医療と神々
定価2000円(本体)平凡社 ISBN 4-582-5411-0
人は肉体のみを病むのではない。病気は社会的なものである と同時に社会的・文化的なものでもある。近代医学の発展のかげに、とり残された医療の本質を、世界各地の伝統的健康観・医療観の再評価を通じて、問い直 す。(平凡社:自然叢書10)
池田光穂(いけだ・みつほ)
1956年大阪市北区生まれ。大阪大学大学院医学研究科(現・医学系研究科)博士課程(社会医学専攻)単位取 得済退学。東日本学園大学(現・北海道医療大学)、熊本大学文学部を経て、現在は、大阪大学COデザインセンター社会イノベーション部門教授、同セン ター長を歴任。現在、大阪大学名誉教授。専門分野:医療人類学、コミュニケーションデザイン。主な著作:『実践の医療人類学— 中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』(単著) 世界思想社、『看護人類学入門』(単著)文化書房博文社、『認知症ケアの創造—その人らしさの看護へ』(編著)雲母書房、『コンフリクトと移民—新しい研究の射程』(編著)大阪大学出版会、『動物殺しの民族誌』(共著)昭和堂。
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宗田一(そうだ・はじめ;Hajime SODA, 1921-1996)
1921年新潟県三島郡寺泊[てらどまり]町寺泊(長岡市)生まれ。1941年(旧制)官立金沢医科大学 薬学専門部卒業。国際日本文化研究センター所蔵の宗田文庫は、宗田一が収集した、医学史・薬学史に関する書籍、図版資料などを中心とする日本医療文化史の 資料コレクション——以上、ウィキペディア「宗田一」等
1921 3月1日新潟県三島郡寺泊町寺泊に生まれるが、生後すぐに函館に、中学(旧制)卒業まで函館で育つ
1941 官立金沢医科大学薬学専門部卒業後、3月武田 薬品に入社、十三工場内研究室に勤務。12月陸軍に入営(千島松輪島駐屯)
1947 復員(それまでは抑留生活か?)武田薬品に復職。
1948 吉富製薬企画課、学術課、を経由して、再び企画課へ。
1954 吉富製薬バイエル薬品部部課長。日本薬史学会の発起人、監事。
1956 日本医史学会評議員
1958 吉富製薬学術部
1960 医学史研究会幹事
1964 『日本製薬技術史の研究』
1965 日本医史学会特別講演「日本製薬技術史の研究」
1968 日本医史学会理事
1969 日本医史学会監事
1974 吉富製薬学術部長。精神神経系薬物治療研究基 金事務局長兼務。『近代薬物発達史』
1975 医薬品本部次長
1976 定年。調査役、非常勤嘱託などを経歴。日本医 史学会常任理事(〜1996)。
1979 『図説日本医事文化資料集成』
1980 京都医学史研究会顧問。日本薬学会百年史編集委員長。『京都の医学史』
1981 退職。『日本の名薬:売薬の文化史』
1982 日本医史学会特別講演「祭祀の医療思想」/ 「華岡青洲研究のその後」
1983 日本薬局方百年史編集副委員長
1984 日本医史学会特別講演「日本医学のあゆみ」。 『健康と病の民俗誌:医と心のルーツ』
1986 医学切手友の会関西支部顧問。
1989 日本医史学会理事長(大島蘭三郎)代行(〜1991)。『図説・日本医療文化史』
1990 『図説・日本医療文化史』で第2回矢数医史学会賞受賞。日本医史学会特別講演「富士川游先生没後五十年に寄せて」
1993 日本薬史学会名誉会員。洋学史学会第二代会長 (〜1996)。『渡来薬の文化誌:オランダ船が運んだ洋薬』
1996 4月体調を崩す。6月11日肺腫瘍で入院、7月7日死去。
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「日本医史学会常任理事、平成8年7月7日逝去、75歳。吉富製薬学術部長などをつとめるかたわら、早く から医史学に関心を持ち、その普及発展に努めた」——『医譚』4183ページ、復刊第71号、通巻88号、1996年11月。
中川米造(Yonezo NAKAGAWA, 1926-1997) 「そういえば、宗田先生はご自身も絵をかくことが好きであった。……偲ぶ会が催されるまでに整理できれば、会場でこの似顔絵の展覧会をやるといいと思う。 そういえば、この展覧会に是非ならべたいのがまだある。それは宗田先生が戦争中、薬剤士官として駐屯されていた、北千島の風景スケッチの連作をいつだった か見せていただいたこともあるが、あれも是非この展覧会にだしていただきたい。たしか淡彩の鉛筆画の小品で、北千島の裏悲しさがよくでていた。……先生の 医学史への関心がいつどうして生まれたのかは、直接うかがったことはないのではっきりしない。敗戦で千島から復員して武田製薬に復帰されたころはまだその 気配はない。配置が研究所であったので、真面目な先生としては余技にせよ医学史に関心をもつようなことはなかったであろう。昭和22年に吉富製薬に移られ てからは、総務とか企画部に配置になったので、こうなると多少の余裕はでるし、医薬史は本務にとっても役にたつと考えられる。医薬についての故事来歴を 知っていることは、仕事に厚みをもたせるからである。御夫人の話では、ベーリンガー製薬のPR誌に医薬史に関する小論文を載せられたのが最初ではなかった かと推定されているが、それはいつだったのか確認しなければならない。そのころから、会社の帰りにはいつも本の包みを下げてかえるようになったという」——『医譚』4187ページ、復刊第71号、通巻88号、1996年11月。
著作(抄)
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