はじめによんでください
性現象の文化人類学
Cultural Anthropology of Sexuality
“Flaisch macht Flaisch,” Rijkmuseum, Netherlands, 1555, and the Machikane-yama Cat
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桜美林大学で開催された「セックスの人類学」(2008年6月28日開催)での池田による総括コメント(趣旨)は以下のとおりです。
変むなしい気分にあります。このシンポの議論をふり返りますと、性器の話、人間や動物の性行為の話でしたが、イメージを浪費した学者向けのイメ クラのようでした。もちろん、そうした中で「部分が全体にどのように機能しているのか」「全体の理念が部分にどのように宿るのか」という全体と部分の関係 の論争が含まれていましたが、やはり「かたよってあること」と「あまねくあること」を分析の指標にして、セックスという研究対象を明らかにしようとしてい る。
でも本当でしょうか。「全体と部分が調和する」という神話みたいなものが、とんでもない経験的事実によって崩れるのが、このセックスをめぐる議 論なのだと思います。セックス[とその議論]とは、性器や性行為とおなじで基本的パターンのなかに、細かい差異を再生産する作業なのだ、と聞いていて感じ ました。セックスにはパワーがあると言挙げすることは、結局は見えない細部を再生産するゆえ、結局はセックスを神秘化していくので、こういうことはやめた ほうがいい。これらの神秘化に抵抗するために、我々はすべてのことをあからさまにしなければならない。
では我々の陳腐な思考のモードを変えるものは何かというと、トランス・ジェンダー、ペニス・ピン、ふたなりのような強烈な中間的存在という〈媒 介なるもの〉が我々の[セックスのプチブルジョア的]常識をぶちこわす。媒介の存在だけが個性とパワーがあり、そして半端な解釈を拒絶する自己完結性があ る。セックスがどうとか、他者がどうとかではなく、「媒介への着目」と「部分へのオタク的こだわりや記述」ということを、これからも期待したい。
“We see a slightly depressed looking nun trying to bribe the
housecat with a fish as an exchange for an extremely erected penis the
cat is running around with. In the background we see an amused fool
flaunting a pair of male underpants. The quote on the bottom reads
“Flaisch macht Flaisch” which translates into either “flesh gives
flesh” or “flesh equals flesh”. This depiction is found in the
Rijkmuseum in Netherlands, artist unknown and with the description “Nun
walks with fish in hand chasing a cat , she wants to trade the fish
with a penis that the cat has in its mouth. A jester watches through a
window frame”.Rijkmuseum, Netherlands, 1555.
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