公的領域と私的領域に関する議論
On Hanna
Ardent's discussion of "The Public and the Private Realm"
池田光穂
第2章 公的領域と私的領域(ハンナ・アーレントの 議論に関するノート)
アレント、ハンナ『人間の条件』志水速雄訳、Pp.43-131、筑摩書房、1994年
——「私の意図は……〈活動的生活〉の活動力の政治的意味をある程度確実に明らかにしようとすることである」(アレント 1994:110)。
■活動的領域と人工物の関係
「〈活動的生活〉とは、なにごとかを行なうことに積極的に係わっている場合の人間生活のことであるが、この生活は必ず、人びとと人工物の世界に根ざしてお
り、その世界を棄て去ることも超越することもない。物と人とは、それぞれの人間の活動力の環境を形成しており、このような場所がなければ人間の活動力は無
意味である。……人間生活は、たとえ自然の荒野における隠遁生活であっても、直接間接に他の人間の存在を保証する世界なしには、不可能である。」(アレン
ト 1994:43)。
■活動の排他的独占性と他者への依存
「こうみると、活動だけが人間の排他的な特権であり、野獣も神も活動の能力をもたない。そして、活動だけが、他者の絶えざる存在に完全に依存しているのである」(アレント 1994:44)。
■トマス・アキナス
homo est naturaliter politicus, id est, socialis.
人間は本性上政治的、すなわち社会的である。(アレント 1994:44)。
■社会という言葉=政治的意味=人々の同盟
「つまり、この言葉は、人びとが他人を支配したり、犯罪をおかしたりするとき団結するように、ある特別の目的をもって人びとが結ぶ同盟を意味していた」
(アレント 1994:45)。societas generis humani
■ギリシャ思想における都市国家の領域区分
「ギリシア思想によれば、政治的組織を作る人間の能力は、家庭(oikia)と家族を中心とする自然的な結合と異なっているばかりか、それと正面から対立 している。都市国家の勃興は、人間が「その私的生活のほかに一種の第二の生活である政治的生活」を受け取ったということを意味していた。「今やすべての市 民は二種類の存在秩序に属している。そしてその生活において、自分自身のもの(idion)と共同体のもの(koinon)との間には明白な区別がある」 (アレント 1994:45)。
■ポリスの確立により伝統的なものが解体される=政治的なるものの誕生
「人間の共同体に現われ必要とされるすべての活動力のうち、ただ二つのものだけが政治的であるように思われ、アリストテレスが政治的生活と名づけたものを
構成するように思われた。すなわち活動(プラクシス)と言論(レクシス)がそれである。そして、そこから人間事象の領域(プラトンがいつも呼んでいた言葉
を用いればta ton anthropon
pragmata)が生じるのであるが、そこからは単に必要なもの、あるいは有益なものは、一切厳格に除かれている」(アレント 1994:46)。
■言論活動の優位
「ギリシア人の自己理解では、暴力によって人を強制すること、つまり説得するのではなく命令することは、人を扱う前政治的方法であり、ポリスの外部の生活
に固有のものであった。すなわちそれは、家長が絶対的な専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有のものであり、その専制政治がしばしば家族の組
織に似ているアジアの野蛮な帝国の生活に固有のものであった」(アレント 1994:47)。
■理性的動物(animal rationale)
「理性的動物(animal
rationale)という語は、「社会的動物」という語の場合と同じ基本的誤解にもとづいている。アリストテレスは、人間を一般的に定義づけようとした
のでもなければ、人間の最高の能力を示そうとしたのでもなかった。彼にとって、人間の最高の能力とは、logos
すなわち言論あるいは理性ではなく、nous
すなわち観照の能力であって、その主要な特徴は、その内容が言論によっては伝えられないところにある」(アレント 1994:48)。
■政治的は社会的ではない:ギリシャ語からラテン語への翻訳の誤り
※政治的領域と社会的領域を同一視する誤解が生じた。ギリシャ語(政治的なるもの)からラテン語(社会的なるもの)へと翻訳し、かつローマ=キリスト教思
想への取り込みのなかで〈政治的領域と社会的領域を同一視する誤解が生じた〉
「「政治的」という言葉を「社会的」という言葉に置き代えたラテン語訳には、もちろん、大きな誤解が含まれている。この誤解は、おそらく、トマス・アクイ
ナスが、家族支配を政治支配と比較している議論の中に、最もはっきりと示されている」(アレント 1994:48)。
「生活の私的領域と公的領域の聞の区別は、家族の領域と政治的領域の区別に対応しており、それはもともと、少なくとも古代の都市国家の勃興以来、異なった
別の実体として存在してきた。しかし、厳密にいうと、私的なものでもなく公的なものでもない社会的領域の出現は比較的新しい現象であって、その起源は近代
の出現と時を同じくし、その政治形態は国民国家に見られる」(アレント 1994:49)。
■公的領域=ポリスの領域/私的領域=家族の領域、の区別
古代ギリシャでは自明視されたこの峻別が、我々の生活では曖昧になる。公的領域は、家族の領域の「巨大な民族大の家政」という拡張概念のもとで捉えられ
ている。National Economy, or Social Economy= Volkwirtschaft, means as
"Collective Housekeeping"
「すなわち、家族の集団が経済的に組織されて、一つの超人間的家族の模写となっているものこそ、私たちが「社会」と呼んでいるものであり、その政治的な組
織形態が「国民」と呼ばれているのである。したがって、この問題を古代の思想によって考えれば「政治経済(ポリテイカル・エコノミー)」という用語は形容
矛盾であるけれども、私たちにとっては、それが形容矛盾であるとは考えられない。古代の思想にとってそれが形容矛盾だというのは、「経済的」なもの、すな
わち個体の生命と種の生存に係わるものはすべて、定義上、非政治的な家族問題だったからである」(アレント 1994:50)。
■公的領域は(家族の)私的領域を犠牲にして起こったのではない/あるいは私的領域の神聖性の理由はただ単に私有財産への敬意のためでもない。
私的領域=家族の領域をもつことは公的領域の存立の基本的前提である。
「そうでなく、家をもたなければ、人は、自分自身の場所を世界の中にもつことができず、そうなれば、世界の問題に参加できないからであった。プラ
トンは、
その政治計画によれば、私有財産を廃止し、公的を広げるために私的生活を完全になくしてしまおうとした人である。そのプラトンでさえ、やはり境界線の守護
神ヘルケイオスのことを深い敬意をこめて語り、一つ一つの領地の間の境界線(ホロイ)を、なんの矛盾を感じることもなく神的なものと呼
