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医療人類学はなぜ面白いのか

Why is the studying medical anthropology fun?: because there are both interesting and critical point of view!

解説:池田光穂

医療人類学はなぜ面白いのか

医療人類学が台頭してきた背景には、1960年代末から70年初頭に先進国を中心に吹き荒れた近代医療制度批判ひいては科学そのものへの根本的な見直し があったことがよく知られている。現代日本の若者で、このことに歴史的リアリティを感じない人がいたら、その当時に青春時代を過ごした人に聞いてみるとよ いだろう——実はこのようなインタビュー行為はすでに医療人類学の実践なのである(このページはインタビュー記事が元になっています)。そこで医療人類学がその批判の対象としたのは、近代医療であった。医療 人類学が医療と人類学の両方の研究者にもたらす魅力とは、近代医療の文化的な成り立ちに関する批判的判断力にあるといっても過言ではない。この主張の代表 は、近代医療が当時信じられていたほど十分な効果をあげていないというもので「西洋医学の治療神話」ないしは短く〈治療神話〉批判と呼ぶ。ここでは近代医 療批判のポイントを「〜でない」という否定形の形で表し、医療人類学がそれらにどのように答えるのかについて示してみよう。

(i)人間の身体では生物医学的反応だけがみられるわけではない

これに対する医療人類学者の応答はこうである。「人 間の身体は生物学的実体のみならず文化社会的実体でもある。医学研究には、生物学的な解明と〈同時 に〉文化社会的解明が不可欠である。この解明には人類学という学問の特徴である総合的観点が求められる」。

(ii)近代医療の医師だけが患者を治療する存在ではない

これに対する医療人類学の応答はこうである。「多く の社会においてシャーマンや呪術師をはじめとしてさまざまなタイプの治療者があり、治療のタイプや病 気の原因とその解消についても多様性がある。医療をシステムとして見たときに、このようなパターンは幾通りかの組み合わせの要素として抽出し分類すること ができる。人間なぜこのような治癒のシステム(healing systems)を作り出したのか。医療人類学はこの問題について具体的なデータをもって挑戦しようとするだろう」。

(iii)近代医療だけが病気を征圧したり克服したりしてきたのではない

これに対する医療人類学者の応答はこうである。「人 間の病気の〈克服〉というプロセスの中に、医療従事者たちの英雄主義を見るのではなく、人間の生物学 的ならびに文化的〈適応〉や〈順応〉というプロセスの中に生物学的実体と社会的実体との相互作用というダイナミズムを見るのがこの学問だ」。

(iv)「苦悩や苦しみ(病気)は、人間にとって否定的な意味だけをもつのではない」

これに対する医療人類学者の応答はこうである。「苦 悩や苦しみは、それぞれの社会や文化でパターン化されている。近代医療の疾病論もまたそのパターン化の ための文化的装置のひとつであろう。他方、パターン化されてもなお人間の生活の実相の中に登場する固有の苦悩や苦しみがある。文化主義によれば人間の病気 からの解放のプロセスもまたパターン化して分析可能であるが、同時に人間の苦悩はその個々の事例のなかで豊かな意味をもつ。これらを解読する理論は人類学 研究ではこれまで豊富に用意されてきており、苦悩の意味(意義)の解明にこの学問は挑戦するのだ」。

これらについて応答している医療人類学者はなぜこれほどまで確信をもって言えるのだろうか。医療人類学のユニークさ(傲慢さ?)の秘密は、これらの発想 のインスピレーションを他者あるいは他者性の概念に求めているからである。医学研究も医療人類学も、究極的には共に人間とは何かについて探究する学問であ るが、前者はそのイメージを人間がもつ普遍的な属性——その典型はかつては〈細胞〉であり、現在では〈免疫系〉や〈遺伝子〉——に求められるのに対して、 医療人類学は社会的文化的存在としての人間を丸ごと捉えようとする。他者すなわち〈具体的な個々の人間〉の諸相は、社会や文化という〈環境〉の中にあり、 病気や健康とはそのダイナミックな相互作用のひとつの結果であると考えるのである。

したがって医療人類学者は、患者や治療者という具体 的な〈他者〉のことが知りたい。そのために〈他者〉のいるところへ出かける(=これをフィールドワー クの実践という)。フィールドのワークの経験を記録し、それを報告書の形にまとめる(=これを民族誌をつくるという)。もちろん、報告書をまとめるのは、 研究費を支給してくれる関係諸機関への調査実施の証明をすることである。しかし医療人類学者が本当に目指すところは、その報告書を他の同業者ないしは志を 同じくする研究者に読んでもらうことにある。その議論や理解のやり方が妥当かどうかを議論する素材を提出し、議論をより客観的で公共なものにすることだか らである。

近代がだめだから伝統医療がいいのだとか、伝統医療を専門に研究できるのは民族学者・民俗学者・文化人類学者がおこなうのだというのも、あまりにもばかばかしくてでナイーブな考え方だ。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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