ヘルシズムをめぐる対話
Dialogue on Healthism
解説:池田光穂
まず、ヘルシズム(健康主義)についてわからない方は先に、こちら(ヘル シズムの解説)をお読みください。
現在、代替医療の使用と生活習慣を中心に解析しているのですが、代替医療にも関心を 持ち、かつ、生活習慣にも気を配っていると考えられる群が、もっともストレスが多いといった結果になっています。
興味深いですね。ただし、驚くべきことではありません。 ずいぶん前に、健康食品など食に気を遣っている人ほど 食生活のバランスが悪い傾向があるという行動科学の発 表を聞いたことがあります。 健康行動とイデオロギー機能のパラドクスでしょうね。
《ヘルスプロモーションのジレンマ》
従前のヘルスプロモーションは(健康により気を配る階層だと思われる)所得水準の高い層にはより効果的に伝わる傾向があり、逆に、ター ゲットグループと被りやすい所得水準の低い集団には、その効果が効きにくいという(困った経験的事実としての)傾向があるそうだ。このことは業界では、 「知識のギャップ(knowledge gap)」と呼ばれているそうだ。(論文タイトルの初出はAmer.Behavior.Sci. 34:727,1991)
知識のギャップが、社会の中のさまざまなサブグループの社会的ギャップと被り、仮に健康に悪い習慣でも、帰属メンバーにとっての集団に
対するコーピングメカニズムになっているとすれば、これはなかなか単純なパズル解きでは解決しない健康戦略上の課題になる。僕には『ハマータウンの野郎ど
も』(の理論的解説の部分を)を呼んでいる気持ちになる。
これを論文上で解釈するのに、healthismが当ては まるかどうか?という点をまずお教え頂きたく存じます。
研究対象の人たちの社会的背景の説明には使えます。 ヘルシズムは、あなたが取り扱っている研究対象集団 のみが保持する固有のイデオロギーではなく、近代医療 が普及が一定の成果をおさめた近代社会が、直面するほ ぼ全体の住民が直面する文化的性向と考えるほうがよい でしょう。したがって、論文を解釈するのに、ひろく社会 背景としての説明に動員されるのは問題がありませんが、 あなたが次のような表現で主張することは、できません。
「健康不安があるから、過剰に健康に気を使う」という命題は?
「過剰」の定義が必要です。なぜならば、ヘルシズム状況 は、社会の健康への欲望を強化し、病気への寛容性の閾値を 下げてしまうからです。もっとも、相対的に集団を区分して 集団間の統計的有意差の判定をおこなった時には、質的研究 における中間群の行動パターンの解釈を、このようないい加減な 表現を許さないからです。
確かに「健康であることが気掛かりになる」状況というのは、医療化を通り越したヘルシズム(健康中心主義)の最悪の段階に到達しつつあることだ。
「健康に気を使いすぎる性質や 行動パターンが病気を招くのか」という命題はどうでしょうか?
これはヘルシズムというよりも、個人的疾病概念でいう ところの心気症(ヒポコンデリー)です。 もっとも、このような表現も実はトリッキー(言葉騙し) で、集団の性向(エトス)であるヘルシズムを、一種の 方法論的個人主義的な使い方としてのヒポコンデリーで ごまかすのですから。そして、心身症なんていう便利な 概念もありますから、心気症もストレス概念から実質的な 病気の予備軍とみなすことができるわけです。 だが、行動科学を学問的に正しく実践するには、それ ぞれの間の因果関係を科学的に論証しないと、これ らは仮説のままにおきざりにされるでしょう。
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