フランツ・ファノン・ノート
Notes on Frantz Fanon
フランツ・ファノン(Frantz Omar Fanon, 1925-61)
(1)先住民の「後発性」はなにから由来するのか?;From what does the “latecomers” of indigenous peoples derive?
「原住 民の風習、その伝統、その神話、なかんずく彼らの神話こそが、この貧困、この体質的な堕落のしるしなの だ。だからこそ、病気の媒体である寄生虫を絶滅させるDDTと、異端、本能、悪などを卵のうちにやっつけるキリスト教とを、同一の平面におくことが必要と なる。黄熱病の後退と福音伝道の発展とは、同じバランスシートの一部をなす。だが実を言えば、布教団の勝ち誇ったコミュニケは、植民地の民衆のうちに導入 された疎外の要因の重大さを教えているのだ」(『地に呪われたる者』新版、p.42)。
(2)闘争の継続とはなにか?;What is the continuity of struggle?
「植民 地時代の民衆は、抑圧に対抗して闘えと呼びかけられた。国民解放以降になると、貧困、非識字、開発のお くれに対して闘えという呼びかけがなされる。闘争は今なお続いていると断言される。民衆は、生きるとは終わることなき闘いであることを確認するのであ る」(p.92:「民族解放」と「文盲」を改変)。
(3)遅れている者たちのアイデンティティ;Identity of the Retarded
「<第 三世界>は、自己に先立つ諸価値との関係において自己を定義するだけで満足すべきではない。反対に後進 国はその固有の価値を、その特有な方法やスタイルを、知らしめべくつとめねばならない」(p.97)。
ヨー ロッパとは文字どおり〈第三世界〉の作り出したものであ る」(p.100)。
(4)開発の最終目標はなにか?;What is the ultimate goal of development?
「ひと つの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従 前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい。橋は、空から降って湧くものであってはならない。社会の全景にデウス・エクス・マキーナに よって押しつけられるものであってはならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳から生まれるべきものなのだ」(p.193)。
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