紛争の文化的パターン
Cultural Pattern of Conflict
解説:池田光穂
以下の文章は、ルース・ベネディクト『文化の諸パターン』(1934)に出てくる、戦いの概念が極めて希薄な「ミシオ ン・インディアン」とベネディクトのやりとりと、彼女が紛争の概念の普遍性という神話を相対化するまでの考察である。
「わたくし自身、カリフォルニアのミシオン・インディアンと、戦争について話をしようとしたが、まったく不可能に終わった経験がある。かれ らの戦闘行為についての誤解は底なしだった。かれらは、その文化に戦争という観念を成立させる基盤をもっていなかった。それで、かれらが戦争というものを 理解しようとすると、わたくしたちにとってあれほど道徳的な熱狂をささげることができる、偉大な戦争という行為が、小道での口論ぐらいの値打ちになってし まうのである。かれらはたまたま、戦争と口喧嘩を区別するような文化のパターンはもちあわせていなかったのである」(ベネディクト2008:54)。
私は、このミシオン・インディアンと、(いくら非現実的であると他の国の人たちから冷笑されようと)非核三原則を重要な国是と信じる多くの日本 人との差異がそれほどないのではと感じた。つまり、ミシオン・インディアンの精神性は、高々半世紀ほどのものではあるが平和を愛し、そのことの意味を十分 に知り尽くした我々からみると、何か共通点をもつように思える。
『菊と刀』で、日本人の理念や行動パターンを見事に描いた彼女は、このこと(=ミシオン・インディアンの文化的な厭戦概念)から、北米人が信じ ている戦争の概念を、次のように見事に相対化する。
「戦争は反社会的行為である。このことはわたくしたちの文明において戦争というものの占めている重要性にもかかわらず、認めなければならな い。第一次大戦後の混乱の中で、戦争中に議論された勇気や自己犠牲や精神的意義を養うための議論は、その虚構的攻撃的なひびきをつかいつくしてしまった。 わたくしたちの文明の戦争は、文化によって選択された人間行為の発達した結果が、どのくらいまで破壊的なものになるかを示す例として用いるには、非常によ い例なのである。もしわたくしたちが戦争を正当化しているとすれば、それはわたくしたちがその行為を万人がつねにもっている人間行為と思いこんで正当化し ているのであって、戦争の功罪が客観的な検討に耐えられるからではない」(ベネディクト2008:54-55)。
ここからは、フィリピンのイロンゴットの人たちがかつておこなっていた「首狩り・首狩」の経験の理解を通して、戦いや兵士の概念の文化的相対化 を試みるものである。以下は、清水展さん(2005)による、良質のミッシェルとレ ナート・ロザルドの業績の紹介から引用した文章である。
the picture taken in 1910 depicting Ilongot men and a woman in modern day Oyao in Nueva Vizcaya.
