暴力について考えるチェックポイント
注意:これは注釈のついたコメント編です。
1. 「暴力」という言葉から連想される具体的な事象をあげなさい(最低語彙数は10)
2. 暴力の具体的な事象について、それぞれ定義しなさい
3. グアテマラにおける内戦(紛争)の犠牲の規模は、他の戦争・内戦・暴力的事象と比較しなさい(p.5)
4. グアテマラ紛争の特徴とはなにか?(p.5)
5. エフライン・リオス・モント(1926-)について知るところを述べなさい:将軍時代の写真(p.21)
6. グアテマラにおける和平協定のプロセスについて説明しなさい(pp.5-)
7. 国民和解委員会(CNR)とは何か?
8. 真相究明委員会(CEH)とはなにか?:pp.8-
9. ファン・ヘラルディ司教について知るところを述べなさい(pp.10-)
10. 歴史的記憶の回復プロジェクト(REMHI)とはなにか?:p.11
11. 「和解のアニマドーレス」というのはどのような仕事をしたのか?:pp.11-
12. アニマドーレスたちが集めた紛争時の人びとの記憶証言には、どのような価値があるのか?:pp.13-15
13. アニマドーレスたちが集めた紛争時の人びとの記憶証言には、どのような限界があるのか?:pp.13-15
14. 13.で挙げた限界を克服するには、どのような作業が必要となるのか?
15. エスノサイド(ethnocide:民族虐殺)とは何か?
16. 「『国民』の創造」(pp.17-, p.26)という表現においてなぜ「国民」という文字にカギカッコが付されているのか?
17. 国民国家(nation state)を定義しなさい
18. 農地改革とはなにか?:p.18
19. ナショナリズム(=国民国家主義)とは何か?
【注意】:ナショナリズム(nationalism, nacionalismo)は古くは「民族主義」と名づけられてきたが、混乱を招く訳語であるので、この授業では民族主義という用語では呼ばない。ナショ ナリズムという外来語を使うか試訳としての国民国家主義という。日本における「民族主義」という用語の歴史的起源は池田光穂「民族(minzoku),民族集団(ethnic group)」(→リンク)を参照せよ。
20. ゲリラとはなにか?
21. マルクス主義(=共産主義思想)の影響を受けたグアテマラのゲリラたちはなぜ「民族意識を階級闘争の障害物」と考えたのか?
→ a. 階級闘争とはなにか?
→ b. なぜマルクス主義においては「階級」―実際には階級概念―が重要と見なされたのか?
22. 解放の神学(Libaration Teology)とは何か?
→小学館のニッポニカ百科事典(CD-ROM版)には遅野井茂雄(おそのい・しげお)さんによる解説がありました。また、学内からでは附属中央図書館にアクセスすると世界大百科事典(平凡社)にも乗浩子(よつのや・ひろこ)さんの解説が読めます。
→G・グティエレス『解放の神学』東京:岩波書店、1985年
23. 意識化(concientizacio'n)とはなにか?:p.19
24. 「豆と銃弾(Frijol y Fusil)」というグアテマラ軍部の戦略とは何であったか?:p.21
25. グアテマラ内戦時における組織的暴力の責任の所在はどのようなものか?:ref. Fig.3, p.23
26. グアテマラのマヤ系先住民族の言語別人口比の高い4大グループはどれか?:p.25
27. 「はじめに―歴史的記憶の回復」の著者は、先住民族への軍部の組織的迫害が先住民族意識を生んだと結論づけているが、それを著者の考えに即して論理的に説明しなさい。
28. なぜ1992年が「インディオ・黒人・民衆の抵抗の500年」に当たるのかを説明しなさい。
29. リゴベルタ・メンチュについて知るところを述べなさい。
30. なぜリゴベルタ・メンチュは1992年にノーベル平和賞を受賞したのか?
31. 抵抗の共同体(CPR)とは何か?:p.27, pp.37-39
抵抗の共同体が発見されるまで(p.37-)
1988年1月カブレラ司教(キチェ司教区)、メキシコ難民キャンプを訪問。イシュカンのメンバーと接触。同神父は、リカルド・ファージャ修道士の派遣を依頼(どこに?イエズス会)。
1989年6月ファージャと共同体カテキスタとの初会合。カテキスタ・リーダー、マルセリーノ・ロペスのカセットテープがカブレラ司教に送付される。
1990年9月シェラ(地名)の抵抗の共同体声明。ミルナ・マック殺害。
1991年1月末イシュカン、ペテンの抵抗の共同体の存在が新聞報道(90.09.07-08)を通して明らかになる。
1992年末、カブレラ司教、ラマシーニ司教(サン・マルコス教区)および同行者*からなる訪問団による訪問開始。ホルヘ・セラーノ大統領が、司教会議を非難。
1992年9月リカルド・ファージャ『密林の虐殺』を出版。軍はファージャ拉致を計画するが失敗に終わる(記録書類等の押収)。
1995年2月プリマベーラ共同体の誕生(詳しくはp.39)
1996年1月カブレラ司教の仲介で、シェラとチャフルの土地獲得委員会と政府(アルバロ・アルス大統領)の間に文書合意。
32. 歴史的記憶の回復プロジェクト(REMHI)は、グアテマラにおける国民の和解を達成されるためには次の 5つの活動が重要であるとしている。それぞれについて解説しなさい。(1)犠牲者の遺体の発掘、(2)メンタル・ケア、(3)和解をめぐる社会的な場にお ける討論、(4)社会のネットワークの再建、(5)正義の達成。
33. 和平締結後においてなぜ村落共同体において集団リンチ事件が多発したのか?:pp.30-1
【テキスト】
歴史的記憶の回復プロジェクト編『グアテマラ 虐殺の記憶』飯島みどり・狐崎知己・新川志保子訳、東京:岩波書店、2000年。
[科目分類]文化表象学分野 [時間割コード]■ [授業科目]文化表象学 I [科目コード]■ [授業題目]暴力について考える [担当教官]池田光穂 [開講年次]2 [学期]前期 [曜日]木 [時限]4 [選択/必修]必修 [単位数]2
[科目分類]地域科学専攻(文化表象学分野) [時間割コード]■ [授業科目]文化政策論 [科目コード]■ [授業題 目]暴力の諸相 I [担当教官]池田光穂 [開講年次]大学院・1年生 [学期]前期 [曜日]木 [時限]4 [選択/必 修]選択必修 [単位数]2
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【注】
*この資料は授業中に配布する予定ですので、受講者はプリントアウトをする必要性はありません。
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