んでいたのである」(アレント 1994:51)。
■生命としての家族生活、必然としての家族
「人びとが家族の中で共に生活するのは、欲求や必要によって駆り立てられるからである。家族の領域の特徴がここにはっきりと現われている。この駆り立てる
力は生命そのものであってーー家族の守護神であるいはペナテスは、プルタルコスによれば、「われわれの肉体に栄養を与える神」であったーーそれは、個体の
維持と種の生命の生存に、他者の同伴を必要とする。個体の維持が男の任務であり、種の生存が女の任務であるというのは明らかであって、この両方の自然的機
能、つまり栄養を与える男の労働と生を与える女の労働とは、生命が同じように必要とするものであった。したがって家族という自然共同体は必要=ネセシティ
〔必然〕から生まれたものであり、その中で行なわれるすべての行動は、必然〔必要〕によって支配される」(アレント 1994:51)。
■ポリスの領域(公的=政治的領域)は自由の領域である
「この二つの領域の間になにか関係があるとすれば、当然それは、家族内における生命の必然〔必要〕を克服することがポリスの自由のための条件である、とい
う関係になる」(アレント 1994:51)。
■政治は社会を保護するという手段にすぎない発想はなくコントロールする
ポリスの領域(公的=政治的領域)は自由の領域を確保するために、政治的権威による抑制を必要とする。「政治的権威による抑制を必要とし、正当化するのは
社会のための自由(ある場合には、一般にいわれている自由)である。こうして、自由は社会的なものの領
域に位置し、力あるいは暴力は統治の独占物となる」(アレント 1994:52)。
■ギリシャ哲学者たちの前提:必然=私的家族組織(前政治的現象)=暴力もまた。【暴
力は前政治的な行為である】
「そして力と暴力がこの領域で正当化されるのは、それらがーーたとえば奴隷を支配することによってーー必然を克服し、自由となるための唯一の手段であるか
らだということを当然なことと見ていた。すべての人間は必然に従属しているからこそ、他者にたいして暴力をふるう資格をもつ。つまり、暴力は、世界の自由
のために、生命の必然から自分自身を解放する前政治的な行為である」(アレント 1994:52)。
「この自由は、ギリシア人が至福 eudaimonia
と名づけたものの不可欠の条件であった。この至福というのは、なによりもまず健康と富に依存する客観的な状態である。逆にいえば、貧困あるいは不健康であ
ることは、肉体的必然に従属することを意味し、これに加えて、奴隷であることは、人工の暴力に従属/することを意味した」(アレント
1994:52-53)。
■安定は人間を奴隷的にすると考える古代ギリシャの自由人
「このため貧しい自由人は、定期的に保証された仕事よりは、日々変わる労働市場の不安定のほうをむしろ好んだ。定期的に保証された仕事は、毎日自分が好む
通りのことをする自由を制限するから、すでに奴隷的(douleia)と感じられ、多くの家内奴隷の安易な生活よりも、むしろつらく苦痛の多い労働のほう
が好まれたのである」(アレント 1994:53)。
■ホッブスの自然状態=前政治的状態(?意味がよくとれない?)
「前政治的力は、家長が家族と奴隷たちを支配するためのものであり、この力が必要だと感じられたのは、人間は「政治的動物」である前にまず「社会的動物」
であるからである。しかし、このような前政治的力は、混沌とした「自然状態」とはなんの係わりもない。一七世紀の政治思想によれば、人間が「自然状態」の
暴力を免れることのできるのは、まず政府を樹立し、その政府が権力と暴力を独占し、「万人を畏敬させる」ことによって「万人の万人にたいする闘争」を廃止
する場合だけであった。それはともかく、むしろ私たちが理解しているような意味での支配と被支配の概念、統治と権力の概念のほうが、それに付随する規制さ
れた秩序の概念も含めて、全体として、前政治的なものであり、公的領域ではなく私的領域に属するものであると感じられていた」(アレント
1994:53)。
■ポリスの平等/家族の不平等
「ポリスにはただ「平等者」だけしかいないのに、家族は厳格な不平等の中心であるという点で、両者は区別されていたのである。自由であるということは、生 活の必要〔必然〕あるいは他人の命令に従属しないということに加えて、自分を命令する立場に置か/ないという、二つのことを意味した。それは支配もしなけ れば支配されもしないということであった」(アレント 1994:53-54)。
■家族のなかでは(家長ですら)自由ではない
「このように、家族の領域の内部では自由は存在しなかった。その支配者長が自由であると考えられたのは、ただ、彼が家族を去り、万人が平等である政治的領
域に入ってゆく権力をもっていたからにすぎない」(アレント 1994:54)。
■平等は(今日のように)正義とは結びつかず、自由の本質であった
「平等は、現代のように正義と結びついているのではなく、ほかならぬ自由の本質だったのである。つまり、自由であることとは、支配に現われる不平等から自
由であり、支配も被支配も存在しない領域を動くという意味であった」(アレント 1994:54)。
■現代における社会的領域と政治的領域の区分の曖昧さ
「現代世界においては、社会的領域と政治的領域があまりはっきり区別されていない。政治は社会の機能にすぎず、活動と言論と思考は、なによりもまず社会的
利害の上部構造であるというのはカール・マルクスの発見ではなく、むしろ、マルクスが近代の政治経済学者から無批判に受けついだ自明の仮定の一つである。
このように政治が社会の機能となったおかげで、二つの領域のあいだに重大な深淵があることを認めることができなくなった。これは理論あるいはイデオロギー
の問題ではない」(アレント 1994:54)。
■社会的領域と政治的領域の曖昧さは「政治が社会の機能となったおかげ」である。
「というのは、社会が勃興し、「家族(オイキア)」あるいは経済行動が公的領域に侵入してくるとともに、家/計と、かつては家族の私的領域に関連していた
すべての問題が「集団的」関心となったからである。現代世界では、公的領域と私的領域のこの二つの領域は、実際、生命過程の止むことのない流れの波のよう
に、絶えず互いの領域の中に流れこんでいる」(アレント 1994:54-55)。
■政治と社会の間の深淵が埋まること=近代の特色
「家族の狭い領域を日々飛び超え、政治の領域の中に「攀じ登る」ために、古代人たちが渡らなければならなかった深淵が消滅したというのは、本質的に近代の
現象である。私的なものと公的なものとの間のこのような深淵は、中世にもまだ存在していた。しかし、その頃になるとすでに、それはその意味を多く失い、そ
の場所を完全に変えていた。ローマ帝国の没落後、以前には都市政治の特権であった市民権抗代わる代替物を人びとに与えたのは、カトリック教会であるといわ
れている。これは正しい。中世では、日常生活の暗黒と聖なるものすべてに見られる壮大な輝きとの間に緊張があり、同時に、世俗的なものから宗教的なものへ