〈首狩りと情動〉(→「情動理解の文化人類学的基礎」も参照)
■社会関係と首狩り
「彼ら[イロンゴットの人たち——引用者]のシンセキ関係は日本と同じで、父方と母方の両方をたどって認識される。娘は結婚すると夫を迎え いれ、自分の両親との同居を続けるか、あるいは隣接小屋を建てて新居とする。最大の社会単位は、バータン(bertan: bilateral descent group, persons of a single "kind")と呼ばれる、特定の土地と結びついた出自グループであり、調査当時に十三あった。ただしバータンという社会単位が表面化して重要性を持つの は、首狩をめぐる血讐の際であった。彼ら自身にとって、また彼隣接して住む人々にとって、そして彼らを研究する民族誌家にとって、首狩は、イロンゴットの もっとも特徴的で中心的な実践であった[R・ロサルド一九九八、九、M. Rosaldo 1980:1-13]」(清水 2005:239)。
■ミッシェル・ロザルドの方法論
「ミシェル・ロザルドが試みたのは、イロンゴット自身が自らの行為を語り説明することに真塾に耳を傾けることであった。とりわけ、自己を作 り上げてゆく核となる「心」や感情に着目し、それについてさまざまな機会に彼らが話してくれるさまざまな語りのなかから、首狩について、さらには首狩も一 部に組み入れて編み上げられている彼らの社会について、その特徴を照らし出す説明や解釈を引き出そうとしたのである。他の人類学者ならば「外側から内側 に」、すなわち、まずパターン化された社会を描いた後に、そのなかで個々人がいかに「社会化されて」生き、働くようになるかを考察したであろう。しかし、 ミシェルは、逆の方向からの弁証法、つまり各自の私的で感情的な生活それ自体がいかに「社会的に構築されて」いるかを明らかにした後で、それが社会的行為 としてどのように外部に対して実践され、またその実践の形を規定しているかを考察しようとした。その際に彼女が注目したのは、心と情動であった[M. Rosaldo 1980:19-21, 23]」(清水 2005:240-241)。
■首狩りができない悲しみ
「その五年ほど前の一九六八年の暮れに平地民の首を狩った祝宴の際に録音した、歌と語りを再生したときだった。録音の後に亡くなった男の自 慢話の声が甦ってきた。すると突然、夫妻の一番の親友でありテープの再生を強くせがんだインサンが、ミシェルに向かってテー プを止めるようにぶつきらぼうに言い放った。ミシェルは、その命令に従ったものの、訳が分からず困惑し、怒りさえも覚えたという。……[ミシェルの記述 ——引用者]「インサンが、目を真っ赤にしているのを見て、わたしの怒りは緊張、背筋がゾクッとなり、そして恐怖のようなものへと変わっていった。レナー トのイロンゴットの義兄弟であるタクボーが、事情をはっきり説明しようと言って、つかの間の静寂を破った。首狩が行われることはもう二度とないとみんなに 分かっているときに首狩の祝祭の歌を聞くのは辛い、と彼はわたしたちに語った。彼が言うには、「歌を聞くとわたしたちの胸は張り裂け、心は乱れ、死んだ叔 父のことを思い出してしまう」のである。そしてまた、「[キリスト教の——引用者]神を受け容れていたらよかったかもしれないが、わたしは、心の底はまだ イロンゴット族のままだ。だからその歌を聞くと、もう二度とわたしたちが先頭に立って首狩に連れていくことのできない、未熟な独身の男たちを眺めなければ ならないときに感じるのとおなじように、胸が痛むのだ」と言った。するとタクボーの妻ワガットが、わたしがする質問はすべて彼女を苦しませると目で訴え て、こう言った。女の私でさえ、悲しくて耐えられないのだから」と」[M. Rosaldo 1980:33]」(清水 2005:242-243)
■改宗の動機
「レナートは、キリスト教の神様の力で子どもがないようにできると信じて、新しい宗教にすがったのであろうと早とちりの結論を出した。しか し、イロンゴットの義兄弟のテペグにその考えを話したところ、どなりつけられてしまったという。その経緯について、レナートは日誌に次のように記してい る。「わたしは大事なことを見逃していた。その男が実際に新しい宗教に求めたのは、わたしたちの避けられない死ではなく、自分の悲しみを乗り越える手段 だったのだ。戒厳令が出たために、彼の怒りを抑え、悲しみを和らげる手段として、首狩が使えなかったのだ。もし彼がイロンゴット固有の生活様式を続けてい たら、かなしみがもたらす心の痛みに耐えかねてしまうだろう[R.ロザルド 1998:13]」(清水 2005:243-244)。
〈ブヤとリゲット〉
■ブヤとリゲット
