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情動理解の文化人類学的基礎

Anthropological Foundations for Understanding and Studying on Human Emotions, Version 3.0

池田光穂

情動理解の文化人類学的基礎について考えるのがこの ページの目的である。この領域については、すでに平成21年度生理学研究所研究会「感覚刺激・薬物による快・不快情動生成機構とその破綻」(代表者:南雅 文・北海道大学大学院薬学研究科・教授)2009年10月1日で同名のタイトルで発表し ている。さらにその改訂版を2010年3月7日大阪のみのお山荘で開催された「平成21年度大阪大学「知と行動」研究会」にて発表した。ともに、イロン ゴットの人たちの「首狩り経験」については、聴衆の多いなる関心を呼んだが、ジョン・サールの生物学的自然主義に関する私の講釈と、それに対する「熱い支 持」については、「言っている内容が難しい、解らない」「きちんと論証できているのか?」などとの不評を買った。

そこで態勢を立て直して、2012年釧路市・幣舞 (ぬさまい)ゲストハウス他で開催される「霜田科研・森下科研合同研究会」にて、再度、情動理解の文化人類学的基礎について研究発表するものである (Ver. 3.0)。

情動の問題と、合理的思考の関連について、近年では つねにあげられる発見(あるいは解釈)は、アントニオ・ダマシオがその著書『デカルトの誤り』(1994)で指摘したものである。すなわち「合理的思考は 非情動的なものである」という決めつけは、根本的に誤りだという見解である。

ダマシオのその主たる根拠は「ソマティック・マーカー仮説」によるものと思われる。すなわち「外部からあ る情報を得ることで呼び起こされる身体的 感情(心臓がドキドキしたり、口が渇いたりする)が、前頭葉の腹内側部に影響を与えて「よい/わるい」というふるいをかけて、意思決定を効率的にするので はないかという」仮説であり、それによると「理性的判断には感情を排して取り組むべきだという従来の「常識」——三段論法の前提(premise)——に 反して、理性的判断に感情的要素はむしろ効率的に働く」からである。ただし、この説明だと、感情は合理的=理性的な思考に邪魔と考えられてきたが、そうで はないという「無罪」を宣言するするか、あるいはせいぜい感情は合理的判断あるいは理性的判断にとって不可欠とも言えるほど大切なものだということを示唆 するだけで、「感情こそが合理的なるもの、理性的なるものの原点」とまで言わしめるものではない。

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