の上昇があった」(アレント 1994:55)。
■私的利害の公共的意味の僭称と「共通善」あるいは共食ないしは、私的領域の排他性
「この商業会社の場合、「それがもともと共同家族であったということは、'company' (companis)
という言葉そのものによって‥‥(また〉『同じパンを食べる人びと』、『同じパンと同じ酒を共にする人たち』というような言葉によって示されるように思わ
れる」。「共通善」という中世の概念は、政治的領域の存在を示していない。それは、ただ、私的な個人が物質的、精神的な共通の利益をもっということを示し
ているだけであり、さらに、私的個人が自分の私生活を維持することができ、進んでこの共通の利益を探し求めようとしさえするなら、彼ら自身の家業にたずさ
わることができるということだけを確認しているにすぎない。政治にたいするこの本質的にキリスト教的な態度が近代の現実と違う点は、前者が「共通善」を承
認していたということにあるのではなく、むしろその私的領域の排他性にある。また、中世では、私的利害が公的な意味を僭称して、「社会」と呼ばれる奇妙に
雑種的な領域が欠如していたということにある)(アレント 1994:56)。
■勇気という徳の復権(創造?)=マキャヴェリ
「中世の政治思想がもっぱら世俗的領域に係わりをもち、家族内部の保護され/た生活とポリスの容赦なく身を曝される生活との深淵に気がつかず、したがっ て、最も基本的な政治的態度の一つである勇気という徳については、なにも知らなかったということは驚くにあたらない。むしろ驚くべきなのは、政治にふたた び古い尊厳を回復するために異常な努力を払う過程で、この深淵を認め、これを渡るのに必要な勇気のようなものを理解した唯一の古典後の政治理論家が、マ キャヴェリであったということである」(アレント 1994:56-57)
「したがって勇気はすぐれて政治的な徳となった」(アレント 1994:57)。
■普通の生活と「善き生活」の峻別の厳格さ
「普通の生活と「善き生活」というこの二つの生活を区別するとき、ギリシア人の政治意識の根本には、匹敵するもののないほどの明噺さと明瞭な区別の意識が
見られる。生計を支え、ただ生命過程だけを維持する目的に向けられた行動は、なに一つ政治的領域ヘ入ることを許されなかった。このために、商業や製造業が
勤勉な奴隷と外国人の手に委ねられるという重大な危機が生じたほどである」(アレント 1994:58)。
「実際、アテナイは、マックス・ウェーバーが非常に生き生きと描き出したような、「消費者プロレタリアート」の「年金都市(ペンションポリス)」となっ
た」(アレント 1994:58)。
■自由な政治ですら必然(=生命=私的生活)に結びつく
「ソクラテス学派の教義のこのような側面は、やがて公理的なものとなり、陳腐とさえなるが、当時は、すべてのものの中でもっとも新しく、もっとも革命的で あった。そしてそれは、/政治生活の実際の経験から生まれたのではなく、むしろ政治生活の重荷から自由になりたいという欲求から生まれたものである。哲学 者たちが、自分なりの理解でこのような欲求を正当なものとしたのは、すべての生活様式の中で最も自由な政治生活でさえ、依然として必然〔必要〕に結びつ き、それに従属しているということを立証したからにほかならない」(アレント 1994:58-59)。
「彼ら(=プラトンとアリストテレス)にとって、たしかに家族における生活の必要を克服しない限り、生命も「善き生活」もありえなかった。しかし、政治は
けっして生命のためではない。ポリスの構成員にかんする限り、家族生活はポリスにおける「善き生活」のために存在するのである」(アレント
1994:59)。
■「私たちは今日、私的なものを親密さ(インティマシー)の領域と呼んでいる」(アレント 1994:60)。
■プライバシーとはなにか(公的なもの)を奪われているということなのだ
「古代人の感情では、言葉それ自体に示されているように、私生活の privative
な特徴、すなわち物事の欠如を示す特徴は、極めて重要であった。それは文字通り、なにものかを奪われている(deprived)状態を意味しており、ある
場合には、人間の能力のうちで最も高く、最も人間的な能力さえ奪われている状態を意味した」(アレント 1994:60)。
■プライバシーは近代では社会的領域にむすびつく?(最初の文は対峙すると書いて、後の文は結びつくと書いている=要、原文チェック)
「いかえると歴史上、/決定的な事実は、親密なものを保護するという最も重要な機能をもつ近代の私生活が、政治的領域と対立しているというよりは、むしろ
社会的領域と対立していることが発見されたということである。したがって、ある意味で、近代の私生活は、政治的領域よりもむしろ社会的領域のほうに密接か
つ確実に結びついている」(アレント 1994:60-61)。
■親密さの擁護者・理論家のルソー
「親密さの最初の明噺な探究者であり、ある程度までその理論家でさえあったのは、ジャン=ジャック・ルソーである。彼は、まったく特徴的なことに、いまだ
にしばしばファースト・ネームだけで呼ばれる唯一の大著述家である。彼が自分の発見に到達したのは、国家の抑圧にたいする反抗を通してではない。むしろ、
人間の魂をねじまげる社会の耐え難い力にたいする反抗や、それまで特別の保護を必要としなかった人間の内奥の地帯にたいする社会の侵入にたいする反抗を通
してであった。私的な家族と違って、魂の親密さは、世界の中に客観的で眼に見える場所をもたない。しかも魂の親密さが抗議し、自己主張する相手側の社会
も、公的空間と同じような確実な場所をもつことができない」(アレント 1994:61)。
「彼(=ルソー)の気分はたえまなく変化し、その情緒生活は過激な主観主義に満ちている」(アレント 1994:61)。
「私的な家族と違って、魂の親密さは、世界の中に客観的で眼に見える場所をもたない。しかも魂の親密さが抗議し、自己主張する相手側の社会も、公的空間と
同じような確実な場所をもつことができない」(アレント 1994:61)。
■社会に対する反抗的態度
「この反抗的態度は、なによりもまず、社会的なるものが押しつける一様化の要求に向けられていた。今日でいえば、すべての社会に固有の画一主義に向けられ
ていたのである。たしかに、トックヴィル以来、私たちも画一主義を非難するし、その場合、平等の原理ーを根拠とする。しかし、忘れてならない重要なことで
あるが、ルソーやロマン主義者の反抗は、このような平等の原理が、社会的領域においても政治的領域においても、まだ自己主張をしないうちに起こっているの
である。この場合、国民が平等者たちから成り立っているのか、不平等者たちから成り立っているのかということは重大な問題ではない。社会というものは、い
つでも、その成員がたった一つの意見と一つの利害しかもたないような、単一の巨大家族の成員であるかのように振舞うよう要求するからである」(アレント
1994:62)。
