はじめにかならずよんでください

生命倫理学への医療人類学の貢献

(2007年のレクチャーより)

解説:池田光穂

生命倫理学への医療人類学の貢献

ここで言う生命倫理学とは広義のものであり医療倫理学を包摂するものである。医療人類学はこの分野に、どのような貢献をしてきただろうか、また今後どの ような貢献が可能であろうかということを最後に指摘して本章を閉じたい。

それは人間の生き方について考える際に直面する価値 判断に関わる事柄についてである。医療人類学者は人々の認識や経験に関する知識を大切にする。そのた めにフィールドで起きた事柄について認定をおこなう際にも、当事者たちの主張、周囲にいた人たちの意見、そして立証に使えるさまざまな証拠などを用いて多 角的に判断しようとする。そのために、つねに認識論的な相対主義――物事の理解はさまざまな立場を取ることで多角的に理解されるはずだという考え方をとる ものの見方――の立場をなるべく保持しようとする。しばしば誤解されるのでここで正しておかねばならないが、これは現場にいて何もしないというニヒリズム のことではない。現場にいて彼ら/彼女ら自身の判断に身を委ねたり、あるいは自分自身の信条と判断で行動をしたりすることが、現場で何がおこったのかにつ いての理解にも影響を与えており、このことについて自覚的であろうとすることなのだ。

このような方法の最良の成果のひとつは、前節で紹介 した疾病/病気/病いの三分類である。病者は病いを生き、医療者は疾病を治療しようとする。この認識 論的な区分の確立は、医療における患者の主観的体験を理解するための理論的素地を提供した。より具体的には、治療時の問診の際には病気と疾病の区分を治療 者や看護者が自覚することは患者とその家族へのより多角的なケアのために役立つことを証明した。

医療紛争のケースを医療人類学の観点から分析すれ ば、治療時における患者や家族が理解したことやその治療への期待と、治療者が事前に説明する際に考えていたことや科学的な予測(予後)には、大きく離れて いることをしばしば発見することがある。そのために治療の〈失敗〉をめぐる双方の当事者たちの理解も大きく異なっている。さらに医療紛争が法廷や和解調停 などの法的な次元に移れば、そこで考えられている「過失」や「謝罪」の理解にも双方の側で大きな隔たりがあることがある。このようなケースでは、文化に よって一定のパターンがみられる。それゆえ医療人類学者は、今後その紛争について、フィールドワークと民族誌という方法論をもってこの分析に介入してくる だろうし、また、それらの知識を裁判外での調停などに有効に利用されることも夢ではなかろう。価値判断に関わりながらも、その外部から判断の文化的パター ンを冷静に分析することを通して、事象を多角的に考える能力を鍛え上げる。これが隣接する社会医学の研究者に対する医療人類学者のひとつの貢献である。


    1. 医療人類学とはなにか?
    2. 医療人類学はなぜ面白いのか
    3. 医療人類学を使うための〈概念的わざ〉
    4. 生命倫理学への医療人類学の貢献

他山の石(=ターザンの新石器)

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