暴力について考える
《授業シラバス》
On Thinking on Violences:Commentaries
"If one means by violence a radical upheaval of the basic social relations, then, crazy and tasteless as it may sound, the problem with historical monsters who slaughtered millions was that they were not violent enough. Sometimes, doing nothing is the most violent thing to do"(Zizek 2009:183).
解説:池田光穂
暴力批判の課題とは、暴力と法(レヒト)および 正義(ゲレティヒカイト)との関係を叙述することである——ヴァルター・ベンヤミン「暴力批判論1920/1921」(1999:227)
暴力の定義は、個人や集団に降りかかる人為的(=意図的)破壊 の行為と定義することができる。WHO*は「傷病、死、心理的危害、発達の悪化、あるいは剥奪、を引き起こしたり引き起こす可能性の高い、自己や他者ある いは集団やコミュニティに脅威を与えたり実際に引き起こす、物理=身体的力あるいは権力の意図的な使用」と定義している。
*: [T]he intentional use of physical force or power, threatened or actual, against oneself, another person, or against a group or community, which either results in or has a high likelihood of resulting in injury, death, psychological harm, maldevelopment, or deprivation.- Krug et al., "World report on violence and health" Archived 2015-08-22 at the Wayback Machine., World Health Organization, 2002.
"If one means by violence a radical upheaval of the basic social relations, then, crazy and tasteless as it may sound, the problem with historical monsters who slaughtered millions was that they were not violent enough. Sometimes, doing nothing is the most violent thing to do"(Zizek 2009:183).
"'[D]ivine violence' has
nothing to do with outbursts of 'sacred madness', with that bacchanalia
in which subjects resign their autonomy and responsibility, since it is
some larger divine power which acts through them"(Zizek 2009:170).
[学習目標]※このページの旧原稿は大学学部のシラバス「暴力 について考える」でしたので、シラバスの書式を踏まえています。
[授業の内容]
20世紀は戦争と革命の世紀だとレーニンは予言した が、「革命」の現実が無残な姿をさらけ出した今、アーレントの言うようにそれはまさに暴力の世紀であり、暴力の世紀はいまだに終わっているわけではない。 授業目標に掲げているが、暴力はあまりにも我々の前に圧倒的で多様な姿を現し、とりつく島がないという絶望感を覚えるものがいるかもしれない。元来、暴力 について語ることは、おもに政治経済学(歴史を含む)と心理学(精神医学をふくむ)の「言語」で語られることが多かった。硬直した紋切り型の「暴力」理解 を打破しうる社会と文化を機軸にした人間の暴力への理解——解釈と実践——に道を切り開くべく、教師は授業を盛り上げていきたい。
Z・ブレジンスキー(1993)によれば、今世紀 (1993年までの)の政治暴力の犠牲者の推計は、1億6700万人ないしは1億7500万人以上と概算している(ヒェーと言いたい、他方でだから何なん だとも突っ込みたい)。
[キーワード]暴力、革命、戦争、拷問、解放、和解
[暴力の「解剖」:出典:Violence - Wikipeida, English]
番号 |
カテゴリ |
小分類 |
(暴力形態:身体的、性的、心理的、剥
奪) |
1 |
暴力のタイプ |
自己に向かう暴力 |
自殺(自死)、自己虐待 |
2 |
集合的暴力 |
拉致、監禁、コミュニティ単位の暴力(→
戦争、戦闘)、同族間/異種集団間、人種間、民族間;社会的暴力、政治的暴力、経済的暴力 |
|
3 |
戦争・戦闘 |
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4 |
非=身体的暴力 |
構造的暴力、 |
|
5 |
個人間の暴力 |
家族・親族(パートナー、子供、老人=高
齢者) |
|
6 |
標的化暴力 |
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7 |
日常的暴力 |
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8 |
暴力の要因 |
育児 |
|
9 |
