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私たちの高齢者に対する人道的対応について〈異文化〉の者が私たちに激高する時

When outsider commits an outrage against “our own humanity,” we will be outraged by the whole outsider...

池田光穂

2015年6月20日 佐久綜合病院にて:改訂版

■アメリカ人がビティレブ島民に叱られた場合につい て

——Fijian Anthropologists recommend us to go to U.S.A for studying abuse to aged people.

「あるとき、私は、南太平洋のフィジー諸島にあるビ ティレブ島にいった。そして、とある村の、地元の男とたまたま話し込んだことがある。男はアメリカにいったことがあった。そして、そのときの感想を、つぎ のように語ってくれたのである。アメリカには、自分が感心する部分もあるし、うらやましく思うような部分もある。しかし、嫌だなと思う部分もある。一番嫌 だと思ったのは、高齢者に対する処遇だ。フィジーでは、お年寄りは自分が生涯を過ごした土地で暮らす。そこには家族もいる。昔からの友達だって住んでい る。たいていの場合、子どもたちの家に同居するのがふつうだ。子どもも親の世話をよくやく。面倒もみる。歯がだめになって自分で物を噛めなくなってしまっ た親に、食べ物を細かく噛み砕いて、食べさせてあげる。そんなことさえフィジーではするんだ。ところがアメリカではどうだっ? 年寄りはみんな施設送り だ。そこに年寄りを預けっぱなしにして、子どもはたまに会いにいくだけだ。「アメリカって国は、年寄りを捨てたり、自分の両親の面倒をみない国なんです か!」非難がましい口調で男が私にそういったのである」(ダイアモンド 2014:上:358)——倉骨彰訳。

■今度は私たちが「未開な野蛮人」に怒る場合につい て

 —Who have once experienced having abuse their own family, might be honorably abused in future.

「高齢者はどのようにして遺棄されるのだろうか。高 齢者は、間接的な方法から直接的な方法まで、五種類の方法で遺棄される(以下、読者に不快を与え得る表現が含まれる)。

【1】

もっとも消極的な方法は、高齢者をまったくケアせ ず、ひとりで放置し死なせてしまう、という単純な方法である——極端な場合は、存在をまったく無視(ネグレクト)し、何もせずに放置する。ほとんど食事を 与えず放置する。衰弱したまま放置する。勝手に放浪し、徘徊するのを放置する。下の世話を一切せず、不衛生な状態に放置し死なせる、といった方法がみられ る。そして、これについては、北極圏のイヌイット族、北アメリカの砂漠地帯のホピ族、南アメリカの熱帯地方のウィトト族、オーストラリアのアボリジニのあ いだで報告例がみられる。

【2】

高齢者遺棄のふたつめの方法は、集団が野営地から野 営地に移動する途中のどこかで、意図的に置き去りにしていく方法である。これは、スカンジナビア北部のラップ族(サーミ人)、カラハリ砂漠のサン族、北ア メリカのオマハ族とクテナイ族、南アメリカの熱帯地方のアチェ族のあいだで報告例がある。アチェ族のあいだでは、高齢の男性を遺棄する方法として、少し変 わった方法が用いられている(高齢の女性はたんに殺されてしまう)。アチェ族は高齢の男性を、彼らが白人の道(ホワイトマンズ・ロード)と呼ぶところの、 西洋人の行き来がみられる道の近くまで連れていく。そして、そこに置き去りにされた老人のその後を知る者はひとりとしていない。しかしたいていの場合、野 営地を移動する際に、弱って一緒にこられない人を置き去りにする方法がとられる。それでも、少しの薪と食料と水は残していで、体力が回復すれば、自力であ とを追うこともできるのである。

人類学者のアラン・ホームバーグは、ボリビアのシリ オノ族が重病人を遺棄する場面にたまたま遭遇し、それをつぎのように記している。「私が行動をともにしていた小規模血縁集団は、リオ・ブランコ方面に移動 することになった。みなが準備をするなか、口もきけぬほど病気で衰弱し、ハンモックから動けなくなっている中年の女性がいた。あの女性をどうするつもり か、私は首長に尋ねた。すると、首長が、その女性の夫を私に紹介してくれた。そして、その男が私にいった。妻は病が重くてひとりで歩けない。いずれにして も助からないんだ。だから、この場に残されるだろう。そして翌朝、出発のときがきて、私は一部始終を目撃した。集団の人々は瀕死の女性に特段のわかれを告 げることもなく去っていった。夫でさえ、さよならも告げずにいってしまった。女性には、焚き火と、水の入ったひょうたんと、それに、わずかばかりの身の回 りの品が残された。彼女はほとんど何もない状態で置き去りにされてしまったわけだが、病は重く、彼女に文句をいう力はなかった」この後、ホームバーグ本人 も体調を崩してしまった。そして、伝道所キャンプで治療を受け、三週間後に、最後の野営地に戻ってみると、そこに女性の姿はなかった。そこでホームバーグ は、集団のつぎの野営地へとつづく小道を辿っていった。その途中で、彼は、彼女の遺体をみつけたのである。それは、アリやハゲワシに体を喰い尽くされた悲 惨な白骨死体だった。「女性は最後の力を振りしぼり、集団のあとを追ったのだろう。しかし、途中で力尽き、シリオノ族の集団において、たんなるお荷物と なってしまった人間の辿るべき運命を彼女も辿ったのである」。

