足立文太郎の日本人種観とレイシズム
Anatomist Dr/ Buntaro ADACHI's point of view of "Japanese race,"
1922-1944
足立文太郎(1922 -1944)の日本人種観——基本的には文太郎は人種間にそれほどを優劣をつけることはナンセンスだと 考えていたようだった。
「日本人が科学的な進化論や人種間の身体的差異の問 題を、この国粋主義の時代にどう扱ったかを示す実 例は、1944年の春、著名な解剖学者である足立文太郎教授が、一般読者向けに出版した論文集『日本 人体質之研究』の中に見出せる。これは1928年に刊行された本の改訂版で、第一次世界大戦前にさか のぼる論文も含まれていた。この新版には著者の短い愛国的な序文があり、欧米人が人種的に最高等であ るとするうぬぼれや尊大さを非難し、著者が何十年か前にドイツ語で書いた所見が、国際的な学界におけ る差別的な諸説に再考を促したと主張していた。足立は、この論文集の再刊が戦争という危機の真只中 で、日本人の誇りを高め輝かしき大東亜文化の建設のためひとつの礎石として役立つことを願うと述べて いた」(ダワー 1987:256 /2001:370-371)。
「足立のおもな論点は、概して日本人やアジア民族が 優秀であるということではなく、すべての民 族が多かれ少なかれ比較的に発達した身体的特徴をもっており、断固たる優越性を主張する科学的根拠は ないということだった。この主張を進めながら彼は、日本人や他のアジア人に決しておもねらない多くの 所見を述べた(1944年版でも未改訂のまま)。人間は猿に似た哺乳類であり、オランウータン、ゴリ ラ、チンパンジー、手長猿との比較が有益であろうと書いていた1912年にはじめて発表した論文の 中で、血液検査が人間と猿との関係を示したばかりではなく、特定の人種は他の人種よ り猿との深い血縁 関係があることも明らかにしていた。足立は、限られた検査標本の中では、特にマレー人の血が猿の血に 最も近いことを見出していた。オランダ人の血が最も似ておらず、中国 人の血はその両者の中間にあり、 実はマレー人よりオランダ人のほうに近かった。彼は、日本人自身の血液検査の結果は出さなかった。日 本人と西洋人の筋肉組織および血管を比べた一九一四年の小論の中で、足立は日本人がおとっている事も なげに述べていた。彼によると、イギリス人が全ヨーロッパ人の中で最上の筋肉組織をもっており、ロシ ア人は最悪で実のところ他のヨーロッパ人より日本人に近かった。足立は、この悩みの種の原因を見つけ なかったが、黒人(「黒奴」という言葉を使用)もまた筋肉組織では、日本人よりもすぐれているという 「頗る有難くない」報告を、無念にもせざるをえなかった。彼は、たいていの黒人が実 は混血であること、 つまり彼らの筋肉がすぐれているのは間違いなく西洋人の血が入っているせいであると、いい抜けようと 努めた」(ダワー 1987:257/ 2001:371-372)。
「日本人と西洋人の身体的特質を比較した足立の最も 明快なバランス・シートは1907年という早い 時期の講演録の中に現われた。脳の重さに関して日本人と西洋人の間にきわだった差はない。日本人は概 して小柄であるから身体全体に対する脳の重さの比率は比較的高い、と彼は述べていた。異なる人種の発 達の度合いをはかる基準としてオランウータンを例にとれば猿の一般標準を大きく上回ることで相対 的な「優越」が知られている——総合的には日本人が西洋人よりわずかに劣っていると 言えるかも知れな いが、いくつかの領域ではすぐれた発達をとげていることを立証した。全体として日本人が西洋人よりも 猿に近いとする身体的特徴には、鼻が低いこと、出っ歯であること、目尻の奥に小さな軟骨がある率が高 いこと、二の腕の筋、胸の上部にある筋、それに血管が特殊なこと、さらに一般的に女性の大陰唇の発育 が不全という傾向があった。一方、日本人の解剖学的に「まさっている」特徴として挙げたのは、額から 鼻への移りぎわが比較的平らであること(足立は、西洋人のそれが飛び出ているのは猿に近いと断定し た)、身体の大きさに比べて腕の長さの割合が短いこと(西洋人の長い腕はこれまた猿に似ている)、西洋 人と動物に見られる上腕の骨の下端近くにある刺毛がないこと、体毛が比較的少ないこと、そして体臭が 比較的に弱いことだった(白人の体臭とそれより強い黒人の体臭を、動物的な性欲と同一視していた)」(ダワー 1987:257-258/ 2001:372-373)。
「今日からすると足立の所見は奇怪に見えるかも知れないが、そこから彼が引き出した結論は意
味深い。
彼は次のとおり強調したのである。「或る点に於ては甲人種は乙人種に優り、他の点に
於ては甲人種は乙
人種に劣るのである。甲人種は何れの点に於ても乙人種よりも勝るとか劣るとか云ふのでは決してない」」(ダワー 1987:258/ 2001:373)。
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