心理学 |
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10 |
メディア |
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11 |
暴力の予防 |
個人間暴力の予防 |
|
12 |
集合的暴力の予防 |
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13 |
処罰的正義 |
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14 |
公衆衛生 |
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15 |
人権 |
||
16 |
地理的文脈/偏差 |
||
17 |
暴力の疫学 |
自己に向かう暴力 |
自殺、自傷行為、PTSD、 |
18 |
個人間暴力 |
||
19 |
集合的暴力 |
||
20 |
暴力の人類史 |
S・ピンカー『我々の本性のよき天使た
ち』をめぐって |
S・ピンカー『我々の本性のよき天使たち』について |
21 |
社会と文化 |
経済的含意 |
|
22 |
宗教的要因 |
||
23 |
文献と資料 |
近代国家における暴力装置概念 |
ハンナ・アーレントの考える暴力概念 |
■上掲の図の解説へのリンクはこちら:アーレ ント暴力論:まとめ http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/100525arendt2010.html
[授業のチェックポイント] ここよりリンク
[リンク]
[テキスト・参考書]
エリザベス・ブルゴス編著*『私の名はリゴベルタ・メ ンチュウ : マヤ=キチェ族インディオ女性の記録』高橋早代訳、東京:新潮社、1987年
*この本の著作権めぐってブルゴスとメンチュの間に争いがあります。またこの本に記 載されている内容をめぐって、メンチュとストールの間に論争があります。これについての知るには次の太田好信(2001)を参照すること。
太田好信『民族誌的近代への 介入 : 文化を語る権利は誰にあるのか』京都 : 人文書院、2001年
ハンナ・アーレント『暴力について : 共和国の危機』山田正行訳、東京 : みすず書房、2000年
ハンナ・アーレント『全体主義の起源 1.反ユダヤ主義』大久保和郎訳、東京 : みすず書房、1986年
「この本は(引用者注:『全体主義の起源』)、最初一瞥したときには、いやもう一度 見直したときにすらも、まったく言語道断としか見えないことを理解しようとする試みなのである。/理解ということはしかし、前代未聞のことを前例から演繹 すること、もしくは現実のインパクトや経験のショックがもはや感じられないようなアナロジーや一般原則によっていろいろの現象を説明することによって言語 同断さを打ち消すことを意味するのではない。それはむしろ、事件がわれわれの肩に載せた重荷を良心的に検討し担う——そうした事件の存在を否定するので も、現実におこったことは別の形では起こり得なかったのだとでもいうように意気地なくその重みに屈するのでもなく——ということである。要するに理解する ということは、現実——それがいかなるものであるにしろ、またあったにしろ——に成心なく、しかし注意深く直面し、抵抗することなのだ」(ハンナ・アーレ ント『全体主義の起源 1.反ユダヤ主義』大久保和郎訳、p.viii、1986年)。
現代思想「和解の政治学」 『現代思想』Vol.28 (13)、2000年11月号、東京:青土社
Carmack, Robert M. ed. 1988. Harvest of violence : the Maya Indians and the Guatemalan crisis. Norman : University of Oklahoma Press.
フォルジュ、ジャン−フラン ソワ『21世紀の子どもた ちに、アウシュビッツをいかに教えるか?』高橋武智訳、作品社
ファッセル、ポール (Paul Fassell)『誰にも書けなかった戦争の現実』宮崎尊訳、草思社、1997年
歴史の修正主義者に読ませたい一冊。あるいは全体主義者の戦争は糞で、連合軍の戦争 行為はよいという浅はかな認識も、この本の前では無力だ。前線でも、銃後でも、そこには愚かな幻影に動かされる人びとがいる。そのような挑発に載らないた めには、ただひとつ。反省心なしに社会全体のために奉仕することは美しいという条件反射をやめることだ。
真鍋祐子『光州事件で読む現 代韓国』東京:平凡社、 2000年
限定辞がつかない民主化ではなく「韓国ナショナリズムにとっての民主化」のパブリッ クメモリーを考える必読書。分析は紋切り型かもしれない、人類学者にとっては「恨」を解釈図式に持ち込むよりも、研究者をも巻き込んだその民衆的再生産の ほうに興味がある。
Z・ブレジンスキー『アウ ト・オブ・コントロール』鈴 木主税訳、草思社、1994年(→「暴力の強度を数量化すること:現代暴力 論問題集」)
グローバリゼーションと暴力 : マイノリティーの恐怖 / アルジュン・アパドゥライ著 ; 藤倉達郎訳, 世界思想社 , 2010/ Fear of small numbers : an essay on the geography of anger / Arjun Appadurai, Durham : Duke University Press , 2006(→「「コンフリクトと移民」を考えるブックガイド」)
++
(リンク:暴力論)
(リンク:正義論)
[評価方法]
課題論文の評価点、平常点、試験の総合評価
[履修上の指導]
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