「古代人が家族の組織的仕組みであると述べていた一人支配(ワンマン・ルール)は、社会においては、一種の無人支配(ノーマン・ルール)に変貌する」(ア
レント 1994:63)。
■公的領域のなかでは自らが善き人であることを示さねばならない
「公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分を常に他人と区別しなければならずユニークな偉業や成績
によいて、自分が万人の中の最良の者であること(aien
aristeuein)を示さなければならなかった。いいかえると公的領域は個性のために保持されては人びとが、他人と取り換えることのできない真実の自
分を示しうる唯一の場所であった。各人が、司法や防衛や公的問題の管理などの重荷を多かれ少なかれ進んで引き受けていたのは、真実の自分を示すというこの
チャンスのためであり、政治体にたいする愛のためであった」(アレント 1994:65)。
■人口増加による社会的なものの意味の浮上
「一定の政治体で人口が殖えれば殖えるほど、公的領域を構成するものが、政治的なるものよりは、むしろ社会的なるものに次第に変わってゆくということであ
る」(アレント 1994:66)。
■共産主義の虚構とマルクス主義
「「共産主義の虚構」を取り入れ、社会全体には「見え/ざる手」によって人びとの行動を導き、その対立し合う利害の調和をもたらすような唯一の利害が存在 すると仮定しなければならなかったのは、カール・マルクスではなく、自由主義の経済学者たちであった。マルクスとその先駆者たちの違いは、たその時代の社 会に現われていた放蕩の現実のほうを見ていたという点にある。もっともその受け取り方の真面目さでは、仮説的な調和の虚構を信じていた自由主義者と変わり はなかったが。マルクスは、「人間の社会化」が全利害の調和を自動的に生み出すだろうという結論を引き出した点で正しかった。そして、すべての経済理論の 根底にある「共産主義の虚構」を現実に樹立すべきだと提案したとき、マルクスは自由主義者である彼の教師たちより勇気があったにすぎない。マルクスが理解 しなかったこと——そして彼の時代には理解できなかったことーーは、共産主義社会の萌芽はすでに国民的家族(ナショナル・ハウスホールド)の現実の中に現 われているということ、そして、それが完全に発達するのを妨げているのは階級利害のようなものではなくて、すでに時代遅れとなっていた国民国家の君主制的 構造だけであるということであった」(アレント 1994:67-68)。
「社会が完全に勝利するとき、必ず、ある種の「共産主義の虚構」が生み出されるだろう。/このような虚構の顕著な政治的特徴は、社会が実際に「見えざる
手」によって支配されているということ、裏返していえば、社会がだれによっても支配されていないということである」(アレント 1994:68-69)。
■行動科学の勃興
「経済学に続いて、今や社会科学全部を包括すると称する「行動科学」が現われ、人間の活動力にかんする限り、人間を全体として条件反射的な行動的動物の水
準にまで引き下げようとしているのである。いいかえれば、経済学は初期段階の社会科学であって、行動規則を、まだ住民の一部分にのみ適用し、活動力の一部
分にのみ押しつけていただけであった。これにたいして「行動科学」の勃興は、明らかにこの発展の最終段階にあって、大衆社会がすでに国民のすべての階層を
飲み込み、「社会行動」がすべての生活分野の基準となったことを示している」(アレント 1994:69)。
■社会性の浮上、ふたたび
「大衆社会では、社会的動物としての人間が最高位を支配し、その上、種の生存が全世界的な規模で保証されることも明らかである。しかし、それと同時に、大
衆社会は、人類を滅亡の危機に陥れることもできる。このようなことは、いずれも、ヒトの一者性が幻想でもなければ、古典経済学の「共産主義の虚構」のよう
な単なる科学上の仮説でもないという理由にもとづいている」(アレント 1994:70)。
■労働の中心的主題化
「社会が生命過程そのものの公的組織にほかならないという最も明白な証拠はおそらく、比較的短い期間のうちに新しい社会領域が、近代の共同体をすべて労働
者と賃仕事人の社会に変えたという事実の中に見ることができよう。いいかえると、近代の共同体はすべて、たちまちのうちに、生命を維持するのに必要な唯一
の活動力である労働を中心とするようになったのである」(アレント 1994:71)。
「労働者の社会を出現させるのには、もちろんすべての構成員が実際に労働者になる必要はない。労働者階級を解放して多数者支配を打ち立て、それによって労
働者階級に巨大な潜在的権力を与えることさえ、ここでは重要ではない。ただ、すべての構成員が、自分たちの行なっていることは、すべて自分の生命と自分の
家族の生命を維持する方法にすぎないと考えさえすればよい」(アレント 1994:71)。
■社会の意味
「だから社会とは、ただ生命の維持のためにのみ相互依存の事実が公的な重要性を帯び、ただ生存にのみ結びついた活動力が公的領域に現れるのを許されている
形式にほかならない」(アレント 1994:71)。
■活動力の実現の領域
「ある活動力が私的に実現されるか、それとも公的に実現されるかということは、けっしてどうでもよい問題ではない。公的領域の性格が、その中で許される活
動力の種類に左右されて変化することは明らかである。また活動力それ自体も、それによってかなりの程度、その性格を変える。労働の活動力は、最も基本的か
つ生物学的な意味で生命過程と常に結びついており、何千年もの間その性格を変えず、生命過程の永遠の循環の中に閉じこめられたままであった」アレント
1994:71)。
■労働の解放
「私的領域に閉じ込められていた労働は、今やそのために押しつけられていた制限から解放された。しかし、この労働の解放は、労働者階級の解放の結果ではな
く、それに先立つものであった。ともかく、労働がいったん解放されると、それはあたかも、すべての有機的生命に見られる成長の要素が異常発育を遂げ、その
結果、自然界で、有機的生命を阻止しその均衡を保持する腐食の過程の方は、完全に屈服し、征服されたかのようであった」(アレント 1994:72)。
■自然なるものの不自然な成長
「私たちが自然的なるものの不自然な成長といったものは、一般的な言葉でいえば絶えまなく加速される労働生産性の増大のことである。労働生産性がこのよう
に絶えまなく増大した第一の最大の要因は、いわゆる分業に当初から見られる労働の組織化であって、これは産業革命に先立っている。いいかえると、労働生産
性の第二の最大要因である労働過程の/機械化ですら、この分業にもとづいているのである。この組織原理そのものは、明らかに、私的領域からではなく公的領
域から得られている」(アレント 1994:73)。
■家族の私生活では分業は発生しない
「労働生産性の第二の最大要因である労働過程の/機械化ですら、この分業にもとづいているのである。この組織原理そのものは、明らかに、私的領域からでは
