はじめによんでください
マイケル・ムーア vs. アダム・スミス
Virtual Controversy on Political Economy, Michael Moore vs. Adam Smith
クレジット:マイケル・ムーア vs. アダム・スミス:銭は暴力か?あるいはネオリベ諸国民の富;暴力について考える 池田光穂
「マイケル・フランシス・ムーア(Michael Francis Moore, 1954年4 月23日 - )は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、 ドキュメンタリー映画 監督、 テレビプロデューサー、テレビディレクター、政治活動家。全米ライフル協会の会員だったがベトナム戦争の影響で19才の時にその資格を返上した」(ウィキ ペディア:日本語より、以下同様)
(解説)→ウィキになぜ、こんな解説があるのか不明だが、彼は『ボウリング・フォー・コロンバイン』という、コロンバイン高校での生徒の銃 乱射事件のドキュメンタリーをとって、アメリカの銃社会の狂気を強烈に風刺している、からだろう。
「ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであったミシガン州フリントでアイルランド系の家庭に生まれ、フリント郊外のデイヴィソンに育つ。母は秘 書、父と祖父は組み立て工、叔父は自動車工労働組合創立者の一人で、座り込みストライキで有名だった。……ミシガン大学フリント校を中退し、22歳で隔週 刊誌『The Flint Voice』(後に『The Michigan Voice』と改名)を刊行。廃刊になったが代わりに1986年にマザー・ジョーンズ誌の編集者となりカリフォルニア州に転居する。5ヶ月後同誌におい て、サンディニスタの人権記録を穏和に非難した、ポール・バーマンによる記事の掲載を拒否したため、解雇されている」。
→彼がGMの企業城下町であるフリント出身であることは、さまざまなドキュメントのなかで表現されている。彼の郷土であるフリントは、大企 業が去った後のコミュニティがどのような末路をうむのかということを表象している点で、我が国の視聴者にも感慨深いものをもたらす(トヨタがだめになった 名古屋や、シャープが逃げたあとの三重県の亀山を想像したまえ!)
→サンディニスタは、中米ニカラグアのソモサ独裁政権を倒した革命政権(1979-1990)のこと。ニカラグア政権期における特筆できる ことは、国民の乳幼児死亡と識字率の改善であるが、少数民族対策においては、さまざまな亀裂を残し、偏執的な反共主義者のレーガン政権期では、米国の裏庭 を「共産主義の脅威から守る」ために、コントラという反政府ゲリラにホンジュラス国境側から支援した。このことに絡む複雑な武器輸出問題はイラン=コント ラ事件(1986)で有名になった。また、サンディニスタの名前の由来である、アウグスト・セサル・サンディーノ(1895-1934)のゲリラ活動期に おける残虐行為については、前の授業で解説しました(→残虐行為論)。
「1989 年に、生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画『ロジャー&ミー』で監督としてデビューする。ア ポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材する手法が話題を呼んだ。…1997 年に監督したドキュメンタリー映画『ザ・ビッグ・ワン』では『ロジャー&ミー』と同様の取材方法で、アメリカ国内の工場を閉鎖して失業者を増やし ながら、生産工場を国外に移して利益をあげるグローバル企業の経営者たちに直撃取材を敢行している」。
→米国の極端な賃金格差や、冷酷無情なレイオフ(解雇)などが、マイケル・ムーアの怒りの源泉にある。とりわけ『キャピタリズム』では、 ゴールドマン・サックスによるジョージ・ブッシュ・ジュニアの金融政策に実質的に乗っ取られたという批判が濃厚である。最終部分に登場する民主党・バラ ク・オバマ(1961- )への支持と大統領選当選(2008年11月4日)が明白なシーンを感動的に演出しているのも、このことに関係するだろう。
「アダム・スミス(Adam Smith、1723年6 月5日(洗礼日) - 1790年7 月17日)は、スコットランド生まれのイギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・哲学者である。主著は『国富論』(または『諸国民の富』とも。原題 『諸国民の富の性質と原因の研究』An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。「経済学の父」と呼ばれる」。【→アダム・スミス『諸国民の富』 ノート】
→近代経済学の父というほうが正確だろう。今日の資本主義において、国民が豊かになるとはどういうことか、また、豊かになるためには、国は どのように国家制度を運営すべきかが、きわめて明確に書いてある。古典の中の古典というよりも「近代(あるいは資本主義)の創世記」ともいえる物語なの で、この社会を肯定的に見るにせよ否定的にみるにせよ、まず、ここから始めなければならないという点で重要(アダム・スミス的発想以外で近代社会を考える 社会科学的思考法もあるので、スミスですべてがわかるわけではない)。
「『国富論』(1776)の大部分はヒュームやモンテスキュー、そして重農主義者チュルゴーといった思想家によって既に確立された理論の焼き直 しと言われるものの、市場とそこでおこなわれる競争の重要性に着目することによって、近代経済学の基礎を確立した名著であることに変わりはない。「見えざ る手」という言葉は、この著の第四篇第二章で1回使われているだけにも関わらず、非常に有名である。この文句の意味は、個人による自分自身の利益の追求 が、その意図せざる結果として社会公共の利益をはるかに有効に増進させるというものであった」。
→この部分の解説は、経済学思想はスミス以前からあったが、彼はそれを現代のものにしたという意味で独自の地位(sui generis)をもっている。だから、私は別項で「近代経済学の父」と書くべきだったとコメントしたのだ。スミスにおいては、労働、資本、市場、競争、 という4者の重要なダイナミズムにより社会が富を産出できることができ、それが循環して、最終的に労働する人びとが幸せになる(=報われる)という、理想 社会の設計図を描いたわけだ。
「労働を富の源泉としたスミスは、労働価値説の基礎を築いた理論家でもあり、労働投入量が価格を左右するという考えはリカードやカール・マルク スに支持された。またスミス以前の低賃金論に反対して、その成員の圧倒的多数が貧しい社会が隆盛で幸福であろうはずはないとして高賃金論を展開した」。
→マルクスとエンゲルスの『資本論』の原形になった(通常、経済学批判と呼ばれている)『政治経済学批判』Kritik der Politischen OEkonomie, 1859 はスミスの経済学批判であると同時に、アダム・スミスの良質の解説書にもなっていて興味深い。
【重要語彙】
来週につづく/ Not FIN, but to be continued...
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参考文献:
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