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情動理解の文化人類学的基礎

Anthropological Foundations for Understanding and Studying on human emotion

解説:池田光穂

【この発表は論文化されました】
池田光穂, 2013. 情動の文化理論にむけ て : 「感情」のコミュニケーションデザイン入門, Communication-Design 8:1-34.
http://hdl.handle.net/11094/24616


情動理解の文化人類学的基礎[→予稿集原稿
2. 発表者の目的

(1)文化人類学者自身が、脳科学を含む生物学研究の成果を理解するための、翻訳領域(translational zone)を確立する。

(2)情動に関する生物学研究がおかれた、文化的ならびに社会経済的文脈を考慮しつつ、情動に関する学術的理解に対して研究者自身がよ り反 省的かつ自覚的になることを通して、研究上のブレイクスルーのための研究者へのエンパワメントをめざす。

(3)これまでの情動に関する諸現象に関する研究史、哲学思想などを渉猟、総括し、人類の情動に関する知的営為の遺産を、生物学研究に おけ る情動理解に役立てる。


3. 発表者の問題認識

文化人類学者が「情動に関する神経生理学」研究者たちの学術集会に招待された時に、彼/彼女は、生理学者たちの研究発表にどのようにして耳 を傾け、どのように理解しようと試み、どのようにコメントをおこなおうとするのか。またこの種の「居心地の悪い客」はどのように、その異種[格闘技的]共 存の場を平和裡にやりすごそうとするのか、ということが本発表者の問題意識である。
4.3つの観点

(1)人類学者は、自らの専門領域の枠組みのなかで人間の情動をどのような観点から研究するのか?

(2)人類学者のあつかう「人間の情動」と神経生理学者のあつかう「それ」とは、いかなる共通点と相違点をもつのか?

(3)神経生理学者は、人類学者の言う「御託」に耳を傾けることで何か役に立つことはあるのか?


5.3つの話題(観点)に入る前に、私が 共感するひとつの認識論的立場を表明しておきます。
6.デカルトのアリストテレス的陥穽から サールの生物学的自然主義へ
From Cartesian’s Aristotelean Pitfall to John Searle’s Biological Naturalism
7.デカルトの心身二元論の結合点
「彼(デカルト:引用者)は解剖学を研究し、心と身体の結合点を探るために、少なくとも一度は死体解剖を観察した、最終的に彼は、それは松 果体にあるにちがいないという仮説にいたった。……彼は脳内のすべてのものが左右対称に対をなしていることに気づいた。脳には二つの半球があるため、その 組織は明らかに対で存在する。しかし、心的な出来事は一体になっておこるのだから、脳には各半球の二つの流れを一つに統合する地点がなければならない。彼 が脳内に見出すおとができた単体で存在する唯一の器官が松果体だった。だから彼は心的なものと身体的なものとの接点は松果体であるにちがいないと仮定し た」(サール 2006:53-54)。
8.Descartes' Treatise of Man (1664)と松果体の位置(資料図表)
9.デカルト的心身二元論

John R. Searle, Mind: A brief introduction. Oxford Univ. Press, p.11, 2004

→ 延長をもつ実体(res extensa)


10. John R. Searle, Mind: A brief introduction. Oxford Univ. Press, 2004
11. 哲学者ジョン・サールの方法

生物学的自然主義(Biological naturalism)

心身問題の古典的回答(二元論と唯物論)への批判

批判の骨子:古典的回答には、物理的なもの/心的なものの二分法、という誤った前提があった。

心身問題の解決に「因果的還元/存在論的還元」と「一人称存在論/三人称存在論」を導入せよ。


12. 因果的還元/存在論的還元

因果的還元:人間の意識や感覚は神経学的な基礎に根ざしているので、心的なものは物理的なものに因果的に還元できるはずである。

しかし! 意識は特定の誰かによって経験されることでしかなりたたない性質をもつ。

つまり、意識という存在は、あらゆる物質的なもの還元できるわけではない。それを存在論的還元と呼ぶ。ではどうすればよいか?(続く)