なく公的領域から得られている。したがって、分業は、公的領域の条件下にある労働の活動力にこそ発生するものであって、家族の私生活においては、けっして
発生しえなかったものである。公的領域以外の生活領域においては、このような労働のすばらしい革命的変貌は達成されなかったと思わわれる」(アレント
1994:73)。
■徳は公的領域にこそある
「ギリシア人ならareteと呼び、ローマ人ならvirtusと名づけたはずの卓越そのものは、いつの場合でも、人が他人に抜きんでて、自分を他人から区
別することのできる公的領域のものであった。公的領域で演じられるすべての活動力は、私的領域の活動力が及びもつかぬほどの卓越を得ることができる。卓越
は、本性上、他人の臨席を必ず必要とする。ひるがえって、この臨席のためには、その人と同格の者たちが構成する公的なるものの形式が必要ある。というの
も、この臨席は、その人と同等の者か、その人より劣る者が、たまたまそこに親しく臨席しているという類いのものではないからである」(アレント
1994:73)。
■活動力は世界が必要だ
「もし世界がその実行にふさわしい空聞を与えないなら、いかなる活動力も卓越を示すことができないという事実」(アレント 1994:74)。
■公的領域
「第一にそれは、公に現われるものはすべて、万人によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示されるということを意味する」(アレント
1994:75)。
「第二に、「公的」という用語は、世界そのものを意味している。なぜなら、世界とは、私たちすべての者に共通するものであり、私たちが私的に所有している
場所とは異なるからである」(アレント 1994:78)。
■激しい肉体的苦痛
「激しい肉体的苦痛というのは、おそらく、公的現われに適した形式に転形できない唯一の経験であろう。そればかりか、肉体的苦痛は、私たちからリアリティ
にたいする感覚を実際に奪うので、肉体が苦痛状態にあるときは、真先にリアリティが忘れられてしまう。私が自分自身をもはや「認識」できないほどリアリ
ティを見失っている、この最も極端な主観的状態から生活の外部的世界ヘ脱けだす橋は存在しないように見え痛は、本当に、「人びとの間にある」(inter
homines
esse)ものとしての生と死との境界線上の経験である。それは、あまりにも主観的で、あまりにも事物と人びとの世界から離れているので、どんな外形(ア
ピアランス)をとることもできない」(アレント 1994:76)。
■リアリティの感覚
「リアリティにたいする私たちの感覚は、完全に現われに依存しており、したがって、公的/領域の存在に依存している。というのは、事物は隠された存在の暗
闇の中からこうした公的領域の中に姿を現わすことができるからである。そうである以上、私たちの私的で親密な生活を明るみに出す薄明の光でさえ、究極的に
は、それよりももっと厳しい公的領域の光から出ているのである」(アレント 1994:76-77)。
■人びとが集まる力の衰退
「共通世界としての公的領域は、私たちを一緒に集めるけれども、同時に、私たちがいわば体をぶつけ合って競走するのを阻止している。大衆社会をこれほど堪
え難いものにしているのは、それに加わっている人間の数のためではないし、少なくともそれが第一の理由ではない。それよりも、人びとの介在者であるべき世
界が、人びとを結集させる力を失い、人びとを関係させると同時に分離するその力を失っているという事実こそ、その理由である」(アレント
1994:79)。
■キリスト教の共同体性=家族の中には公的領域は存在しない
「キリスト教の共同体の性格は、非政治的、非公的なものである。それは、このような共同体は、構成員が互いに同じ家族の兄弟のように結び合うような一種の corpus 「肉体」(ボディ)でなければならないという古くからの要求にはっきりと示されている。共同体生活の構造が、家族関係をモデルとしていたのは、家族という ものが非政治的であるばかりか、反政治的であるということさえ知られていたからであった。実際、家族の構成員の聞に公的領域が存在したことはけっしてな かった」(アレント 1994:80)。
「キリスト教の共同体生活がただ同胞愛の/原理だけで支配されている限り、公的領域がこの生活から生まれてくるようには思えない」(アレント
1994:80-81)。
■公的なるものと永続性
「公的領域を存続させ、それに伴って、世界を、人びとが結集し、互いに結びつく物の共同体に転形するためには、永続性がぜひとも必要である。世界の中に公
的空闘を作ることができるとしても、それを一世代で樹立することはできないし、ただ生存だけを目的として、それを計画することもできない。公的空間は、死
すべき人間の一生を超えなくてはならないのである」(アレント 1994:82)。
■奴隷の恐怖
「奴隷であることが現われたのは、奴隷がただ、自由と可視性を奪われていたからだけではない。むしろ、奴隷は「無名状態にあるために、自分たちが存在して
いたという痕跡をなに一つ残すことなく去らなければならない」ことを恐れた。奴隷状態が呪われたのは身のこのような恐怖にもあったのである」(アレント
1994:83)。
■人間の相対的永続
該当する箇所のないニコマコス倫理学からの引用
「アリストテレスの有名な言葉に次のようなものがある。「人間事象を考えるとき……人間をあるがままに考えてはならず、死すべきもののうちでもとくに死す
べきものと考えてはならない。それが不死化する可能性をもっ限りにおいて〔のみ〕それについて考えよ」。この言葉は彼の政治的著作の中できわめて正当な位
置を占めている。ローマ人のいう公的なもの(レス・プブリカ)/にあたるものは、ギリシア人にとってはポリスである。ポリスはなによりもまず、個体の生命
の空虚さにたいするギリシア人の保証であり、この空虚さを防ぎ、死すべき人間の不死は維持できないにせよ、少なくとも人間の相対的永続(性?)は維持する
空間であった」(アレント 1994:83-84)。
■公的讃美が消費される——虚飾としての公的称賛
「社会が公的な場所にめざましく勃興して以来、近代が公的領域にかんして考えたことは、アダム・スミスによって表明されている。すなわち、彼は無邪気な真
面目さで、「一般に文人と呼ばれている、かの繁昌せざる種族たち」について語っている。こういう種族にとっては「公的称賛が……いつもその報酬の一部をな
している。さらに、公的称賛は……医者稼業にあっては……報酬のかなりの部分、法律家稼業にあってはおそらくそれ以上の部分、詩と哲学にあってはほとんど
報酬の全部をなしている」。ここで、公的称賛と金銭的報酬が同じ性格をもち、互いに代替可能なものとなっていることは自明である。公的称賛も、使用され消
費されるなにものかであり、今日なら地位(ステイタス)と呼ぶようなものも、食物が一つの欲求を満たすように、それとは別の欲求を満たす。実際、食物が空
腹によって消費されるように、公的称賛も個人の虚栄によって消費されるのである」(アレント 1994:84)。
■リアリティの保証=公的なものに関わること?
