はじめによんでください

どれいとは、なにか?

どれいの漢字(かんじ)はつぎのように書(か)きます

どれい = 奴隷

ザンジバルのスルタン制のもとでアラブ人の主人から罰を受けているところを写した奴隷の子ども(1890年ごろの撮影)

奴隷とは、人間 が、他の人間の持ち物のようにされて、自由になれない人のことをいいます。

持ち物のようにさ れるのですから、売られたり、買われたりします。また自由になれないのですから、自分がなにかをしたりすることができず、他の人の命令を聞くまでは、なに もできません。

人間(=ひと) は、普通は、自分で自分のことを決めることができますので、奴隷はおなじ人でありながら、人として扱われなかった人になります。つまり、同じ人が、人とし て扱われないことですから、これは間違い(=正しくないこと)でした。

だから、今の世界 では、奴隷をもつことも、売り買いすることも、規則や法律で禁止されています。

つまり、奴隷は、 この世の中にはいないことになっています。あるいは、完全に禁止されています。その理由は、人間が物のように売ったり、買ったりすることはできない、とい う考え方を、みんなが正しいと認めたからです。

人間は「自分は自 分であり、他のひとにじゃまされない」という約束をもつようになりました。これを、人格の権利(じんかくのけんり)と言います。また、人間は、やりたいこ とを自由にやることができます。これを自由の権利(じゆうのけんり)と言います。これらは、人間であることに、もっとも大切な権利、つまり「生まれながら にもっている大切なもの」のひとつです。

権利はしばしば、 他の人にじゃまされるかもしれませんし、自分が他の人の権利をじゃましているかもしれません。そのため、人間が集まってつくる社会は、ひとりひとりの人間 の権利を守ってあげるように、しなくてはいけません。このような、ひとりひとりの人間と人間が取り決める、社会のなりたちについての約束を、社会契約論 (しゃかいけいやくろん)といいます。

こんなあたり前の ことを、人間が長いあいだ、思いつくことがありませんでした。そして、そんな社会についての発明(はつめい)をおこない、賢くなったと思われる、現在の人 間も、奴隷によく似たものを、世の中におおく、はびこらせています。

こどもは、おとな になるまで、おとなに助けてもらわないといけないのです。つまり、こどもは、おとなに助けてもらう権利があります。それと反対に、おとなは、こどもを助け る義務(ぎむ)があります。義務とは、どうしてもやらなくちゃならないことです。けれど、おとなのひとのなかには、「こどものため」という理由をつけて、 こどもの権利、つまり人権(じんけん)を守らなかったり、権利がどうなってもいいんだ、という人がいます。

そのようなおとな には、こどもたちが、ちからを合わせて「こどもの権利を守りましょう!」と勇気をもって言ってあげて、こどもの人権を守らないことは、正しくないというこ とを教えてあげなければなりません。


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