13. 一人称存在論/三人称存在論

  1. 科学の因果的な説明は、科学者集団の共同研究による。そのため科学の知識は三人称的な性格をそなえている。これを三人称存在論と いう。
  2. 他方、意識がもつ一人称的性格は、三人称的な説明では明らかにされえない。これは可能不可能の問題ではなく、定義の違いによるも の。
  3. 自己(self)すなわち意識の一人称的性格を無条件に設定することで、 経験の継起(=感覚与件)のみに信頼をおくロック、ヒューム以来の懐疑論を乗 り越えようとする。
【余滴】【世界を変革したいことは、我々の欲望であり不安である】
ジョン・ロックの An essay concerning human understanding, 1689, の中の2.20.6での彼の、欲望(desire)の定義は、「現にあれば喜ぶものの何かが欠ければ自分自身が不安(=安楽でいられないもの)になるも の」と呼んでいますね。世界が変わらねばならないと我々が思うのは、インペラティブな欲望=不安と介せば、これはなかなかスジが通る話。
原文は次のとおり:Desire. The uneasiness a man finds in himself upon the absence of anything whose present enjoyment carries the idea of delight with it, is that we call desire;(→ホモ・パティエンス、受苦的人間、苦悩する人間
キリストは世界を変革せよとは言わず、自分自身が変われと言った?あるいは、自分自身の苦痛の情動を喜べと言った——山上の垂訓。も し、この〈情動の変革〉を可能にするものが阿片(opium)だとすると、この阿片はなかなか上物というか最良の麻薬ということになる
14. Biological Naturalism
意識の一人称的性格(自己)は、存在論的に還元不可能であるが、このことは意識の因果論的に還元可能であることとは無関係であり、後者は 「自然現象」である限り探究可能。
「なぜ「自然主義」かと言えば、この立場では心的なものは自然の一部だからだ。また、なぜ「生物学的」かと言えば、そのような心的現象を考 えるさいに、コンピュータ的、行動主義的、あるいは言語的な説明ではなく、生物学的なやり方を採用しているからだ」(J. Searle, Mind, Language and Society, 1998)
15. 情動理解のための 文化人類学的基礎 【本編開始】

16. (1) 人類学者は、自らの専門領域の枠組みのなかで人間の情動をどのような観点から研究するのか?
17. 薄い記述=表面的・一義的
人類学における研究対象である異民族は、その表面的差異という特徴も手伝って、当初は「浅い観察」あるいは「薄い記述」でも十分仕事ができ る時代があった。しかし人類学研究が異文化間の相互理解に与する可能性が浮上すると、より「深い観察」による「厚い記述」が求められるようになってくる (Geertz 1973)。
18. 厚い記述=複雑・多義的
1980年代「表象の危機」と言われた時期以降、人びとの情動をどのように理解するかの問題は、人類学者の理解の公準としての〈社会的文脈 と解釈者主観の尊重〉により複雑な過程のなかでのみ可能であると言われるようになる(M・Rosaldo 1989)。情動というテーマは客観的記述の邪魔になる雑音ではなく、固有の文化に拘束される人間存在の様式理解の手がかりへと変化したのである。
19. The ILONGOT

For the honor of the laudable Ilongot headhuntes (名誉あるイロンゴッドの首刈りハンターたちに)


【写真】the picture taken in 1910 depicting Ilongot men and a woman in modern day Oyao in Nueva Vizcaya.
20. 首狩りと情動

