残虐行為論
On
Atrocities
※以下には、戦闘時にお
ける残虐な行為についての記述が含まれます。良識をもった大人以外の人は、保護者などと一緒に閲覧してください。
暴力の定義
「人びとに肉体的な危害を加えたり、財産にダメジを与えようとしている行動」(H ・D ・グラハムとT ・R ・グール)[34]
atrocity, n. An extremely wicked or cruel act, typically
one involving physical violence or injury. Mid 16th century (in
the sense ‘cruelty’): from French atrocité or Latin atrocitas, from
atrox, atroc- ‘cruel’.
勢力(force)の定義
「「勢力」はより一般的な概念で、「勢力」は他者にそれがなければ行なわないであろうことを強制するための暴力の実際上ないしは威嚇的行 使」(H ・D ・グラハムとT ・R ・グール)[34]
A・エチオーニ
「暴力は物理的な暴力に限定され、経済的強制(economic coercion)心理的強制(psychic coercion)と区別。 「暴力と攻撃性(agression)のカテゴリーの区別……暴力は人や時には財産を傷つける行為を示すものであるのに対して、攻撃性は我執、出しゃば り、さらにあてこすりゃ自罰的行動、支配行動のような広い範囲の攻撃(attack)を示している][34]。
P・ホランダーの暴力分類
1.刑事犯罪の暴力(殺人、襲撃、強姦、強盗)
2.政治的暴力(暗殺、爆弾攻撃、大学紛争、ゲットーの暴動)
3.観淫倒錯的暴力(マス・メディアや娯楽や見世物的なスポーツにおける暴力の生産と消費)
4.自己表現の一形態としての暴力(学生運動、過激集団の行動、ギャングの争い、はっきりした政治的意味のない財産破壊)
5.無差別暴力(美徳のように、それ自体が報酬であり、サディズムと残虐性の暗縫たる、あの世の声にそそのかされて起るもの。マンソン・ ファミリーの奇怪な大量殺人)
※【批判】分類の基準があいまい、現象を便宜的に列挙している
E・フロム
1.遊びの暴力(playful violence)
2.反動的な暴力(reactive violence)
3.復讐の暴力(傷つけ、侮辱し、損害を与えたものに対する報復のために行なわれる暴力)
4.代償の暴力(これは人間が生産的な行為ができず無力、であることに対する生の反逆から起る破壊的行為)
5.原初的な「血の渇き」による暴力
※【批判】疑わしい動機によりア・プリオリに定義
宝月(1980)の暴力の定義
1.暴力のタイプは暴力の「手段」によって区別される。それは腕力・武器などを用いた「物理的暴力」と言葉や文章を用いた「シンボリックな 暴力」とに分けられる。人格へのダメジは、物理的暴力よりも、相手の名誉、威信、自尊心を傷つける言語的な暴力の方が時によっては有効である。またシンボ リックな暴力の方がより巧妙で知的であり、しかも効果が大であることが多い。
2.暴力は暴力を振るった行為主体の「人数」によっても区別される。「単独暴力」と「集団暴力」の区別。
3.暴力は加害者と被害者との「関係性」によっても区別:「面識者間暴力」と「匿名者間暴力」
4.暴力はその「正当性」によって、「合法的暴力」と「非合法的暴力」に分けられる。
5.暴力はその「組織化」の程度によって、寸計画的暴力」と「自然発生的暴力」に区別
6.暴力はそれが生起した「場所」によって、「公共の場での暴力」と「私的な場での暴力」に区分
暴力の生きた定義
1.暴力の内在的定義の限界
2.「他者の反作用の仕方」に求める[38](→デュルケーム的理解の必要性)
3.暴力は一義的に「悪」と見なされない「困難」
デュルケーム的なやり方とは?
「われわれは、それを犯罪だから非難するのではなくて、われわれがそれを非難するから犯罪なのだ」田原音和訳『社会分業論』1971:74 (たぶん)
「その重要な一つの課題は、人や財産を傷つけた一定の行為(暴力のカテゴリー)が他者によって非難されるにせよ、賞讃されるにせよ、あるい は了解不能と規定されるにせよ、一応なんらかのこうした反作用が〈加えられる〉場合と、逆に〈加えられない〉場合とがあることに留意し、この反応上の差異 が何によって左右されるのかを追究することにある。同時に、暴力に対して何らかの反作用が加えられた場合でも、それが(transitoriness)の ものとして〈見過ごされる〉場合と、逆にその行為を契機にして、その行為者の社会的アイデンティティが「悪人」ないし「英雄」あるいは「狂気」として〈同 定される〉場合とがあるが、この差はいかにして生じるのかにも関心を払うのである」(宝月 1980:40)。
デュルケーム的構成の問題点
「「集合感情」の有する「道徳」の中で特に人びとの意識の内に「強く」きざみこまれ、かっその定義が「厳密」で「明確な」ものが法規範であ る」と考え「集合意識の可視的な対応物」として法規範を信じるのがデュルケーム的構成(宝月 1980:41-42) 「彼は法の形成過程よりも結果としての法のみをみることによって、あるいはこれら「統治権力」の固有の自律的な行動準則も、結局は、「指導権力」が共同意 識から認められているからこそ、一定の自律性を発揮することができるにすぎないとみることによって、彼は法規範と集合意識との幸福な結婚を仮定したのであ る」(宝月 1980:42)。
残虐行為論(On Atrocities)
「軍隊の隊長は人びとを中央公園に集めた。彼はまたゲリラのいる場所を教えないと、ヘリコプターで町を爆撃すると脅した。そして、民兵組織を作 れ、我々は武器を供与すると言った。しかし、後になってわかることだが、それはすべて嘘だった。隊長は、この町からリーダーたちを選出しようと人びとに呼 びかけた。何人かの男たちが選ばれて、兵隊たちの前に出てきた。男たちが出そろった後で、隊長は次のように言った。
「お前たちは、ゲリラのリーダーだ、みんなで殺そう」と。カイビルが呼ばれ、一人づつ男たちの指をナイフで切り落とし、腹を裂き、男根を落と し、山刀(マチェーテ)で頭を割り、足の裏の皮を剥ぎ、そして最後にピストルで殺害した。あるいは油をかけて火をつけて殺した。こうして140人ほどが殺 された。最後の10人はゲリラの最も重要な10人だと言われ、S(山向こうの隣り町の地名:山中を徒歩で5時間の場所)への道を歩かされた、道すがら兵隊 は男たちの耳を削ぎ、手足の指を落とし歩かせて、彼らの拷問の限りをつくし、最後まで痛めつけて殺した。」池田光穂:http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/violent.html