「公的領域のリアリティは、これとまったく異なって、無数の遠近法と側面が同時的に存在する場合に確証される。なぜなら、このような無数の遠近法と側面の
中にこそ、共通世界がおのずとその姿を現わすからである」(アレント 1994:85)。
「共通世界の条件のもとで、リアリティを保証するのは、世界を構成する人びとすべての「共通の本性」ではなく、むしろなによりもまず、立場の相違やそれに
伴う多様な遠近法の相違にもかかわらず、すべての人がいつも同一の対象に係わっているという事実である。しかし、対象が同一であるということがもはや認め
られないとき、あるいは、大衆社会に不自然な画一主義が現われるとき、共通世界はどうなるだろうか。そのような場合には、人びとの共通の本性をもってして
も、共通世界の解体は避けられない。この場合、普通、共通世界の解体に先立って、共通世界が多数の人びとに示す多くの側面が解体する」(アレント
1994:86)。
■私的なもの
「もともと「欠如している」 privative という観念を含む「私的」 "private"
という用語が、意味をもつのは、公的領域のこの多数性にかんしてである。完全に私的な生活を送るということは、なによりもまず、真に人間的な生活に不可欠
な物が「奪われている」 deprived
ということを意味する。すなわち、他人によって見られ聞かれることから生じるリアリティを奪われていること、物の共通世界の介在によって他人と結びつきか
ら分離されていることから生じる他人との「客観的」関係を奪われていること、さらに、生命そのものよりも永続的なものを達成する可能性を奪われているこ
と、などを意味する。私生活に欠けているのは他人で/ある。逆に、他人の眼から見る限り、私生活者は眼に見えず、したがって存在しないかのようである。私
生活者がなすことはすべて、他人にとっては、意味も重要性もない。そして私生活者に重大なことも、他人には関心がない」(アレント
1994:87-88)。
■大衆社会は公的領域ばかりでなく私的領域も破壊する
「大衆社会では、孤独は最も最も反人間的な形式をとっている。なぜ極端であるかといえば、大衆社会は、ただ公的領域ばかりでなく、私的領域をも破壊し、人
びとから、世界における自分の場所ばかりでなく、私的な家庭まで奪っているからである。かつて、この家庭は、世界を防ぐ避難場所だと感じられたし、ともか
く、世界から放り出された人たちでさえ、そこでは、炉辺の暖かさと家庭生活の限られたリアリティに慰められたのである。炉辺と家族の生活が内部の私的空間
として完全に発達したのは、ローマ人の異常な政治的感覚のおかげである」(アレント 1994:88)。
■ローマ人の政治感覚
「炉辺と家族の生活が内部の私的空間として完全に発達したのは、ローマ人の異常な政治的感覚のおかげである。ギリシア人と違って、ローマ人は、私的なるも
のを公的なるもののために犠牲にすることなく、むしろ、この二つの領域は、共存の形でこそ存在しうると理解していた。おそらくローマでは、奴隷の状態は、
アテナイより良かったとはいえないであろう。それなのに、ローマの一著作家が、奴隷にとって主人の家は、ちょうど市民にとっての公的なもの(レス・プブリ
カ)のようなものであると信じたのは、まったく特徴的なことである」(アレント 1994:88)。
■ギリシャにおける私的生活/ローマにおける哲学者であること
「たとえば、ギリシアでは富の蓄積、ローマでは芸術および科学への献身などは、すべて私的生活に属していたのである。この「寛大な」態度のおかげで、ある
環境のもとで、非常に豊かな奴隷とか、高い教養のある奴隷が現われた。しかし、この「寛大な」態度は、ただ、ギリシアのポリスで豊かであることは、リアリ
ティをもたず、ローマ共和国で哲学者であることは、大した意味もなかったということの証拠でしかない」(アレント 1994:89)。
■公的領域の死滅について
「カール・マルクスは、結局のところ、公的領域全体の「死滅」を予言もし、期待もした。この場合、マルクスは、その他の場合でも同じであるが、ただ、近代
二百年の基本的な仮定を要約し、概念化し、一つの綱領に変形しただけである。この点にかんして、キリスト教徒と社会主義者の観点の違いは、前者が統治は人
間の罪深さ/から生まれる必要悪であると見ているのにたいして、後者が統治は最終的には廃止しなければならないとしている点にある。しかし、これは公的領
域そのものにたいする評価の違いではなく、人間本性にたいする評価の違いである。そして、キリスト教にしろ社会主義にしろ、どちらの観点からも考えられな
いことは、マルクスのいう「国家の死滅」に先立って、すでに公的領域が死滅したということ、あるいはむしろ、公的領域が非常に限られた統治の領域に変形し
たということである。実際、マルクスの時代に、この統治はすでに死滅し始めていた。つまり国家規模の「家計」に変形し始めていた。そして私たちの時代にな
ると、公的領域は、いっそう限られた非人格的な管理の領域へと、完全に消滅し始めている」(アレント 1994:89-90)。
■財をめぐるさまざまな混乱
「公的なるものと私的なるものとの深い関係は、その最も基本的な次元として、私有財産の問題にはっきりと現われている。しかし、その関係が今日誤解されて
いるように思われるのは、近代になって、一方では財産(プロパティ)と富(ウエルス)とが、他方では無産(プロパティレスネス)と貧困(ポヴアテイ)とが
同一視され/ているからである」(アレント 1994:90-91)。
「近代は、貧民の搾取に始まり、次いで財産なき新しい階級の解放に進んだ。しかし、このような近代がやってくる以前、すべての文明は、私有財産の神聖さに
もとづいていた。これにたいして、富は、それが私的に所有されていようと、公的に配分されていようと、かつて、神聖視されたことはなかった。もともと、財
産とは、世界の特定の部分に自分の場所を占めることだけを意味した。したがって、財産というのは、政治体に属すること、つまり、集まって公的領域を構成し
た諸家族のうちの一つの長となること以上のことではなく、それ以下のことでもなかった」(アレント 1994:91)。
■都市論と法的権利(アレント 1994:92)
「都市国家の法とは、政治活動の内容ではなかった(政治的活動力はまずなによりも立法行為であるという観念は、起源はローマのものであるにせよ、本質的に は近代のもので、その最大の表現はカントの政治哲学に見られる)。あるいはまた、現代の法がすべてそうであるように、「汝十誠に注意すべし」にもとづく禁 止の目録でもなかった。都市国家の法とは、まったく文字通り壁のことであって、それなしには、単に家屋の集塊にすぎない町(asty)はありえたとして も、政治的共同体である都市はありえなかいたであろう。この壁である法は神聖であったが、しかしただ囲い込みだけが政治的であった。囲い込みがなければが 存在できなかったように、財産を取り囲む垣がなければ一片の財産もありえなかった。一方が政治生舗を保護し、固い込んだように、他方は家族の生物学的な生 物学的な生命過程を守り保護したのであった」(アレント 1994:93)。
「近代以前においては私有財産が公的領域への加入を許される自明の条件であると考えられていた、と述べることは、必ずしも正確ではない。それはそれ以上の
ものである」(アレント 1994:93)。
■自分の場所の喪失
「逆に、ある市民の家族が貧困だからといって、その家長が、世界におけるこの場所を奪われたり、この場所を占めている結果生じる市民権を奪われることはな
かった。しかし、市民がなにかの理由でたまたま自分の場所を失うようなことがあると、彼は、ほとんど自動的に、その市民権と法の保護をともに失ったのであ
れる。この私生活の神聖さは、隠されたものの神聖さに似ており、すべての生きものと同じく、地界の暗闇から出てそこに帰る死すべき人間の生と死の神聖さ、
その始まりと終りの神聖さに似ていた」(アレント 1994:92)。
■土地収用の論理
