」などと訳されるが、そ の含意するところは「親が自分の子供に対するように、本人のためという名目で他人の行動に干渉すること、他人の自由を侵害すること」(山本ら,1990: 下線は引用者)である。これによって明らかなように、人格権を尊重する立場からみれば、パターナリズムは自由侵害の形態のひとつであり、個人の自立能力を 損なう強制力であると、否定的にみなされる。
ところで、ある社会において、特定の行為が、どのように評価されるかということは、その社会が共有している価値(文化)体系に照らし合わさなけ れば分からない。「思いやり」というものがパターナリズムと類似していたとしても、その意味づけ――例えば積極的に評価されたり、あるいは否定的に思われ ること――が、一致するとは限らない。「思いやり」を好意的な価値とみなすことから想像すると、日本文化のなかでは「パターナリズム」というものが、文化 的な規範として積極的に評価される可能性は大きい★(10)。
看護において、「思いやり」は積極的に評価される。その際の情緒的側面は、言うまでもないがターミナルケアにおいて一段と増幅される。それは、時には“慈悲心”や“愛情”といったものを連想させる★(11)。
パターナリズムでは“親が子供をことを思って”という図式でとらえられるが、「思いやり」において想像される対人関係は、より広範囲に拡張され る。すなわち、夫が妻を思うように、上司が部下を思うように、である。もちろん、ターミナルケアにおける「思いやり」には、逆の方向性もある。子供が“病 気の”親を思う、妻が“末期の”夫のことを気遣う、などである。しかしながら、「思いやり」の方向性が、これらの例では逆になるように見えるのは、病気に なった“親”や“夫”は、病いに倒れた弱者として、あたかも“子供のように”取り扱われるように期待されているからである。すなわち、その点では、思いや りもパターナリズムも、対象となった人が処されるしくみは似ている。
そこで次に、病者を中心にした思いやり=パターナリズムの構図について、考えてみたい。
3.4 偽りの三角形
前節で述べたように、人格権の尊重という立場からみると、パターナリズムに基づく配慮によって「告知しない」という行為は、患者の自己決定権 ――自らの意志と判断によって自分のことに関する事柄を処してゆく権利――を認めていないと見なすことができる。では、わが国の医療者が、患者に対する 「思いやり」によって「告知しない」ことも、同様に指摘することが可能であろうか?
患者が確固とした個人であるならば、病名告知における人間関係において必要かつ最小限の要素は、医師と患者だけになる【図.A】。これは、米国 の医療社会学の基本的なモデルであり続けている医師−患者関係(Doctor-Patient relationship)に他ならない。ところが、「思いやり」が成立する構図はより複雑である。そこにおいては医師の他に、患者の面倒を「思いやる」 いくつかの社会的要素が登場する。すなわち、医療者サイドでは看護者であり、患者サイドでは患者の家族や親族がそれに加わる。ところが、看護者と患者の家 族を比較してみると、患者の処置をめぐる意思決定に大きな役割を果たすのは、患者の家族(あるいは非常に親しい親族)である。看護者は、むしろ、医師が担 う仕事を補強する役割を担っており、その点で医師と看護者は、まとめて<医療者>としてみなすことができよう。
この家族重視の傾向は、医療以外でも社会のさまざまな局面で強調されている。すなわち、家族や親族の紐帯が希薄になったといわれる今日でも、誕 生、結婚、死という人生における節目となる時期には、忘れていたことが甦えるように家族や親族が集まり、その家族成員の連帯が強調されるのである。
したがって、パターナリズムを中心に構成される人間関係のセットは、<医療者>と<患者>だけでは不十分であり、これに<患者の家族>を含めた三者で構成されるモデルで考える必要性がでてくる【図.B】。
