はじめによんでください

法・感情・ローカルノレッジ

Law, Emotion, and Local Knowledge

池田光穂

「法および民族誌は、帆走や庭造りと同じく、また政治や詩作がそうであるように、いずれ も場所に関わるわざ(crafts of place)である。それらは、地方固有の知識(local knowledge)の導きによってうまく作動するといってよい」。 「とりとめのない学識、風変わりな雰囲気そしてそれに加えて人類学と法学が共有するであろうそのほかのものがなんであれ両者はいずれも、まずもって局地的 な事実のなかに広く普遍的な原理をみつけだす職人仕事に属するものといってよい。アフリカのことわざにあるように、まさに、「知恵は蟻塚に発する」のであ る」(ギアーツ, 1991, p.290)。→出典に関する情報

人間がつくりだした実定法や慣習法(「この社会では〜してはならない」「〜する規則に なっている」「〜すれば〜のように処罰される」等)と、普遍法ないしは自然法(「どんな社会でも〜してはならない規則が必ずある」「〜を犯せば、もはや人 間とは呼べない」等)をめぐって、文化人類学者は、法とは文化が生み出した特殊なルール(=前者)なのか? それとも「当該の社会で法と呼ばれているも の」を研究すれば、その社会の文化が理解可能になるのか、について長年悩んできました。この授業は、法人類学ないしは法の人類学の授業です!

このパズルの解法にむけて、新しい文化研究のアプローチを紹介しながら、法の文化人類 学の近年の理論的成果を学んでいこうと思います。具体的には(i)紛争解決学や裁判外紛争解決 (ADR)における当事者の気持ちや感情を重視する「修復的 (restorative)」と呼ばれる司法過程;(ii)進化生物学が明らかにした人間の協調性や正義の判断に、これまで非合理と思われてきた感情や情 動が合理的判断と思われるような結果になるというゲーム論帰結;(iii)ローカルなコミュニティにおける冷静な熟議(deliberative)と、そ の議論に参加しているという共感覚が、結果的に現場での最適解を生み出すというローカル ノレッジへの着目、について、学びましょう。

この概要では「専門用語」が一見乱舞しているように思えます。しかし授業の中で各自が 自分の用語集をつくる機会を設けたりすることで、一学期15コマで、十分な基礎を学べるように、授業進行計画が練られています。授業で取り上げる重要な理 論家としては、ハワード・ゼア(Howard Zehr)、マーサ・ヌスバウム(Martha Nussbaum)、クリフォード・ギアーツ(Clifford Geertz)、ジェームズ・クリ フォード(James Clifford)が取り上げられるでしょう。現代社会を理解する洗練された制度としての人間の法理の基礎について一緒に学びましょう。

学期が終わって、みなさんが「法・感情・ローカルノレッジ」について、納得のできる理解 を与 えることができれば、この授業はとても楽しくて有意義なものになっているでしょう!

《追記》

最近気になっているク ラストルの議論は、南米先住民は、法と自然を同一視し(=反ホッブス的ビジョンを先取りしている)、文化と対立するものとみています。これは(そ の筋道は別として)、落合仁司先生がFB 上において指摘されたように「法によって文化を理解することも、文化によって法を説明することも誤り」だと同型のものであり、私のこの議論に鋭く反省を促 すものであり(死んだピエールに影響を受けつつある)最近の僕の見方と路線を同じくするものです(2016年3月15日)。

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

For all undergraduate students!!!, you do not paste but [re]think my message.

Remind Wittgenstein's phrase, "I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein