はじめによんでください

カントの「物自体」にまつわる疑問

the question on "Ding an sich," by I. Kant

池田光穂

先験的(超越論的)原理論


先験的(超越論的)感性論


空間について


時間について


先験的(超越論的)論理学


先験的(超越論的)分析論


概念の分析論


原則の分析論


先験的(超越論的)弁証論


純粋理性の概念について


純粋理性の弁証的推理について


純粋理性の誤謬推理について


純粋理性のアンチノミー(二律背反)


純粋理性の理想


先験的(超越論的)方法論


純粋理性の訓練


純粋理性の基準


純粋理性の建築術


純粋理性の歴史

定 言命法
Kategorischer Imperativ, categorical imperative
定言命法[1](ていげんめいほう、独: Kategorischer Imperativ[2]、英: categorical imperative)とは、カント倫理学における根本的な原理であり、無条件に 「~せよ」と命じる絶対的命法である[3]。定言的命令(ていげんてきめいれい)とも言う。『人倫の形而上学の基礎づけ』 (Grundlegung zur Metaphysik der Sitten) において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正された。『実践理性批判』の§7において「純粋実践理性の根本法則」として次のように定式化される。

あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ

Handle nur nach derjenigen Maxime, durch die du zugleich wollen kannst, dass sie ein allgemeines Gesetz werde.-  Immanuel Kant: AA IV, 421

Act as if the maxims of your action were to become through your will a universal law of nature.

カントによれば、この根本法則に合致しうる行為が義務として我々に妥当する行為であり、道徳的法則に従った者だけが良い意志を実現させるということであ る。 他のあらゆる倫理学の原則は「~ならば、~せよ」という仮言命法であるのに対して、カントの定言命法は「~ならば」という条件が無い『無条件の行為』を要 求する。 一例として、「幸福になりたいならば嘘をつくな」という仮言命法を採用する場合の問題が挙げられる。ここでは「幸福になること」と「嘘をつかないこと」の 間に必然性が有るのか無いのかが問題となる。「嘘をつかないこと」は幸福になるための都合の良い手段にすぎない。従って、もし「幸福になること」と「嘘を つかないこと」の間に必然性が見出されない(つまり道徳で幸福を得られない)場合には、「幸福になることを目的にする人」は不道徳(嘘をつくこと)を行う ことになる。すなわち、カントは自身の意志を普遍的立法の原理と妥当するように行動することを求めているため、我々は一切の自愛の原理に基づく幸福への意 図を断ち切り、普遍的立法に合致する格率によって意志を確立しなければならないわけである。 また、仮言命法において何が道徳的かであるかの洞察は、行為(嘘をつくこと)と帰結(幸福)との間の自然必然性の洞察であり、経験論に属するものでしかな い。条件節を欠くカントの定言命法は、倫理学が経験論の範囲に陥ることを防ぎ、経験論から独立した純粋に実践的な倫理学の範囲を確保するのである。

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