清野謙次と金関丈夫の日本人種観
On
Japanese race between 1930 and 1944
清野謙次の日本人種観
「1944年に東京で出版された人種問題についての 大衆的な本の中でも、ほぼ(足立文太郎の日本人種観)同じような 主張がなされた。 清野謙次の『日本人種論の変遷史』の読者は、日本人が劣っている証拠として西洋人が挙げる日本人の様 様な身体的特徴を再び思い出した。それらは西洋人に比べて背が低いこと、鼻が低くて幅広いこと、一重 まぶた、出っ歯、いわゆる「蒙古斑」(東洋人には十二歳ぐらいまで見られ、白人には滅多にない尻の青 色斑)であった。これとは逆にヨーロッパ人が日本人よりも猿や他の動物に近いとする身体的特徴として、 清野は次の足立式リストを提示した。すなわち「高い」鼻、毛深さ、比較的に長い腕、体重に対する脳の 重さの比率が低いこと、指が太いこと、それにさかりのついた動物を思わせる強い体臭であった。清野も また西洋人の肌の色についての偏見と、彼らが白にどれだけ近いかを評価の基準として用い、黄色人種は 比較的色白だという単純な理由で黒人よりも高く評価されていることを、読者に思い起こさせた。もし西 洋的な考え方を論理的に押し進めれば、白兎は黒兎より進化しており、鷺が色だけの理由で烏よりすぐれ ていると極論することになろうと、清野は皮肉っぽく述べた。これとは反対に、あらゆる人種が長所と短 所をもっていることを認識するのは必要なことだった。互いに補足し合って完全になるよう世界の諸人種 を結び合わせることは、壮大な試みというべきだった」(ダワー 1987:258-259/2001:373-374)。
「こうした理想主義的な考えから、清野は各人種をそ
の能力に応じて「適所」に置き「適当なる職業」に
つかせる壮大な事業として、大東亜共栄圏を空想的に描くことにとりかかった。彼は「優良民族」に保護
を加え、その人口を増やすよう奨励すべきであると強調した。この点に関して彼は日本政府の公式政策と
完全に一致しており、要するに最優良民族とは日本人のことであり、その「適所」とは絶対的な指導者の
任務であった」(ダワー 1987:259/ 2001:374)。
【参照】金 関丈夫の日本人種観(1930)
1930年9月金関丈夫は論文「琉球人の人類学的研究」(論文は1930年と1932年に公刊[第一報告][第二報告])で京都帝国大学より医学博士号を 取得。
【琉球人の人種的認定は遠ざけているが、その形質的独自性の有無を調べるために、それは仮想的に存在するという修辞法がみられる】
「初めに断って置きたいのは、本研究の題目に「琉 球人」と云ふ名称を使用した点である。之は固より所謂「日本人」「大和民族」等に対して、琉球人と云ふ一種の民族或いは人種が存在すると云ふ事実乃至は仮 定を表はしたものではない。否斯かる特殊な人種が存在するか否かを知り度(た)いという必要が吾人を此の研究に向かわしめた主たる動機の一つであって、そ の存在が当初より疑問であるからこそ、本研究が存在するのである。故に琉球人と称するよりは「沖縄県人」等の呼称を用ゐる方がより妥当と思われるし、現に 或る種の必要から後者の如き用例を奨められた事もあったが、吾人が本研究で取り扱わんとするのは、実は独り沖縄県下の住民のみならず、時によっては奄美大 島の如き、今日鹿児島県の管轄下にある地方の人々を同時に包容するのである」(金関丈夫 1930:附 513)。
【そして、それは日本人の位置付けを明らかにするために「琉球人」のカテゴリー的位置付けも必要になる】
「本研究は即ち斯かる意味に於ける「琉球人」の体 質的人類学的研究である。これは独り琉球人の人種的所属を知る上に必要不可欠なるのみならず、其の周圍民族、殊(こと)に吾が日本人の由来、成立を知る上 に重要なる手掛かりとなり得べき研究である」(金関丈夫 1930:附 514)。
【結論において、その人種的「位置」は原始的か、否かで測量できるように主張している】——この 表現が可能になるのは、当時の形質人類学が人種の種的差異の高低を前提にしていからで、金関が、この論文で冒頭に表現したような、本島の日本人との種的差異があることを明確に意識しているこ とである。
「……の性状においては、一般琉球人は比較的原始 的に遠ざかれる点に於いて、生蕃人、アイノ人、日本人、前印度人等、東亜諸人種に近き関係を示し、白人、黒人等とは異なってゐる。宮古、八重山地方人は一 般琉球人と大差なきも、特に甚だしく隔たる点があった。……に於いて、琉球人は、生蕃人、アイノ人に比較的遠いが、本三叉線の位置の諸型の頻度の点に於い ては、之れら三者は相似てゐる」(金関丈夫 1930:附 659)。
また、白人、黒人、猶太人は、原始的なもののグループにカテゴリー化されている。「之 れらの東亜諸人種は、比較的に原始性に乏しき点において、共通の性状を有し、白人、黒人、猶太人等は、この点において東亜人種よりも原始的である」(金関 丈夫 1930:附 660)。
「以上を約言すれば、琉球人は手掌部、足蹠(そく せき)部理紋に於いて一般モンゴーレンに比しより退行的であり、此の点において手掌部理紋は比較的白人系人種に近く足蹠部理紋は之に遠い。……因(もと) より以上の成績は、之を以って直ちに本(=琉球)人種の位置を決 定すべき底のものではないが、今後予自身の手によって表せられるべき、琉球人骨格其の他の 研究の成果と彼此(かれこれ)照応考究せば、必ずや或る程度の寄與を、本人種問題の上に為し得べきものであると信ずる」(金関丈夫 1930:附 661)
【コメント】以上をもって、金関が「人種の種的差
異」を前提に議論していることは、否定し難く、また、人種の優劣についても「全く言及せず、かつ主張しているわけではない」という主張は困難なように思え
る。このような私の所見は、金関の学問全体の業績を否定するものではなく、これらの部分に、いわゆる認識論的な「時代状況的制約」があり、金関のみなら
ず、あらゆる研究者が甘受せねばならない試練であることは言うまでもない。学問というものは論理実証的な「反証可能性」と科学社会学的な「科学者集団内部
のコンセンサス」をもって健全な進歩をかろうじて達成するにすぎない。
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