さて、前節 3.2 において、患者の死期が近づいているということの「気づき」の状況をめぐって、「閉じられた気づき」「疑いの気づき」「相互に偽った気づき」「オープンに なった気づき」というグレイザーらの4つの類型を説明した。そのうちの「オープンになった気づき」は、現在のターミナルケアにおいて徐々に増加しつつある とも言われるが、どちらかというと、いまだ少数派であり、残りの3つの類型が臨床現場において生起しやすい。そして、この類型において生起する<医療者> <患者><患者の家族>の、“患者が末期である”という、それぞれの認知の構造は【図.Z】のようになる。筆者は、状況がオープンになっていない限りは、 虚偽をめぐる意識が常にその三者の誰かに存在するため、これを「偽りの三角形」として理解したい★(12)。
<医療者>と<患者の家族>の間には、つねに事実関係の把握――すなわち、患者の末期が近いという“事実”を知っているという合意――がある。 そして、<医療者>と<患者の家族>が共同して、患者に関する情報を共有し、治療を遂行してゆく姿勢があることもわかる。このような協調的相互関係は、 「オープンになった気づき」という例外的状況をも含めて、他の3つのすべての「気づき」の類型においても変わらない。<医療者>と<患者の家族>の双方に 共有されている、このような協調行動における動機は、“患者のため”であると説明されることは言うまでもない。
他方、<患者>は、<医療者>あるいは<患者の家族>に対して、信頼ないしは依存関係をもつ(「閉じられた気づき」)か、疑念をもつ(「疑いの 気づき」または「相互に偽った気づき」)ことが考えられる。しかしながら、ここでいうところの患者の偽りや疑念についての態度は錯綜したものとなる。とく に、患者が病名告知の権利意識に関心をもつならば、病名告知や予後について患者が医療者に対してつよく聞くことが起こると考えられる――もっとも現実には その権利意識が強力に主張されることは少ない。あるいは、そのような要求が、情緒的な主張をもっておこなわれることもある。「オープンな気づき」にしない 限り、このようなことが次々に生起するが、それらの相互作用は各々の認知構造に微妙な変化を与える★(13)。
また、病名告知には、虚偽の病名が使われるが、これが権利意識に関する問題として表面化することはめったにない。むしろ、患者にとっては“与え られた病名”が真実かどうかを、どのようにして“判別する”かが重要となる★(14)。あるいは、患者が真実の“病名”を知っているかどうかという問題 は、患者の生前には正面を切っては論じられない。せいぜい、「生前に知っていた」とか「知っていなかった」ということが、家族や親族のなかで述懐されるに すぎない。
このような一連の行動は、医療者と患者の家族が“患者本人のためを思って”選択されるものであり、<患者>の側には感情的に抵抗するか、冷静に 懇願しつづける以外には、それを合法的に知る手段は与えられていない【図.X】。むろん、患者本人が、そのような状態を“察知”し、自分がおかれている文 脈のなかで、“告知されていない末期の患者”を演ずることは可能であるし、またそのように“見える”こともある。死後に「本人は告知されていませんでした が、自分が癌であることを知っていたと思います」と遺族が発言することがそれである。しかし、その真偽を「調査する」ことはできない。知らされていない状 況について調べることが、「知らされる」ことに結びつくという逆説があるからである★(15)。
4.文化に規定された臨床的行動――むすびにかえて
ホスピスケアにおいて「患者との対話」が重要であるとは、よく聞かれる言葉である。だが、対話において情報は常に中立的に伝達されるわけではないことは、先の例をみても明かであろう。そのために、どのような対話が取り交わされるべきか具体的に吟味しなければらない。
柏木(1990)は、ホスピスケアにおける対話の重要性をまとめて、およそ9つほどの点を指摘している。すなわち、
(I)最初の対話の重要性。
「どんな具合いですか?」とか「これまでのことを簡単に言って下さい」と聞くのではなく、「今、いちばんつらいことは何ですか?」とたずねる。
(II)患者が自己の病状をどのように把握しているかについて聞く。
病名が告知されているか、否か、自己の病状の深刻さはどうかについての情報は、患者の今後のケアのために必要である。
(III)患者の性格傾向を知るための問いかけと対話。
具体的に「きっちり型」か「おまかせ型」かを区別する。