「そうした「心」の働きにおいて、正確に言えば感情と社会生活に関する彼らのさまざまな語り口かで、ふたつの相補的な概念、すなわち「知 識」に相当するブヤ(beya)と「エネルギー/怒り/情熱」に相当するリゲット(liget)が、もっとも重要であった。両者は「文化的」規則と人間的 「自然」という対立的な関係ではなく、丁寧さと暴力性とが各自の「心」の動きとの関連で理解されるような社会において、人が生きてあることを支える補完的 な関係となっていた。そのふたつの概念をめぐって展開される重層的な解釈の実践であるがゆえに、ミシェルは彼女の民族誌に『知識と情熱——自己と社会生活 に関するイロンゴットの概念』という題を付したのである[M. Rosaldo 1980:36-44]」(清水 2005:244-245)
■リゲット(liget)
「リゲットとは、侮辱を受けたり、失望したり、他人を羨んだり、苛立ったりすると心のなかに湧き上がってくる情動である。それが適切に対処 されて制御されなければ、野放しの暴力や社会的な混沌さらには当人の困惑や無気力を生み出す。しかし逆にそうした情動がなければ、持続的な行動を導く意思 や目的意識などが生まれず、人間の生活や活動もありえなくなる。羨望があるからこそ、自分も手に入れようと一所懸命に努力するのであり、そのとき息を切ら せ汗を流して人を働かせるのがリゲットである。まさにエネルギーそのものとしてのリゲットは、混沌と集中、落胆と勤勉、忘我と分別といった対立するものを 同時に生み出す」(清水 2005:244)
「リゲットそれ自体は、混沌や分散、混乱などと関連した言葉で表現されるような状態を生み出す力を秘めながら、しかし一方で、それが知識に よって適切にコントロールされれば、ある特定の目的や方向へと建設的に導かれてゆく。方向づけられ集中されたリゲットは、這い這いの赤ん坊を座らせ、立ち 上がり歩かせ、人に働く気持ちを起こさせ、強きや勇気を与え、首狩襲撃を決意させる。集中化されたリゲットと散漫なリゲットとの差異は、健康と病気、明確 な自己意識と説明不能な取り乱し、優美なダンスと意味のない無駄な動き、社会集団における意思の統一とばらばらな意見、などの対立として表れる」(清水 2005:244)
liget
anger, energy, passion
'uligetak nu 'umari rna side 'enyegyeg fa rinawak - (when hunting) I am impassioned when game nears me and my heart thumps
siyay dima bikllr rna 'amunga 'uli'liget fud 'abllng ten say rna pen'egkangde - it's the women who are, in a sense, the angry, energetic ones in the household, because they are always getting up
mad pen'anak say rna raki rna 'en'apitan nima liget ten siya put rna rapuwan nima 'anak - in childbirth, it is the man whose passion is implicated, as that is the source of the child
nu rnanngayu kami 'awana mangewef karni sa nu rneremna' an tuy ma ligetmi - when we headhunt, we don't eat sugar cane, so that our anger will not be cooled
'edde dimi sibiri nu 'ima 'uliget - (we speak nicely in oratory) so that they won't answer us with anger
'u'a'adang rna liget nima raki, nu me'apiran tu'megintu tage'a - men's anger is highest; if they are angry, they'll just go ahead and hit you
'ungreni pu rna betrangmu rna keligesirn nu 'edmu 'ibu'La ma wade nud rna rinawam - your body gets heavy when you are angry if you don't let out what is in your heart
mad pinusingmu ma ligetku 'itangrarmuy man - for having broken my anger (i.e., angered me), set this down (give me this)
