思考の人種化
Racialization of your thought
解説:池田光穂
以下フランツ・ファノン『地に呪われたる者』 日本語翻訳からの 引用(pp.202-5, 1996年版)です。ページが複数にまたがっているために、論文などで引用したい場合は、原典(各大学図書館のOPAC, NII Webcatなどの検索を使用してください)にあたってオリジナルを典拠資料としてください。
「植民地時代以前の国民文化をこのように情熱的に求めることは、西欧文化――そこに自分が埋 没しかねない西欧文化――から身を引き離そうとする原住民知識人共通の配慮によって、その正当性を与えられているのだ。これらの人びとは、自分が道に迷い つつあり、したがって民衆にとって失われた存在になりつつあることを悟るがゆえに、いきり立ちを忘れて、彼らの民衆の最古の樹液、あくまで植民地以前の樹 液と、接触を回復すべく熱中するのである」。
「おそらくこれらの情熱は、またこの激怒は、現在のこの悲惨、自分自身へのこの侮蔑、この放 棄と否認のかなたに、われわれ自身に対しても他に対してもともにわれわれを復権せしめるところのきわめて美しくきわめて輝かしい一時代を発見したいとい う、ひそやかな希望によって維持されており、あるいは少なくともそれによって方向づけられているのであろう」。
「彼らは疑いもなく異常な歓喜に浸りながら、過去がけっして恥辱ではなく尊厳であり、栄光で あり、盛儀であることを発見したのでる。過ぎ去った国民文化の復権要求は、単に未来の国民文化を復権させ、それを正当化するのみではない。精神的・感情的 な平衡という点から見て、それは根本的に重大な変化を原住民のうちに誘発する」。
「植民地支配が求めた 総体的な結果は、まさしく現地人に向かって、植民地主義は君たちを闇か ら引き出してやるのだと説得することであったのを人は理解する。植民地主義が意識的に追求したその結果とは、コロンの退去が現地人にとって、野蛮への復 帰、堕落、動物化を意味するということを、彼らの頭にたたきこむことであった。つまり無意識の次元において、植民地主義は現地人に、敵対的環境から子供を 守 るやさしく慈しみ深い母親のように見なされようとしたのではなく、根っから邪悪な子がついに自殺してしまったり、不吉な本能をほしいままに発揮したりする ことのないよう、まさしく不断にそれを妨げる母親という姿で見られていることを求めていたのだ」(ファノン 1969:120)。
「このような状況にあって、原住民知識人の要求は、贅沢な願いではなくて首尾一貫したプログ ラムの要求となる」。
「植民地主義は大文字の<ニグロ>を語っている」。(→「ラカンの用語解説」)
「遠くの西欧文化の方へと旅立った原住民知識人、そして今はひとつの文化の存在を高らかに宣 言しようともくろむ原住民知識人は、けっしてそれをアンゴラの、あるいはダホメの名において行いはしない。主張される文化は、アフリカの文化である。ニグ ロは、白人に支配されるようになってから、かってなくニグロとなったのであり、今や文化の存在を証明し、文化を作り出そうと決意するとき、彼は歴史が自分 に明確なひとつの場を課していること、歴史が明確な道を指示していること、つまり黒人文化を明らかにせねばならないことに気づくのである」。
人 種とは、「人間の種別的差異・種差(specific difference)によって区分されたカテゴリー(分類範疇)のことである。つまり人種とはある考え方=見方であり事実ではない。あるいは言い方を変 えると「人種は社会的構成概念」である。より簡単に言えば、同一種の人間 集団のなかにあらわれた、人間の種別区分 である」
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