「近代の私有財産擁護者は、私有財産とはすべて私有の富のことであるとしか考えないので、私生活を正しく確立し、それを正しく保護しなくては、自由な公的
空間もありえないとする伝統的な考え方をよりどころにする必要はなかった。近代社会において今なお進行している富の巨大な蓄積は、土地収用に始まってい
る。ひるがえって、この農民階級の社地収用は、宗教改革後に起こった教会と修道院の財産収用のほとんど偶然的な結果であった」(アレント
1994:95)。
■プルードン
「近代社会における、この富の巨大な蓄積は、多くの考慮を払ったことがなく、むしろ私有財産が富の蓄積と対立したときは、いつでも、私有財産を犠牲にし た。財産とは盗みなりというプルードンの格言にはたしかにはっきりとした根拠があり、それは近代資本主義の起源にある。しかしプルードンでさえ、この悪を 正すのに、財産を全部没収するのがいいかどうか、ためらっている。というのは、私有財産を廃止すれば、なるほど財産の悪は矯正されるとしても、暴政という それよりも大きな悪が発生することは眼に見えており、彼はそのことをまったくよく知っていたからである」(アレント 1994:95)。
「このようなプルードンの二つの考え方は、一見するとその著作の中では矛盾のように思われるが、/実際はそうではない。というのは、彼は財産と富とを区別
しなかったからである」(アレント 1994:95-96)。
■私有財産の廃止(廃棄)の考え方は、社会の本性に由来する
「富を個人的に専有すれば、結局、それによって侵害されるのは私有財産であって、蓄積過程の社会化ではない。どんなものであれ私生活は、ただ社会的「生産
性」の発展を妨げるだけであり、したがって、社会的富のたえざる増大過程を導入するためには、私有制度にたいする配慮を覆さなければならない。これは別
に、カール・マルクスの発明ではなく、実際には、この社会そのものの本性からくる考え方なのである」(アレント 1994:96)。
■私的所有
「私的所有者は、できるだけ多くの富を獲得しようと競争しながら闘争する。そこで彼らを相互に保護するために政府が任命される。したがってこのような政府
だけが共通のものであった。いいかえると、人びとが共有するものは、ただ、その私的な/利益だけである。マルクスは、この近代的な統治概念に見られるはっ
きりとした矛盾に頭を悩ませた。しかし、私たちの場合には、もう頭を悩ませる必要はない。なぜなら、私たちは、近代の初頭に典型的であった私的なるものと
公的なるものとの矛盾は、一時的現象にすぎず、私的領域と公的領域の相違は、やがて完全に消滅し、両者はともに社会的なるものの領域に侵されてしまったこ
とを知っているからである。公的なるものは私的なるものの一機能となり、私的なるものは残された唯一の公的関心になった。このため、生活の公的な分野と私
的な分野はともに消え去った。だから、私たちは、その結果、それが人間存在にどのような影響を与えたかということについても、マルクスよりはるかによく理
解できる地点にいるのである」(アレント 1994:97-98)。
◎補足説明
アレントは『人間の条件』第2章の脚注72で、保守的なリベラルエコノミー論者が、富の私有が個人的自由を保障すると太鼓判を保証するという主張がまった
く理解できないと告白します。賃仕事(労働ではない)社会では、その自由を保障しているのは国家であるから安全なのであって、仕事を配分し分け前を決定す
る——たぶん資本主義(自由)——社会は、逆に個人的自由は脅威になるのだと言っています。僕はメキシコの新自由主義政治体制——2013年当初に政権与
党に返り咲いたメキシコの自民党たる「制度的革命党(PRI)」と言います——のもとでは、個人の自由を蹂躙する社会が、まさに国家と結託して、あるいは
国家を篭絡して、個人的自由を蹂躙する方向に大きく舵を切ったと思います。
■財産の概念をめぐる混同
「この観点から見ると、近代が親密さを発見したのは、外部の世界全体から主観的な個人の内部ヘ逃亡するためだったように見える。この個人の主観は、それ以
前には、私的領域によって隠され、保護されていたものである。私的領域が社会的なるものに解体したことは、不動産が動産にだんだんと変わっていった過程に
最もよく見られるだろう。この変化の結果、財産と富の区別や、ロl
マ法でいう「代替物(フンジビレス)」と「消費物(コンスンプティビレス)」の区別は、まったく意味のないものになった。すべての触知できる「代替(ファ
ンジブル)」物が「消費(コンサンプション)」の対象となったからである。「代替」物は、その場所によって決定される私的な使用価値を失い、逆に、たえず
変動する交換率によって決定される完全に社会的な価値を獲得した。この交換率の変動は、貨幣という公分母に結びつけられて、ただ一時的に安定するだけであ
る」(アレント 1994:98)。
■近代の財産概念と「労働力」
「近代の財産概念によれば、財産とは、その所有者がいろいろな方法で獲得した、しっかりと一定の場所を占めている世界の固定した部分ではなかった。そうで
はなく、財産の源泉は、人間自身の中にあった。いいかえれば、それは、人間が肉体を所有していることの中に、そして人間がこの肉体の力をまちがいなく所有
していることの中にあった。マルクスは、それを「労働力」と名づけた」(アレント 1994:99)。
■人間の肉体の労働こそ財産の起源(ロック)あるいは「公的領域の復讐」
「近代の財産は、世界的性格を失い、人間そのものの中に場所を移し、個人がただ死ぬときに失う肉体の中に場所を移した。ロックは、人間の肉体の労働こそ財
産の起源であると述べた。歴史的に見ると、この仮定は大いに疑問である。しかし、この仮定は本当になるかもしれない。なぜなら、私たちはすでに、実際、自
分の頼れる唯一の財産が自分の能力と労働力であるような状況のもとで生きているからである。富は、公的領域に係わるようになって以来、成長し続け、今で
は、それを私有制度によって管理することができないほどになっている。まるで、自分の私的利益のために公的領域を使用しようとする人びとにたいし、公的領
域が復讐しているかのようである」(アレント 1994:99)。
■生命の必要の推進力
「ロックが指摘したように、財産がなければ「共通なものも役に立たない」のである。なるほど、生命の必要は、公的領域から見ると、自由の剥奪と考えられる
ので、否定的な面だけが現われる。しかし、この同じ生命の必要が、同時に、人間のいわゆるいっそう高い欲望や願望とは比較にならないほど切迫した推進力を
もっているのである。必要は、人間の欲求や不安のうちで常に第一義的なものである。それだけではない。大いに富んでいる共同体というものは、住民の中に無
関心が広がり、逆に創意がなくなりがちであるが、生命の必要は、このような明白な脅威をも防ぐのである」(アレント 1994:100)。
■人間の社会化
「「人間の社会化」(マルクス)は、土地の収用によって最も効果的に実行される。しかし、それだけが唯一の方法ではない。この点でも、社会主義や共産主義
の革命的手段は必要ではなく、一般的には私的領域が、特殊的には私有財産が、緩慢に、しかし確実に「死滅」すれば、それで十分である」(アレント
1994:102)。
■女と奴隷
「女と奴隷は、ともに同じカテゴリーに属し、隠されていた。しかし、それは女と奴隷がだれか別の人の財産だったからではなく、彼らの生活が「骨の折れる
(ラボリアス)」もので、もつばら肉体的機能に向けられていたからであった。近代の初めになると、「自由な」労働は家族の私生活の中に隠れ場所を求めるこ
とができなくなった。そこで労働者は、犯罪者と同じように、共同体から高い壁の背後に隠し去られ、隔離されて、たえず監視されるようになった」(アレント
1994:103)。
■労働者と女の解放
「近代になって労働者階級と女はほとんど歴史の同時期に解放された。この事実は、もちろん、肉体的機能と物質的関心をもう隠しておくべきでないと考える近
代という時代の一つの特徴だとみるべきだろう。「必要物」というのは、もともと人間が肉体をもっているために必要とされるものの意味である。今日の文明に