・社会関係と首狩り

・M・ロザルドの方法

・首狩りできない悲しみ

・改宗の理由

[→池田光穂:紛争の文化的パターン



21. ブヤとリゲット

・情動としてのリゲット

・生命力としてのリゲット

・知識としてのブヤ

・成熟の証としてのブヤ

[→池田光穂:紛争の文化的パターン

註 釈:ブヤとリゲットがどのようなものであるのか、語用(論)についてその事例をあげたミッシェル・ロザルドの民族誌から抜粋する。 beya (原文では e の上に横棒) to know, knowledge binaya'anmi ta 'ingkalla'agi'agisi - we came to know, we realized, that we are all related 'anggin 'anakak bima'bimaya'ak nu 'ukit - even though I am a child (younger than you), I know something, a little bit (used, e.g., in oratory) wade ma 'inaraka berun beya - there is a new knowledge I have acquired (used to speak of conversion to Christianity) dima 'anak 'away suttun rinawade, beyade, 'unsawasaway de 'eliget -children don't have fitting hearts, fitting knowledge, and just for no purpose, get angry 'ubeya ma raki nu say ma bekur 'ibegebege'ande kisi nu wade rna 'emina kayra'uwanrnu - men are more knowledgeable than women, they tell us if, for instance. you say something wrong 'anggen 'ubeya ma bekur talagan 'u' adangan ma raki - even if a woman is knowledgeable. men are truly higher siyay tu tuydekentu siyay ma beya' an nima rinawatu - (in courtship) he commands her (and if she obeys), that's how her heart becomes known mad 'ibeyaksu 'amunga siwagi diken ma rinawatu - (of an undesired son-in-law) from what I can tell, it's as if his heart will separate from mine (Rosaldo 1980: 242-243) liget anger, energy, passion 'uligetak nu 'umari rna side 'enyegyeg fa rinawak - (when hunting) I am impassioned when game nears me and my heart thumps siyay dima bikllr rna 'amunga 'uli'liget fud 'abllng ten say rna pen'egkangde - it's the women who are, in a sense, the angry, energetic ones in the household, because they are always getting up mad pen'anak say rna raki rna 'en'apitan nima liget ten siya put rna rapuwan nima 'anak - in childbirth, it is the man whose passion is implicated, as that is the source of the child nu rnanngayu kami 'awana mangewef karni sa nu rneremna' an tuy ma ligetmi - when we headhunt, we don't eat sugar cane, so that our anger will not be cooled 'edde dimi sibiri nu 'ima 'uliget - (we speak nicely in oratory) so that they won't answer us with anger 'u'a'adang rna liget nima raki, nu me'apiran tu'megintu tage'a - men's anger is highest; if they are angry, they'll just go ahead and hit you 'ungreni pu rna betrangmu rna keligesirn nu 'edmu 'ibu'La ma wade nud rna rinawam - your body gets heavy when you are angry if you don't let out what is in your heart mad pinusingmu ma ligetku 'itangrarmuy man - for having broken my anger (i.e., angered me), set this down (give me this) (Rosaldo 1980: 247)

22. 首狩りの哲学

・首狩りへの情熱

・怒り・首狩り・カタルシス

・首狩りの社会的分業

・癒しとしての首狩り

・イロンゴット的反戦論

[→池田光穂:紛争の文化的パターン


23. (2)人類学者のあつかう「人間の情動」と神経生理学者のあつかう「それ」とは、いかなる共通点と相違点をもつのか?
24. 情動の取り扱い方:2つの文化

情動をあつかう人類学内部での最大の論点は、文化的様式というものがどの程度まで人間の生物学的普遍性に根ざすものなのか、それとも文化的 修飾によりほとんど無尽蔵の可塑性をもつのかというということである。

人間の生物学的普遍性に根ざすという、前者の論点の極北は神経生理学のそれと完全に一致する。

文化的修飾によりほとんど無尽蔵の可塑性をもつと主張する、後者の極南はすべての情動は文化で説明できるはずだという極端な文化主義者で ある——これを「強い文化主義」と呼ぼう。