(Rosaldo 1980: 247)
■ブヤ(beya)
「知識[beya——引用者]は、三、四歳の頃から次第に身についてゆく。しかし人間の過程でとりわけ大事な時期は、男女ともに十代の後半 に入る頃からである。その年頃になると、将来の配偶者やその親族、自分の友人や仲間たちのネットワークを作り始める。それまでは、名前も社会的アイデン ティティも、両親の特徴や両親の関係によって決められており、大人たちを頼って暮らす恥ずべき依存と従属の状態である。しかし思春期に入って行動範囲と社 会関係が広がり知識を増大させるにつれて、若者たちは、自ら新たな名前を名乗り、自己のアイデンティティと経歴を自ら形成してゆくようになる」(清水 2005:246) 「イロンゴットの人々は、知識の増大を、座ること、歩くこと、米を搗(つ)くこと、料理するこること、木に登ること、獲物を狩りすることなどの身体的な技 法や、慣れ親しんだ場所から次第に離れて恐怖心を抱かれずに動き回ることを可能にする技法の獲得と不可分なものとして結びつけ、具体的で実践的に捉えてい る。さらには、知識の中核には、「自分たちと同じ人間」としての他人や、潜在的には助け合う関係にある友だちや親族に対する深い尊敬の念があるという。た だし、女の場合には、「男ほどには物を知らない」、男ほどには多くの土地を動き回っていない、だから世界の理解が浅く、話し方も下手なのだと言われてい る。逆に、成熟した男は、その蓄積された知識のゆえに、子どもや若者や女たちとは異なっており、その知識によって、「怒り」や「情熱」そして生活のなかで 生じる葛藤や不和を制御しているのである[M. Rosaldo 1988:87-91]」(清水 2005:246)
beya (原文では e の上に横棒)
to know, knowledge
binaya'anmi ta 'ingkalla'agi'agisi - we came to know, we realized, that we are all related
'anggin 'anakak bima'bimaya'ak nu 'ukit - even though I am a child (younger than you), I know something, a little bit (used, e.g., in oratory)
wade ma 'inaraka berun beya - there is a new knowledge I have acquired (used to speak of conversion to Christianity)
dima 'anak 'away suttun rinawade, beyade, 'unsawasaway de 'eliget -children don't have fitting hearts, fitting knowledge, and just for no purpose, get angry
'ubeya ma raki nu say ma bekur 'ibegebege'ande kisi nu wade rna 'emina kayra'uwanrnu - men are more knowledgeable than women, they tell us if, for instance. you say something wrong
'anggen 'ubeya ma bekur talagan 'u' adangan ma raki - even if a woman is knowledgeable. men are truly higher
siyay tu tuydekentu siyay ma beya' an nima rinawatu - (in courtship) he commands her (and if she obeys), that's how her heart becomes known
mad 'ibeyaksu 'amunga siwagi diken ma rinawatu - (of an undesired son-in-law) from what I can tell, it's as if his heart will separate from mine
(Rosaldo 1980: 242-243)
〈首狩りの哲学〉
■首狩りへの情熱
