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科学者の活動を理解すること

Understanding Activities of Scientists

池田光穂

「人間としての科学者の活動を理解しようといういかなる試みも、結局はま た、 実在についての一般的概念に関わるものなのである。というのは科学の科学、あるいはより正確にいえば真理の探究者についての社会学は、それ自体理論社会学の分科であり、その中 心的観点は研究者の哲学によって形造られるものだからである。このことは私の心理的予見であったにしてもそれはまた論理的結論なのでもあ る」 (フォイヤー 1977:354)。

実 在の理解についてフォイヤーは次のように続け る……

「実在は異なる探究方法が採られるたびにその都度視 野 に入って来る存在の多くの層から成っている。各々の世代はその好みの洞察と方法を有している。これらの洞察と方法はやがて、その世代が収獲逓減低下領域 (a region of low diminishing return)に達するにつれて消耗し尽されるようになる。幾多の小競合いと反抗、反逆そして革命を伴う科学の歴史とは、収穫逓憎の法則が周期的に復活す る〈自然〉の道ゆきなのである。新しい世代は新しい方法を携えて登場する。その新しい方法は最適条件のもとで、これまで近づき難かった実在の或る層と調和 するようになるであろう。しかし予定調和などというものは無い。ひとつの世代は、ひとつの神と同様にカを失うであろう。さらに各々の革命的世代は、自分達 の革命が幻想であり、また自分遠の観点が部分的なものであるにすぎず、おそらくは超世代的(トランスジェネレーショナル)なものである実在によっていつま でも限定されるものであることを識るよう運命づけられているのである。しかしながら伝説においては科学はいつも神々や父遣に対する革命なのであった。アダ ムは〈智恵の木〉の実を敢えて食べ、性の掟を識ることによって父なるヤーヴェに挑んだし、プロメテウスは人間に火の秘密、つまりエネルギーの転換律をもた らそうとしてゼウスに反抗した。創造的科学者は体制的観点に対するこの同じプロメテウス的な衝動によって活気づけられているのである。いかなる科学上の観 点も、存在の一部(チャプター)以上にわたって妥当であるわけにはいかないし、存在の構想全体を生み出すことはない。賢明な道は、「科学革命」が、いかに その幻影的性格において、科学の進歩のために人間のエネルギーを解放する〈自然〉の方法であるかを理解することである。それによってわれわれは神々から、 その平安という賜物を獲得することになろう」(フォイヤー 1977:354)。

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