25. 弱い文化主義

多くの人類学者は、人間は生物学的基盤をもつので、「全ての人間にあてはまる合意(consensus gentium)」は、人間の普遍性(共通性)を基盤にして後天的に学びうる文化的修飾の部分を守備範囲とする立場をとる(Geertz 1973:38-39; Kluckhohn 1953:516)——これを「弱い文化主義」と呼んでおこう。

consensus gentium とはラテン語で世論(=これもまた、全ての人間にあてはまる合意という意味で)とも訳される。これは、人間の「本性」に合致するという意 味で、いわゆる「自然法」概念にも通底する考え方なのである。
26. 我らは実証的相対主義者なり
パラダイムならびに方法論の違いにより、文化的修飾をバイアスか雑音(よくて変数)とみる傾向をもつ神経生理学者と、その探求を学問上の使 命(imperative mission)に他ならないとする人類学者の違いがあるが、実のところ人類学者の多くは折衷主義者に他ならない。なぜ折衷主義者なのかという理由だが、 それは人類学がもともと自然科学から派生した学問であり、いまだ客観的実証性(objective positivism)への信仰の痕跡を残しているのだと私は考えている。
27. (3)神経生理学者は、人類学者の言う「御託」に耳を傾けることで何か役に立つことはあるのか?
28. 情動と冷静:01 Passion & Ataraxia

人類学者が、ある社会の人びとの「情動」について研究するとは、その社会の人びとがそのように名付けられた経験を具体的にどのように生きる のかということについて調べることである。他方、これは心や意識について自然科学の観点から探究する研究者にとっては検討に値しないテーマであるようだ。 つまり日常感覚から導き出されてきた常識すなわちフォーク・サイコロジーによる説明に他ならないからである(サール 2006:105-106; Searle 2004:55-56)。

平静(平静な心、アタラクシア: ataraxia)は、エピクロス(紀元前341-270)の倫理思想には重要な意味をもつ。


29. 情動と冷静:02
ところがイロンゴットの首狩りを調査したミッシェルとレナートのロザルド夫妻のように、彼らの〈情動経験〉は我々とそれと大きく対比をな す。ただしそれは、テープレコーダーにより〈死者の声の再生〉という偶発的出来事によって発見された。常軌を逸脱する経験が、情動の人類学研究に新たな光 を投げかけた。もし神経科学者が、自らの常識(=パラダイム)の住民として得られた実験資料をそのまま加工している限り、神経科学は限りなくフォークサイ コロジーに近づく。
30. 情動と冷静:03
人類学者と神経科学者が交錯しない場合、この第三番目の問いへの答えは 「役に立つことはない」というものになる。しかし神経生理学者もまた研究論文という〈言葉〉を扱う動物である以上、その言語と概念の使用について、辛辣な 人類学者(=同床異夢の首狩り族)との協働により、思わぬ解釈をもたらすことなる。実際には bio-prospecting と同様その多くは徒労に終わるだろうが偶発的な出来事により「役に立つことも」出てくるだろう。ここで私が言いたい「深い結論」はこれにつきる。
31. Bibliography

Geertz, C., 1973. The Interpretation of Cultures. New York: Basic Press.

Kluckhohn, C., 1953. Universal Categories of Culture. in "Anthropology Today" A.L.. Krober ed., Pp.507-523, Chicago: University of Chicago Press.

Rosaldo, Michelle Z., 1980. Knowledge and Passion. Cambridge: Cambridge University Press.

Rosaldo, R. 1989. Culture and Truth: The Remaking of Social Analysis. Boston, MA: Beacon Press. Searle, John R.,1998. Mind, Language and Society: Philosophy In The Real World. New York: Basic Book.

Searle, John R. 2004. Mind: A brief introduction. Oxford: Oxford University Press.

清水展「首狩りの理解から自己の解放へ」『メイキング文化人類学』浜本満・太田好信編、Pp.237-260, 京都:世界思想社.[→池田光穂:紛争の文化的パターン


32. Other references & Acknowledgement

情動理解のための文化人類学的基礎

 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090819emotion.html

痛みの文化人類学

 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/990315pain.html

紛争の文化的パターン

 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/09081wildBerries.html

実験室における社会実践の民族誌学的研究(ウェブ版)

 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/091021index.html

謝辞:平成21年度生理学研究所研究会「感覚刺激・薬物による快・不快情動生成機構とその破綻」(世話人代表:南 雅文先生)のメンバーの先生の方 々(特に加藤総夫・東京慈恵会医科大学教授)、参加者の皆様。この度はお招きいただき誠にありがとうございます。

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