「イロンゴットの年配の男たちに、なぜ首狩をするのかと尋ねると、親しい者の死去がもたらす「苦悩のため」や「自分の怒りやり場が必要なの だ」という答えが返ってきたという。しかし苦悩から怒りが湧き起こり、どうしても人聞を殺さずにいられないこと、待ち伏せして不意打で倒した犠牲者の首を 狩り、空高く放り上げて投げ捨てることによって苦悩や怒りを発散し消し去ろうとすること、また実際に消し去れるということが、ロザルド夫妻にはまったく理 解できなかった。……[交換理論を援用して——引用者註]首狩は、ひとつの死(犠牲者の死)によって、もうひとつの死(近親者の死)と交換され、帳尻を合 わせる行為ではないか、というレナートの質問に対して、イロンゴット自身が、そうではない、自分たちはそのようには考えないと、きっぱりと否定した。ある いは、首狩によって犠牲者の生命力を獲得し共同体に豊能性をもたらすためとの解釈も強く否定された[R・ロサルド一九九八、七、一〇一二。」(清水 2005:239-240)。
■首狩り情動の文化的説明
「青年期に達しようとするイロンゴットの若者たちは、リゲットに溢れ、ひたすら首を狩りたい欲望に取り憑かれて苦悩する。またこの時期に は、人生のパートナーを見つけ、生まれ育った家と集落を離れ、よそ者として妻の家に入ってゆくという、苦痛をともなう主体位置(ディスロケーション)のず れを経験する。彼らの自身の文化的ステレオタイプによれば、若い独身男性はいつも首狩の機会を熱望しており、すでにそれを達成した男だけに許される赤いサ イチョウ(大きなくちばしをもった熱帯の鳥)で作った耳飾を付けたいと切望し、泣き、歌い、そして怒り狂う」(清水 2005:247)。
※男性が泣くことの許容性については文化により大きな開きがある。
「年配の男たちはすでに首狩を経験し、安定した地位と精神状態に達している。彼らのなかに首狩をしたいという欲望が高ずるのは、青年期特有 の慢性的な苦悩とは異なり、突発的に生ずる喪失感からくる激しい苦悩のためである。年配の男たちは、近親者が亡くなると、自らに禁欲の誓いを課し、首狩の 襲撃に参加するまで、その禁をとくことはない。ここでいう死には、広範囲にわたるさまざまなものが含まれており、自然死であれ首狩の犠牲であれ、文字どお りの死から、たとえば妻が他の男と駆け落ちをしたというような社会的な死までもが含まれている。どんな場合でも、痛切な喪失感から怒りが湧き起こり、年配 の男に襲撃への欲望をかきたてる。年配の男が、襲撃の立案に始まる一連の首狩行為の仕掛け人となる。若者たちの怒りは連続的であるが、年配の男たちの怒り は突発的であり、その意味で、首狩の方程式において、若者は定数であり、年長者が変数となっている」(清水 2005:247)。
■首狩りにおける社会的分業
「文化的に言うと、年長者には、年少者が獲得していない知識とスタミナがそなわっており、それゆえ襲撃の際には、彼らが若者たちの世話を し、先導する。襲撃を決めると、まず、これから犠牲になる者の魂を呼び出し、儀式的な別れを命じ、吉兆を占い確認してから、待ち伏せの場所まで用心深く移 動する。そこを最初に通りかかる者を待ち続けて、何日間、ことによって何週間も空腹と喪失感に耐え抜く。不意打で犠牲者に襲いかかり、殺したあと、切断し た首は持ち帰えらず、空高くに放り上げる。首を投げ捨てることで、自らの悲しみのなかにある怒りをはじめ、さまざまな苦しみも一緒に投げ捨てるのだとい う」(清水 2005:247-248)。
■癒しとしての首狩り
「襲撃の前、男たちは、まるで木にツタがからみついているように、人生の苦しみで重くがんじがらめになっていると描写する。襲撃が成功裡に 終わると、足取りも軽く、血色も良くなるように感ずると彼らは語る。集落に戻り、歌や踊りをともなう祝祭のエネルギーが凝集するなかで、祭りの参加者は至 福の時を過ごす[R・ロサルド一九九八、三〇ー三四]」(清水 2005:248)。
■イロンゴット式反戦論
「イロンゴットの人たちは、[兵役適格者の連絡を受けた——引用者]レナートに、ベトナムに行って戦うなと言い、自分たちの家に匿ってあげ ようと申し出た。彼らの申し出はレナートの気持ちと一致していた。けれどレナートが非常に驚いたのは、ベトナム戦争 に行くなという理由であった。レナートは、自分が臆病なせいで徴兵を嫌がっているとイロンゴットの男たちが受け取ったに違いないと思った。けれども、彼ら は、兵士とは、自分の体を売り渡す男のことなのだと言った。そして、「どうしてまともな人間が、兵士たちと同じように振る舞い、自分の兄弟に戦火の中に飛 び込め、などと命令することなどできるのだろうか」と厳しく問いかけてきた。自分の仲間(「兄弟」[レナートのこと——引用者])を命の危険にさらすよう な行為は、彼らの倫理観からすれば思いも及ばぬことであった。彼らは、レナートに決して自分の身体を売り渡すなと迫るとともに、徴兵という、人の身体を束 縛し生死を左右する強制的な制度を激しく非難した」(清水 2005:249-250)。
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