(IV)患者が「ハイ」か「イイエ」でしか答えられないような問いかけを避ける。
(V)患者の訴えをそのまま認める。
患者には、自分の訴えをそのまま認めて欲しいという気持ちがあるので、医師は自分の治療の成果について自己弁護することなく、まず患者の訴えを認める必要がある。
(VI)患者の感情に焦点をあてた対話。
(VII)患者の生活歴に添う対話。
(VIII)ユーモアのある対話。
(IX)死についての対話
ただし、死について語り合うことのできる患者はそれほど多くはない。
これらのうち、患者と医療者の文化的行動という観点からみて興味深いのは、(III)において患者を「きっちり型」と「おまかせ型」の類型に分 けていること、(IV)のイエス・ノーを明確にする質問の回避、および(VI)「患者の感情」を考慮しつつ、(V)「患者の訴えをそのまま認める」ことで ある。
「きっちり型」と「おまかせ型」を区別するために、患者に対して次のように具体的に聞くことがあるという。
「患者さんにはおおきくわけて二種類あります。治療の内容や検査の結果をきっちりと知って、自分ですべてわかっておきたいという人と、医学の専門的なことはよくわからないので、先生を信頼しておまかせしますという人です。あなたは、どちらですか?」★(16)
ここには、日本における理想的な医療者と患者の関係である「思いやり」に基づくパターナリズムを期待する患者である「おまかせ型」と、どちらか というと患者の権利意識が見られる「きっちり型」がみられることがわかる。これは、パターナリズム的な医療が主流であると考えられているなかにも、それを 嫌う患者がおり、日本の医療における医師−患者関係もパターナリズム一辺倒ではないことを示唆している。
しかしながら、ほとんどの患者はパターナリズム(=「思いやり」?)の延長上で取り扱われている。なぜなら、医療者と患者のあいだには、イエス とノーを明確に区分する質問が微妙に回避されることが推奨され、おまけに、患者の訴えを“とりあえず”そのまま認めるという行動指針が提示されているから である。ここには、どのような質問が交わされるにせよ、医療者側と患者側が論理的に対立することを招かない“医療者側からの配慮”という「思いやり」のひ とつのかたちを読みとることができる。そして、患者が、その脈絡に沿って行動することができれば、臨床における「告知しないこと」にともなう<医療者>と <患者>の心理的・行動的葛藤は回避され得る。
このような臨床現場における対話やそこに見いだされる行動のレベル以外にも、見舞いのルールや遺体の引き取りに際して見られる伝統的な“作法” に至るまで、死をめぐる――あるいは死を前にした――さまざまな人間の行動には、その人たちが担う社会や文化の影響がいろいろな局面で出てくるものである ★(17)。
「偽りの三角形」にみられる「思いやり」にせよ、ホスピスケアでの対話における配慮にせよ、その対−患者行動の背景には、パターナリズム的な行 動がいたるところに観察できる。そして、この理念は“人格権の侵害”というかたちで否定的に意味づけられるのではなく、むしろ肯定的に評価されているので ある。その意味で、日本の文化的な土壌のなかで形成されたパターナリズムは、独立した個人に対する脅威にはならず、積極的に受容されることが期待された幾 重にもかさなった文化的な行動規範という形として作用する。
そして、そのようなパターナリズムは、「思いやり」に基づく個々の行動によって、構造的には安定したものとなっている。そして、そこに安住する限り“人格権の侵害”という外部からの批判を理解することを困難にさせる機能をもっているのである★(18)。
註(★)
出典:池田光穂「近代病院のなかの伝統的「死」――末期患者と構造化されたパターナリズム」(第2章), 『事例を中 心としたターミナルケア』(四元和代・川口麗子編)[共著],廣川書店, pp.11-26 ,1993 年3 月
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■クレジット:近代病院のなかの伝統的「死」:末期患者と構造化されたパターナリズム
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