【3】

高齢者遺棄の三つめの方法は、自発的に自殺をさせた り、自殺を教唆する方法である。これは、シベリアのチュクチ族やヤクート族、北アメリカのクロウ族、イヌイット系部族、古代スカンジナビア人のあいだで報 告例がある。具体的には、崖からの飛び降り自殺、小さな船をあつらえてひとりで大海原に漕ぎ出す入水自殺、戦場で殺され戦死という名の自殺の道を選ぶ、と いったことである。たとえば、ニュージーランド人の医師でもあり船乗りでもあったデイビッド・ルイスは、自分の友人のテパケの最期について記している。テ パケは南太平洋のリーフ諸島出身の、ポリネシア人の高齢な航法士だった。彼はある日、周囲の人々に正式にわかれを告げ、ひとりで船に乗り、海に漕ぎ出し、 その後、二度と戻ってこなかったのである。おそらく、最初から、戻る意志もなかったのだろう。

【4】

自殺幇助が許されたり、嘱託殺人が許される社会もあ る。これが高齢者遺棄自殺に手を貸す人がいるという点で三つめの方法とは異なる。具体的には、人が絞殺される、刺殺される、生き埋めにされる、といったこ とが起こる。チュクチ族の場合、みずから死を選ぶ高齢者は称賛される。つぎの世では最高の居場所が得られることが約束される。そして、妻の膝に頭を横たえ た老人の首に巻かれたロープの端を、ふたりの男が両端から一気に、ぎゅっと引っ張るのである。ニューブリテン島南西部のカウロン族のあいだで1950年代 までつづいていた風習では、夫に先立たれた妻が、夫の死後ただちに自分の兄弟や息子の手によって絞殺されてしまっていた。殺人に手を下す人がどれほど胸の つぶれるような思いをしようと、これは義務だった。避けて逃げるのは恥ずべきことだと考えられていた。ジェーン・グドールはカウロン族のある男性の話を記 している。その男性の母親は、息子に侮辱の言葉を浴びせかけ、ためらう息子に自分を殺させようとしたそうである。「ためらっていると、母は立ち上がり、い いました。お前は私と性交したいと思っているんだ。だから私を殺すことをためらっているんだ、と。みなに聞こえるほどに叫んだのです」。南太平洋のバンク ス諸島では、自分を生き埋めにしてほしい、苦しみから解放してほしいと病人や高齢者に頼友人たちは、親切心の表れとして、その願いをかなえたそうである。 「……モタに住んでいたある男性は、インフルエンザにかかって極度に衰弱した兄弟を生き埋めにしました。彼[生きている男性]は、彼[犠牲者]の頭にそっ と土をかけながらすすり泣きました。そして、何度も戻ってきてまだ生きているかと尋ねたのです」

【5】

高齢者遺棄の五つめの方法は、犠牲者の同意や協力な しに乱暴に殺害する方法である。これはさまざまな社会でおこなわれていた方法である。具体的には、人が絞殺される、生き埋めにされる、窒息死させられる、 刺殺される、頭を斧で割られる、首や背骨を折られるといったことが起こる。キヒルとA・マグダレーナ・ウルタドは、アチェ族の男性が語った、高齢の女性を 殺したときの話を記している(前述したように、高齢の男性は、人気のない場所に置き去りにされる)。「私は、とくにためらいもなく、年老いた女をふつうに 殺した。おばたち〔分類上、オバとされる女性]は、まだ動いている(生きている)ときに殺した。……そこの大きな川のそばで、私が踏みつけると、みな死ん だ。……完全に死ぬまで待たずに、地中に埋めた。まだ動いているときは、[背骨や首を]折った。……年老いた女のことなんて気にしなかった。ひとりで[弓 で]突き刺したんだ」

出典:(ダイアモンド 2014:上:366-369)——倉骨彰訳。
文献:ジャレド・ダイヤモンド『昨日までの世界(上)』日本経済新聞出版社、2014年

■チュクチにおける老人殺し/あるいは老人よる殺害 教唆

レヴェジェフとシムチェンコのチュクチの民族誌『カ ムチャトカにトナカイを追う』斎藤君子訳、平凡社、1990年に収載されているエピソード「父親を槍で送る」(pp.128-133)には、父親が息子に 槍で殺害を依頼するように頼むが、息子が逡巡するので、最後は、父親が子供がもつ槍先を自分の胸に突き刺し、往生するという物語が収載されている。老人の 死については、その他に「老婆の死——弔いのしきたり」等の話題がある。

カムチャトカにトナカイを追う : チュクチャ族の自然と伝説 / V.V.レベジェフ, Yu.B.シムチェンコ著 ; 斎藤君子訳,東京 : 平凡社 , 1990年。

■タオスのプエブロインディアンの詩

If I had known before
All the things I know today
I would have begun my life
As an old man tricked
By old men telling me
There was nothing to fear except
Leaving my youth behind.
What would have been the fun of that?
What home would my mistakes have had?
It is better this way.
Now I can wish
For my youth to come back
Just so I can tell it how
Old age is nothing but remembering
How rich the green fields looked
Despite the lack of rain.

Tales from a Pueblo Indian, Taos, New Mexico
Nancy Wood, Many Winters
Drawing by Frank Howell, 1974.
(ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』金関寿夫訳、めるくまーる、1995年)

■リンク集

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