か ならず読んでください

予言の自己成就

What is self-fulfiling prophecy?

池田光穂

  ●予言の自己成就(self-fulfiling prophecy)とは?

予 言の自己成就(よげんの・じこじょうじゅ)とは、(1)最初の誤った状況の前提=「僕は意志が弱いので勉強はでき ないだろう」)が、(2)あたらしい行動(=「今は試験期間だが新しいゲームソフトが リリースしたので、ちょっとだけならいいだろう」)を引き起こし、(3)それ以外の要因で結果が引き起こされたにもかかわらず(= ゲームに触れた時間は少なくのめり込んだとはいえず、たまたま試験のヤマが外れただけなのだが…)、(4)その行動が最初の誤った考えを真実なものとみなす(=「試験 の成績が悪いのは新しいゲームソフトに触れたはずで、それをコントロールできなかったのは意志が弱かったからだ」)というものです。社会学者のロバート・ キング・マートン(Robert K. Merton)『社会理論と社会構造』みすず書房,1961年により定式化されました。

整 理しましょう。予言の自己成就とは、(1)最初の誤った状況の前提が、(2)あたらしい行動を引き起こし、(3)それ以外の要因で結果が引き起こされたに もかかわらず、(4)その行動が最初の誤った考え を 真実なものとみなす、という ものです。

上 述のゲームソフトの例は、自分の意志の弱さを、試験の成績の悪さから、本 当に弱いと感じてしまうものです。でも、実際は、ゲームにのめり込んだ時間は短く、それなりに勉強したので、おなじような生徒でたまたまヤマがあたり、成 績がよかった生徒のことを羨んでしまうような場合です。これは予言の自己 成就の否定的な側面ですが、よいこともあります。たとえば、生徒を2つのグループに分けて、片方のグループだけには、「前回の試験には心理テストが含まれ ていて、君たちにこっそり教えておくけど君たちは勉強しなくても成績がよいという証拠がみつかったんだ」と説明してやると、その次のテストでよいスコアを あげるという結果が出たことがあるそうです。現在では、生徒のことを思っても「嘘 を言うことは絶対的な悪」なので、このような実験をすることができませんが、生徒への心理的な事前の暗示(=予言)が、しらない間に、それを告げ られた生徒の習慣を勉強に関心をもったり、成績をあげるような行動を導いたりして、実際に成績があがりました。これは、典型的な、プラスの意味での予言の 自己成就です。

●ブリタニカ百科事典の解説

"Self-fulfilling prophecy, process through which an originally false expectation leads to its own confirmation. In a self-fulfilling prophecy an individual’s expectations about another person or entity eventually result in the other person or entity acting in ways that confirm the expectations." - WRITTEN BY Lee Jussim.

●ああ、人間的、あまりに、人間的な使徒ピーター

マ タイ福音書「26:69ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言っ た。 26:70するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。 26:71そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。 26:72そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。 26:73しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。 26:74彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。 26:75ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた」

僕 は鶏が鳴いてから、自分の行為を後悔してペテロが激しく泣くところに、彼(=人間一般)の人間性をみてしまいます(いやむしろ同情する)。あるいは、ペテ ロに「イエスって、君の未来を予見できたのに、なぜアドバイスしないのだ、ひどいやつだ、人間じゃねぇ、だから神になったのか?!」となぐさめたい。

●使徒ピーターの情動の分析

使徒ピーターの情動は、「サルトルの情動」の概念でも十分説明できる。

「いまや私たちは、情動とは何であるかを了解することができる。そ れは世界の変形なのだ。きめておいた道があまりにむずかしくなったとき、あるいは道が解 らなくなったとき、私たちはもはや、こんなに小うるさくてこんなにむずかしい世界のなかには、とどまっておれなくなる。一切の道が塞がれており、しかもな お、行動はしなければならぬ。そのとき私たちは、世界を変えようとこころみる。すなわち、あたかも事物とその潜在態との関係が決定論的な過程によってでは なく、呪術(magie)によって規制されているかのように、世界を生きようとこころみるのだ。ここで遊戯などをしているのではないこと、十分に納得しよ う。むしろ私たちは、そんなところまで追いつめられているのであり、自分の手にし得る全力を挙げて、このあたらしい態度のなかに身を投じているのである」 (サルトル 2000:139-140)J.P.サルトル『自我の超越、情動論的素描』竹内芳郎訳、人文書院、2000年

リ ンク

文 献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

Robert K. Merton, 1910-2003