看護人類学から人類学的看護へ
Prolegomena to Anthropological Nursing
解説:池田光穂
人間における〈看護〉の概念やその実相について具体的な諸事例を通して検討する学問、あるいは医療制度における看護実践の現場を文化人類学的 に調査研究する分野を、看護人類学あるいは看護の人類学とよぶ。看護人類学は、しばしば誤解されているようだが医療人類学の亜流では決してなく、由緒正し い起源をもつ。看護研究における人間観の探究のなかで、(α)ケアの普遍的側面と、(β)ケア行動の文化的修飾に関する議論が登場し、1950年代のアメ リカ合州国における文化人類学という知的刺激により開花したものだからだ。
また、社会学分野から派生したグランデッド(グラウン デッドとも言う)理論の影響のもとで、エスノグラフィーという手法を自家薬籠中のものに して、臨床現場における質的調査研究は看護研究の中でも大きく展開した領域であることは言うまでもない。看護人類学の分野を整理すると次のような下位研究 領域とその拡がりがある。
(1)トランス文化看護学(transcultural nursing)
(2)臨床人類学あるいは病院の民族誌の研究
(3)人類学における質的研究や現象学的・解釈学的アプローチ
これらは、相互に別の研究ではなく、全体としての看護人類学を特徴づけるための基本的な認識論的枠組みをも提供している。
私は医療人類学における人類学的医学あるいは人類学的医療というテーマ構想との類推関係から、人類学的看護という概念を本講演では創造=想像 してみたい。そのためには、すでに分野として確立している医療人類学と、いまだ実践領域としては我々のいまだかつて経験したことのない人類学的医療の関係 について知る必要がある。健康と病気にかんする文化的および社会的現象を研究対象とする人類学研究を、医療人類学(medical anthropology)と呼ぶ。医療人類学という分野は、1960年代後半から70年代前半にかけて、北米の研究者を中心に徐々に成長、確立した分野 であるが、類似の研究は、医史学や民族医学というジャンルのなかで、ほぼ全世界的に1930年代頃には研究がはじまっていた。現在、文化人類学、自然人類 学、公衆衛生学、社会医学、看護学などの分野において、つぎの3つの主要な論点が具体例を通して学ばれているが、これらは、現在の医療人類学者の多くの関 心に通底する。
(a)人びとの健康と病気にかんする信条や実践は文化的に修飾された多様なものであり、それらの実態は変化している。
(b)文化的に修飾された人間の行動は、環境への適応や生物学的進化という医学的現象によっても解析可能である。
(c)それらの知見をもとに特定集団の健康と病気にかんする生活慣習への介入をおこない、人びとの生活の質を改善することができる。
医療人類学は、人類学・社会学の民族誌学的方法、第二次大戦後に本格化する国際的な医療援助の現場、臨床現場における人間行動の微細な観察の 蓄積などを背景に、健康と病気について人類学から実践的に関与しようという方向性を持ち続けてきた。つまり、身体にかかわる文化的事象を研究しようとする 人類学の学問的嗜好と、よりよい生活の質をもとめる近代医療の社会実践が折衷的に融合したものとみてよい。これに対して、人類学的な感覚と理想をもち、そ こから既存の医療を組み替えてゆく医療実践を、人類学的医学あるいは人類学的医療と呼ぼう。人類学的医療は、アーサー・クラインマンが提唱したアイディア にもとづいて、いまだ充分に実現されてはいない可能態として「きたるべき未来の医療」のことである。
この思考実験を看護学領域において実施するとどのような構図が描けるだろうか、どのように看護の実践領域に関わるのか、私(=師匠)の弟子へ の返答から考えてみたい。
弟子の質問「看護への研究での(人類学的)介入ですが、どのようなものをお考えなのでしょうか、教えてください」
師匠の応え「思いつく限り(大目標)看護業界に巣くう(A)バイオメディカルモデルとそれに関連する(B)科学主義の打破。(中目標)看護 [学術]業界が規範とする(A)医学のバイオメディカルモデルの継続した歴史的ならびに文化的相対化と、(B)アートとしての看護実践に関する事例の収集 (=ナラティブや認知的な気づきや身体論に関するものなど、ナイチンゲールとその衣鉢を継ぐ伝統の再評価)。(小目標)(A)看護に関する臨床人類学的な 調査研究、(B)ヘルスコミュニケーションの独自領域としてのナーシング・コミュニケーションの基礎理論の開拓などでしょう」
私は、看護者の日常業務への気づきを通してこのようなテーマに取り組むことが、中長期的にその観察者としての視点や実践者としての具体的行動 を組み替えてゆくのではないかと信じている。人類学的看護とは、文部科学省や厚生労働省が何か「変革の物語」という喧伝を通して生まれてゆく大袈裟で大層 なものでなく、日々の臨床経験を内省的にずらし――例えばR・ショーンのやり方を通して――同じ職場の人達との実践的対話を通して着実に実現されてゆくも のではないかと私は信じている。講演では(許されるかぎり)皆様との対話を通して、この夢を共有していきたい。
(c)Mitsuho Ikeda, 2011