も多少残っている限られた私生活でさえこの意味における「必要物」に結びついていることは、この現象の性格をなおいっそうよく示すものである」(アレント
1994:103)。
■善(グッドネス)について
「絶対的な意味の善というのは、古代ギリシア=ローマの「役立つ(グッド・フォー)」ものとか「卓越した(エクセレント)」ものと違って、西洋の文明で知
られるようになったのは、ようやくキリスト教が勃興してからである。それ以来、私たちは、ありうる人間活動の重要な一変種として善行に知るようになった。
テルトゥリアヌスは「公的問題ほどわれわれに縁遠いものはない」(nec ulla magis res aliena quam
publica)と述べたことがある。初期キリスト教と公的なもの(レス・プブリカ)との周知の対立は、この言葉の中にみごとに要約されている。この対立
は、普通、初期の終末論的期待の結果であると理解されているが、これは正しい。この終末論的期待が無意味になったのは、ようやく、ローマ帝国が没落しても
別に世界は終わらないということが経験されてからである」(アレント 1994:104)。
■キリスト教と善と公共性
「イエスが言葉と行為で教えた唯一の活動力は、善の活動力であり、この善は明らかに、見られ聞かれることから隠れようとする傾向を秘めている。キリスト教 は、公的領域に敵意をもっており、少なくとも、初期のキリスト教はできる限り公的領域から離れた生活を送ろうとする傾向をもっている。これは、ある種の信 仰や期待とは一切関係がなく、ただ善行に献身しようとすれば当然現われる結果にすぎないと考えられる。なぜなら、善行は、それが知られ、公になった途端、 ただ善のためにのみなされるという善の特殊な性格を失うからである」(アレント 1994:105)。
- μυστήριον(ミステリオン) - sacramentum
「だからナザレ人イエスが歴史に現われたというのは、まったく逆説的な出来事である。それが逆説的なのは、善がこのように奇妙な否定的性質をもち、本来、
外部に現象として明示されてはならないからである。これこそたしかにイエスがだれも善ではありえないと考え、そう教えた理由であるように思われる。「なぜ
あなたは私を善と呼ぶか? ただ一人、神を/除いて善なるものはいない」(アレント 1994:105-106)。
■サクラメントの意味
「神は彼らのために世界を救う。しかし、彼らはだれにも知られず、第一、彼ら自身が自分たちを知らないのである。ここで私たちは、だれも賢人ではありえな
いというソクラテスの偉大な洞察を思い起こす。この洞察から知にたいする愛、愛知=哲学(フィロゾフィ)が生まれたのであった。この点を考え合わせると、
イエスの全生涯の物語は、善にたいする愛が、だれも善ではありえないという洞察から生まれたことを証明しているように思われる」(アレント
1994:106)。
■不条理
「善人であることを願って、もう一方の頬をさしだすことを求めたキリスト教の要求が、隠喩として理解されずに、現実の生活様式として試みられたとき、これ
もやはり不条理であった」(アレント 1994:106)。
■私と私自身の間の「対話」
「哲学者のほうは、たとえプラトンのように人間事象の「洞窟」を去ろうと決意する場合でさえ、自分の眼から隠れる必要はない。むしろ、プラトンはイデアの
大空のもとで存在する一切の物の真の本質を発見するばかりか、「私と私自身」(eme
emauto)の間に交わされる対話の中に彼自身をも発見するのである。そして、明らかに、プラトンは、この対話の中に思考の本質があると見ていた。独居
(ソリチュード)にあるということは自分自身とともにあるという意味であるから、思考は、たしかにあらゆる活動力のうちで最も独居的なものではあるが、
けっして同伴者や仲間を欠いているわけではない」(アレント 1994:107)。
◎コメント
独居(solitude)は、自分自身と共にあるということだから、それは究極の独居状態つまり孤独(loneliness)とは言えない——どこかのテ
レビ局の「認知症独居老人のルポルタージュ」を観た後には、このもの謂いはなにか強弁のように思えるが、俺達が生きている間に、この「思考の習慣」を身に
つけていたとしたら、独居でいること同伴者や仲間を欠いたを欠性としてだけみるのではなく人間の生活状態のレパートリーとして見ることができるかもしれな
い。
■善をなすことには孤独(loneliness)を経験することが不可避だ
「ところが、善を愛している人は、けっして、独居生活を送ることはできない。しかも、彼の生活は、他人とともにあり、他人のためにありながら、本質的に証 言のないままにしておかなければならず、なによりもまず自分自身という同伴者を欠いている。彼は、独居しているのではなく、孤独なのである。彼は他人とと もに生きながら、他人から隠れなければならず、自分のしていることを自分自身が安心して目撃することさえできない。哲学者はいつも自分自身を同伴している という考えに慰められるが、善行は、どんな人も同伴できない。善行は、行なわれた途端に忘れられなければならない。なぜなら記憶でさえ、善の善たる特質を 滅ぼしてしまう」(アレント 1994:107)。
「善を愛する人が本質的に宗教的な人間となり、古代の知と同じく、善が本質的に非人間的で超人間的な特質をもっているのは、善行に固有のこの無世界性のた
めである。しかもなお、善への愛は、知への愛と違って、少数者の経験に限定されない。ちょうど孤独が、独居と違って、すべての人の経験の範囲内にあるよう
に。したがってある意味で、知や独居よりは、善や孤独の方が、政治にたいしてはるかに大きな関係をもっている」(アレント 1994:108)。
■マキャベリ問題
「善を一貫した生活様式として実行しようとしても、それは公的領域の境界内では不可能であるばかりか、むしろ、公的領域を破壊してしまう。マキャヴェリ
は、「いかにして善人たらざるべきか」という有名な句を吐き、それをあえて人びとに教えようとしたが、彼ほど、善行の破壊的性質を鋭く感じとっていた人は
いないだろう。……彼は、人びとに、いかに悪人たるべきかを教えなければならないといったのではなく、そういう意味でもない。……マキャヴェリにとって、
政治活動の基準は、古典古代と同様、栄光である。ところが、悪は善と同じく、栄光に輝くことはない。したがって「実際に、権力は得られても、栄光を得るこ
とのできない」方法はどれも悪であった。隠れることから生じる悪は無謀であり、共通世界を直接破壊する。同じように、本来は隠すことから生じるものである
以上、それが公的役割を引き受けるとき、善はもはや善でなく、自ら腐敗し、その腐敗を至るところに撒き散らすであろう。たとえば、マキャヴェリの眼に、教
会がイタリアの頽廃的な政治勢力になったと映ったのは、司教や高僧が個人的に腐敗していたからではなく、教会が世俗的問題そのものに加わったためであっ
た」(アレント 1994:109)。
■善の活動力の不安定性
「それぞれの政治的共同体は、〈活動的生活〉の活動力のうち、どの活動力は公に示すべきか、どの活動力は私生活のうちに隠すべきかを決定してきた。政治的
共同体によるこのような歴史的判断が活動力それ自体の性格に合致していることを示すために、私たちは善行という申し分なく極端な例を選んだ。この例が極端
だというのは、この善の活動力は私生活の領域においてさえ安定したものではないからである」(アレント 1994:110)。
「私の意図は……〈活動的生活〉の活動力の政治的意味をある程度確実に明らかにしようとすることである」(アレント 1994:110)。
■現代の議論
現代において、アリストテレスの政治学を生かそうと
いう議論には、(i)マーサ・ヌスバウムの潜在能力アプローチ(capability
approarch)、(ii)アラスデア・マッキンタイアの共同体主義(communitarianism)、(iii)マイケル・サンデルの市民的共
和主義(civic republicanism)などがある。
■資料