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以上は「
デザイナー・ベイビーについて考える」に関しての
臨床コミュニケーションの授業(2013年4月30日)での課題です。(下線でリ
ンクします)
さて、それに対して、6つのグループで討論した内容を、板書にしたがって、池田光穂が各班(〜組で表記)の意見表明の板書を事後的に整理したものです。
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■わたべ組
グループで話しあった結果、最初の問いかけ(1)には、科学的にできると答えた人は6人中4名、できないは2名でした。また倫理的には、できる/できな
いの意見が分かれ、以下のようでした。すなわち、できるという意見には「それをやらなければケイトが死んでしまう」「(腎臓のひとつをあげて)移植しても
アナは死なない」というものでした。また倫理的にできない理由としては、「アナの人生とは何なのか?(意味がある)」「彼女の身体的負担はどうなの?」
「アナとケイトの命の選別をされている」「アナとケイトをハカリにかけてもよいのか」という意見でした。
(2)第2番目の問いかけ(=アナの権利擁護をどうする?)には「家族だったらドナーになる義務があるのか?」という反論がある、というものでした。
■うえの組
グループで話しあった結果、最初の問いかけ(1)には、科学的にできる/できないというの議論には「わからない」「知らない」というものでした。そして
倫理的にはできる/できないの意見が分かれ、できる立場には、もし親からの愛がアナに降り注がれていたら可能なのではないかというものでした。そして倫理
的にそのようなこと(=ある子供のスペアパーツのように別の子供を産むこと)は「自然に反する」ものでした。またそのことをスペアパーツとして生まれてき
た子供(=映画ではアナ)がそのことを知るとショックになるという危惧も表明されました。
(2)第2番目の問いかけ(=アナの権利擁護をどうする?)には、親の意見(=「臓器提供の拒否をしたらアナの存在意味がなくなるよ」という両親の主
張)に対して異論(反対)と賛同(賛成)の意見がなされました。親の意見「臓器提供の拒否をしたらアナの存在意味がなくなるよ」に対する反対意見は、「そ
れだけがアナの存在価値ではない」人間として生まれてきたのだからというものです。他方、賛同する意見には、アナが抵抗しても「親に否定されたらやはりア
ナの存在価値がなくなってしまうだろう」というものでした。
■たけうち組
グループで話しあった結果、最初の問いかけ(1)には、科学的には「可能」で、倫理的には「だめ」というものでした。(2)第2番目の問いかけ(=アナ
の権利擁護をどうする?)には、親の意見(=「臓器提供の拒否をしたらアナの存在意味がなくなるよ」という両親の主張)には反対だけど、それだけだったら
「ケイトがかわいそう(可哀想)」という親の立場を消極的だが擁護する意見もありました。いずれにせよ、その人の存在価値とは、個人が決めるものであり、
アナにも自我があるけど、また同時に、他人——この場合は両親——もまたその人の存在価値を決める立場にあることわかりました。
■まつむら組
デザイナー・ベビーは「救世主キョウダイ」と言われ「親が外見等を望んでデザインした」赤ちゃんのことだと言われています。最初の問いかけ(1)には、
科学的には、性別や遺伝子のみで決定される生物学的な特性は「デザイン」することができますが、性格など環境因子に左右するものを造ることはできないとい
う意見です。倫理的には、反対と賛成の意見の両方がありました。(2)第2番目の問いかけ(=アナの権利擁護をどうする?)には、親の意見を支持する人
は、やはりアナには「人は社会的生き物だから、その責務を果たすべき」という擁護論がありました。しかし親の意見に異論を与えるひとは、両親にしてもそれ
は「言いすぎ」なのではないか、というものでした。
■きたむら組
最初の問いかけ(1)には、英国では、血液などを目的とするものはすでになされており、倫理的な一定の基準が満たされることが期待されているということ
でした。この倫理的な意味での可能/不可能は、それぞれ立場によって変わるのではないかということです。すなわち、病人本人なら「感情的に(自分のスペア
パーツを提供するキョウダイの誕生は)嫌だと思う」意見がある一方で、できるのであれば「助かりたい、可能性にすがりたい」という意見もありました。他方
で、もし親の立場なら、スペアパーツを提供するキョウダイを造ることは「理解できる」というものでした。しかし、生まれる前には「ドナー(=臓器提供者、
すなわちスペアパーツを提供するキョウダイ)として考えているが、生まれると自分の子供になる」ためにジレンマに苛まれるだろうということです。(2)第
2番目の問いかけ(=アナの権利擁護をどうする?)には、親の意見を支持する人はいませんでした。なぜなら、アナに対して「産まれた理由」がないから「生
きる価値はない」とは言えないだろうというものでした。親とアナの「責務」が合致するようには思えないと考えることができます。
■いぐち組
最初の問いかけ(1)には、科学的にはできるだろうという意見です。他方、倫理的には貰う側とあげる側で意見がかわるというものでした。本当は、デザイ
ナーベビーではなく、iPS(induced pluripotent stem,
人工多能性幹細胞)などの技術がもっと発展することが望ましい。科学技術に期待するするという意見表明がありました。(2)第2番目の問いかけ(=アナの
権利擁護をどうする?)には、親の意見に異論と賛成の2つがありました。異論は、やはり「アナはデザイナーベイビーとして生まれてきたわけではない」とい
う主張がありました。ただしこれには疑問があり「生まれてきた意味なに?」という問題がつきまとい、アナのみならず、我々もまた、生まれてきた意味を分
かっている人ははたしているのだろうかというものです。他方、両親の意見(=臓器移植を同意しないのは生きるに値しない)をそのまま支持する人はいません
でした。なぜなら「姉を助けることだけをアナの生きる目的とするのはナンセンス」だからです。でもアナは臓器提供してもよいと判断できる理由もあります。
なぜなら「アナちゃんは(腎臓移植という)臓器提供で死ぬわけではないから」。ただし、それはアナが完全なスペアパーツになることではなく、彼女にも生き
る権利はあるからです。
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