かならずよんでね!

県民性:フォークサイエンス

prefectural characters, a folk science

池田光穂

★県民性(けんみんせい)とは、日本の各都道府県に居住する人たちは、それぞれに異なった性 格をもつという疑似科学的信仰(フォークサイエンス)のことである。ウィキペディア日本語「県民性」をのぞけば、戦後の日本の社会で言われてきた、県民性 あるいはお国柄の一覧をみることができる。文化人類学者の祖父江孝男は、『県民性の人間学』(2000)において「個人差の存在を忘れて、県民性を結論付けすると したら、人種偏見の場合と同じ危険を犯すことになってしまう」と正しくその危惧を指摘したが、その次の文章で「しかし現実には、このような結論に飛びつく 場合が多いと思う」と、県民性があたかも論理的にまもとなものとして確立した概念のように扱っているが、これはどう逆立ちしてもレトリックとしては不適切でかつ学問的道義性としても間違いである。

県民性は、祖父江が指摘したように、個人差の存在という有力な反証例や、県境は行政単位の境 界であり、ある種の文化的領域や言語領域という空間範囲ではないこと、ある県民性という性質(キャラクター)が、時代的変遷や、マスメディアの影響によ り、容易に変容してしまうことから容易に反論することが可能性である。したがって、県民性の科学というものを立てた瞬間、それはフォークサイエンス(=民 間信仰)そのものになってしまう。

フォークサイエンスとは、厳密な方法論(科学的方法を参照)を用いずに、自然界や社会界を理 解し予測する方法のことである。ギリシア人以前(あるいは非西洋)の自然に対する理解をすべて「フォークサイエンス」と呼ぶこともできる。したがって、 フォークサイエンスという用語は、近代合理性から遅れたというニュアンスがあり、「オリエンタリズム」 的偏見にもとづくという主張も、あながち外れてはいない。フォークサイエンスはしばしば、その文化における「常識」として受け入れられ、ミームとして受け 継がれていく。一部の進化心理学者によれば、それはまた、人類の進化の過程で適応された、進化した人間の心の認知プロセスの出力を反映しているのかもしれ ない。懐疑論者はしばしば、フォークサイエンスの影響力や妥当性を検証することが大好きである。

★県民性の議論は、日本においてしか通用しない「言葉あそび」ジャンルであり、それを支える思想は「例外主義」である(→「日本人論」)。

フォーク・バイオロジー
民俗生物学(またはフォークバイオロジー)とは、人間が有機的な世界を どのように分類し、推論しているのかを認知する学問である。人間はどこでも、動物や植物を明らかに種のようなグループに分類する。民間分類学と科学的分類 の関係は、進化論が「共通種」の見かけ上の不変性や、それらを中心とする有機的プロセスをどのように扱うかを理解する上で役立つ。進化心理学の見地からす れば、このような自然システムは間違いなく日常的な「心の習慣」であり、自然界を理解するために用いられる一種のヒューリスティックである。
フィーク・ヒストリー
フォークヒストリー(民俗による史的概念)をフォークロアの別個の下位 カテゴリーと見なすケースは、リチャード・ドーソン(Richard Dorson)などのフォークヒストリー(民俗による史的概念)学者から注目されてきた考えである。したがってこのフォークヒストリー(民俗による史的概 念)はフォークサイエンスの一種ではなく、口頭伝承などの史的ビジョンを研究する「まともな」領域になっている。この研究分野は、アメリカ民俗学会 (American Folklore Society)の歴史・民俗学部会(History and Folklore Section)が主催し、民俗学と歴史とのつながりや民俗学の歴史に関心を寄せる年刊誌『民俗学史家』(The Folklore Historian)に掲載されている。
フォーク・リンギィスティクス
民間言語学(フォークリンギィスティクス)とは、科学的方法ではなく、 無知な憶測に基づいた言語に関する声明、信念、実践のことである。民俗言語学は、言語に関する科学的結論が母語話者にとって直感に反するものである場合に 生じることがある。しかし、民俗言語学はイデオロギーやナショナリズムに動機づけられていることも多い。
フォーク・サイコロジー
心の哲学や認知科学において、フォークサイコロジー=民間心理学(コモ ンセンス心理学)とは、他人の行動や精神状態を説明・予測する人間の能力のことである。痛み、喜び、興奮、不安など、日常生活で遭遇するプロセスやアイテ ムには、専門用語や科学用語とは対照的に、一般的な言語用語が用いられる。伝統的に、民間心理学の研究は、日常生活者(科学の様々な学術分野における正式 な訓練を受けていない人々)がどのように精神状態を帰属させるかに焦点を当ててきた。この領域では主に、個人の信念や願望を反映する意図的な状態に焦点が 当てられてきた。それぞれの状態は、「信念」、「願望」、「恐怖」、「希望」といった日常的な言葉や概念で説明される。排除的唯物論とは、民間心理学は誤 りであり、廃棄されるべきである(あるいは「排除」されるべきである)という主張である。
ナイーブ・マスマティクス
ナイーブな数学とも呼ばれるインフォーマルな数学は、歴史的にほとんど の時代と文化において数学の優勢な形態であり、現代の数学の民族文化研究の対象でもある。哲学者のイムレ・ラカトスは『証明と反論』の中で、19世紀の数 学論争と概念形成におけるその役割を再構築することによって、数学形式主義の優勢な仮定に対抗し、非公式数学の定式化を鮮明にすることを目指した。 非正規性(=インフォーマル性)は、帰納的推論によって与えられた記述(単に有用であるという理由で「正しい」とみなされる近似値のようなもの)と、演繹 的推論によって導き出された記述の区別がつかないかもしれない。
人相学(Physiognomy) 人相学(ギリシア語のφύσις、「自然」を意味する「physis」 と、「裁判官」や「解釈者」を意味する「gnomon」から)とは、外見、特に顔からその人の性格や個性を判断することである。この用語はまた、個々の植 物の人相学(植物の生命形態を参照)や植物群落の人相学のように、人、物、または地形が持つ暗示的な特徴に言及することなく、その一般的な外観を指すこと もある。実践としての人相学は、現代における疑似科学の定義を満たしており、その裏付けのない主張のために学界ではそのように見なされている。それにもか かわらず、人相学の実践に対する一般的な信仰は依然として広まっており、人工知能の現代的な進歩がこの研究分野への新たな関心を呼び起こしている。人相学 は古代ギリシアの哲学者たちによって広く受け入れられていたが、中世には浮浪者や山師たちによって行われるようになり、評判が悪くなった。19世紀の人相 学は、特に科学的人種差別の根拠として注目されている。今日理解されている人相学は、特に機械学習や顔認識技術に関連して、再び科学的関心を集めている。

Lithographic drawing illustrative of the relation between the human physiognomy and that of the brute creation, by Charles Le Brun (1619–1690).

+++

Links

リンク

文献

その他の情報

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099