ランズマン監督とフィリップ・ミューラー
Filip Müller und C. Lanzmann
Témoignage de Filip Müller C Lanzmann,
Shoah, 1985
解説:池田光穂
この日(2010年07月20日)の授業では、冒頭にランズマン監督『ショアー』からチェコ系ユダヤ人のフィリップ・ミューラーの2つの「証 言」を紹介しました。最初のものは、まったく涙なしに見ることができない、同胞の終末におけるナチに対する抵抗と国家「希望」の斉唱のエピソード。そし て、感極まった特別労務班員のミューラーが職務を放棄して彼らと共に「一緒に死のう」と決意し、それを実行に移そうとしたこと。そして、犠牲者になる女性 が、ミューラーの自らの実行に思い留め「お前の使命はここでの体験を後の人に伝えることだ」という言葉を残して死んでゆく情景です。
次のミューラーの証言は、強制「絶滅」収容所の過酷な状況、生きているか死んでいるかわからない虚無的状況の中でこそ、必ずこの理不尽な状況が 終わることに違いないと「希望」を抱くことについての、彼の冷静な哲学的な語りです。この発言は、先の死にゆくチェコ系のユダヤ人女性の遺言めいたメッ セージを、ミューラーがこの証言をまさに生きていることを伝えます。だからこそ、先の証言の中で、ミューラーが感極まって「もう[証言を]やめましょう」 と嗚咽してもなお、(この世にはいない彼女が)ミューラーに語らせしめていることがわかります。
「また、生きているかぎり、人間には、つねに希望が残っている、と確信していました。生きている間は、決して 希望を捨ててはならないのです。このようにして、私たちは、あの苛酷な生活の中で、毎日毎日、毎週毎週、月を追 い、年を追って、闘っていたのです。おそらくは、いつの日か、この地獄から逃げ出せるかもしれない。そういう希 望を、心にはぐくみながら」。フィリップ・ミュラー[ランズマン、C 一九九五 『SHOAH:ショアー』高橋武智訳、東京:作品社。](→政治的暴力についての様々な諸相)
私の授業は、この私の出自とは縁もゆかりもない女性が、ミューラーの語りを通して伝わってくる「忘却を拒絶する静かな意思」に支えられてきたこ とがおわかりになられると思います。
この部分が、授業の3回にわたって解説してきた、上の図で見られる「絶滅収容所」についての説明です。
さて、授業の冒頭部分を思い起こしてください。最初は、アーレントの「暴力について」を使って「暴力概念の整理」をおこないました。この暴力概 念の検討および従来の暴力概念の再検討は、その都度、例をが挙がったときに検討してきたものです。暴力とは、私たちの感情を逆立て、また理性的な分析の邪 魔をするやっかいな性格をもっていますので、この具体的な例にそくして抽象的な暴力概念を鍛え直すという作業は、この授業をとおして不可欠なものになって います。
図の真ん中の部分にある「戦時=戦闘システム」は、端的に言うと、「第二次大戦はいまだ終わっていない」「冷戦構造は終わったが、その原因をつ くった第二次大戦の戦時=戦闘システムは未だ続いているのだ」という、奇妙な言挙げの根拠がこれにあたります。ロバート・マクナマラの事例をとりあげ、彼 の生涯はこの戦時=戦闘システム以外のなにものでもないということを、見事に論証しています。
そして、最後に、「暴力の思想家」です。暴力が文明にとって不可避な手段と化す、あるいはそのように我々が信じ込むにつれて、「暴力の思想家」 の議論は、平和な状況においても——しかし19世紀後半から20世紀全般を経て今日まで世界が一斉に平和だったことは一瞬たりともありません——市民生活 を考えるために不可欠なものになりました。暴力について考えることは「暴力の思想家」の議論を手がかりにして、考え続けることでもあります。
以上が、私の暴力の授業のまとめです。
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最後に私は、この授業をはじめる前に、西村喜廣監督『東京残酷警察』(2008年公開)というスプラッタームービーを見て異様に感動し、私に とってぜひこの魅力がどのような心証風景において説明することができるのか、ということで授業のテーマを選びました。なぜ、スプラッタームービー的想像力 が、真面目な暴力論を支える源泉になったのか、実は私もまだ十分に自己解明したわけで はありません(cf. 澁澤 1989)。ただ、このことを明らかになるまでは、私は暴力につい て語ることを今後もまた語ることを止めないということでもあります。これが後日談ともいうべきエピソードです。
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