"A war crime
is an act that constitutes a serious violation of the laws of war that
gives rise to individual criminal responsibility.Examples of crimes
include intentionally killing civilians or prisoners, torturing,
destroying civilian property, taking hostages, performing a perfidy,
raping, using child soldiers, pillaging, declaring that no quarter will
be given, and seriously violating the principles of distinction,
proportionality, and military necessity./ The concept of war crimes
emerged at the turn of the twentieth century when the body of customary
international law applicable to warfare between sovereign states was
codified. Such codification occurred at the national level, such as
with the publication of the Lieber Code in the United States, and at
the international level with the adoption of the treaties during the
Hague Conventions of 1899 and 1907. Moreover, trials in national courts
during this period further helped clarify the law.Following the end of
World War II, major developments in the law occurred. Numerous trials
of Axis war criminals established the Nuremberg principles, such as the
notion that war crimes constituted crimes defined by international law.
Additionally, the Geneva Conventions in 1949 defined new war crimes and
established that states could exercise universal jurisdiction over such
crimes.In the late 20th century and early 21st century, following the
creation of several international courts, additional categories of war
crimes applicable to armed conflicts other than those between states,
such as civil wars, were defined.[1; Cassese, Antonio (2013). Cassese's
International Criminal Law (3rd ed.).
Oxford University Press. pp. 63–66. ISBN 978-0-19-969492-1. Archived
from the original on April 29, 2016. Retrieved October 5, 2015.]" war crime.
1920年代末の内戦期ニカラグア :反政府側のゲリラによる残虐行為
「ゲリラ活動地域で守備隊の置かれていない小さな村は、サンディーノ軍の影響力下にある。その地域を担当する部隊長が定期的にやってきて商店主 などから支援金や支援物資をとりたててゆく。恒久的に制圧しているわけではないから、こうした「納税者」が逃げてゆくのを防ぐ能力はないわけで、部隊長は 徴収に手ごころをくわえなくてはならない。だが、影響力下の地域住民が支援を拒んだり、あるいは国民警備隊に協力したりすると、しばしば見せしめのために 「コルテ」と呼ばれる制裁がくわえられた」(高橋 1989:194)。
■コルテの技法
「「コルテ」にはスペイン語で「法廷」と「切断」のふたつの意味がある。最も代表的なのは「チョッキ[chaleco]のコルテ」で、ペド ロンが発明した。マチェーテで首を斬り落とし、それから両腕を肩口から断ちおとして、マチェーテの先端で胸にマークを刻む。一九三〇年ころから、ペドロン [Pedro Altamirano]は裏切り者には「ひょうたん[cumbo]のコルテ」を施すようになった。玄人のマチェーテっかいが、犠牲者を殺さないようにして 頭蓋骨の一部分を欠きとって脳髄を露出させる。人間の頭蓋骨には強い内圧が加わっているから、この手術を施きれると頭蓋の欠けたところに脳が圧しつけられ ておそろしく痛いらしい。数時間のたうちまわったあと、痙攣しながら死ぬ」(高橋 1989:194)。
「「ブルマーのコルテ」というのはもっと単純で膝のところで両足を断ちおとし、出血で死なせる。以上が主要なものだが、敵の死体を辱しめる やりかたは他にもある。「ネクタイのコルテ」は、顎の下を深々と切り裂いて切り口から舌を引っぱりだ「葉巻きのコルテ」は、男根を切りとって口にくわえき せる。マチェーテという農具をつかったこれらの残虐行為は、とうてい昨日今日思いつかれたものとは思われない。何やら由緒がありそうで、なるほど匪賊行為 というのは農村の民俗文化の一部なのだと納得させるものがある」(高橋 1989:194-195)
「一方で、海兵の残虐行為も真偽とりまぜていろいろ報道されている。きわめつけは、マタガルパ市守備隊のO ・E ・ぺニントン中尉の記念写真で、中尉はゲリラの生首をかかえてにっこり笑っているのだった。この写真がどういう経路からかゲリラの側に流れ、一九三二年、 中南米のあちこちの新聞に大々的に掲載されて物議をかもした」(高橋 1989:194)。
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099