問題にもとづく学習(PBL)の人類学的研究
The anthropological study of the Problem-Based Learning in Japan: An Introduction
まず、PBL(Problem-Based Learning:問題にもとづく学習) が何かについてその概略を知りたい方は以下の説明を読んでください。
【ミニマム定義】
PBLのミニマムな定義は「学習のために問題を使用する」(ウッズ 2001:xi)ということである。
【方法論的定義】
PBLを方法論という観点からここで定義すると「少数の学習者が問題解決のために、議論と学習の反復を通して学ぶチュートリアル形式の学 習」である。ここでいうチュートリアル(tutorial)とは、学生と助言者であるチューターが集まる討論形式の授業のことをいう。
【目的による定義】
またPBLをこの手法が最終的にめざす目的という観点から定義すると「膨大な基礎知識と豊かな実務経験をもち、複雑に入り組んだ医療の現場 で永続的かつ適切に働かせる技能者――ここでは医療者を想定――の知識と技能を確立・維持させるための成人教育(andragogy)の技法のひとつ」と いうことになる。
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さて、このPBL手法とは、[歴史を領有して正統性を誇示する論者が言うほど]大昔からあったものではない。PBLの歴史は高々40年足らずで ある。
PBLが発達する背景にはより深くて広い、社会経済文化的要因が絡んでいる。
(1)医学校[大学院]における臨床医学教育が徹底しておこなわれ、
(2)教育において認知心理学の知見が導入されはじめ、かつ
(3)社会科学での事例研究から、それをビジネスレベルで応用し資本主義経営システムを洗練した形で教授するビジネススクール[これも大学 院]が確立している北米大陸において独自に形成されたものである。
PBLのその後のヨーロッパやアジアでの展開は、その「中心地」からの影響を受けたものであると考えることができる。このことは、PBLを説明 する実践家や理論家が表明し、また彼/彼女らが執筆する文献の随所にみられることである。
PBLのプロトタイプは、1969年カナダのマックマスター大学にいたハワード・バロッズ(Howard Barrows)、1980年ハーバード大学のNew Pathway構想という、それぞれの医学校でおこなわれた教育に起源をもつ。マックマスターの教育システムはほどんどがPBLのみのもので、ハーバード のものは講義とPBLを組み合わせたもので、後者はしばしばハイブリッド型PBLと言われることがある。(前者はPBLの正統性を主張するゆえに、当事者 たちは「ほんもののPBL[authentic PBL]」と呼んでいる)
医学教育ではPBLのみの有効性について焦点が当てられることが多いが、医学教育においては、この教育手法の他に、複数選択問題形式 (Multiple Choice Question, MCQ)、客観的構造化臨床試験(Objective Structured Clinical Examination, OSCE)、ならびに臓器系統別統合カリキュラムなどの技法が同時に開発されて、今日に至っていることを忘れてはならない。
PBLは、このような時代背景をもって、医学教育の現場の教育者たちによる教育技法への改善要求から生まれてきた。PBLが、それまでの系統教 育に代替すべき最良の手法であるかどうかは、賛否両論あり、またPBLの教育を受けた医学生が、系統教育の学生よりも「よい医師」になるかどうかについて の確固とした証拠は存在しない。ただPBLで教育を受けた学生のほうが授業の満足度が高いことでは、両者の主張は一致している。
以上のことをまとめると、現在の大学・大学院教育におけるPBL手法の導入には次の3つの立場があると思われる。
(1)大学・大学院教育をPBL中心におこなうべきだと考える根本派(radicalist-fundamentals)
(2)PBLに多くの可能性を信じながら従来の古典的系統学習も併存すべきと考える折衷派(eclectics)
(3)PBLの学習への改善効果に懐疑し、PBLの導入に異議をとなえる反対派(oppositionist)
これらの対立は、ただたんに大学ならびに大学院における世俗的な勢力分布について指摘しているだけではない。これらの意見を表明する人たちが PBLをどのように理解し、またそれによって今後の医学教育がどのように変わろうとしているのについて、行動を通して、それらが何であるのかを示唆してい るのである。
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◆ PBLに関するレクチャー(「現場力研究会」Dec. 6, 2006)