地下世界のマルクス主義
Rhizobian
Marxism underworld
根粒菌(Rhizobia)は、植物の特に豆科の植物 の根に寄生して、空 気中の窒素を固定して、植物に供給することはよく知られている。しかし、窒素を固定するエネルギーは、根粒菌の増殖のためのコストになるために、なぜ植物 に根粒菌が使役されているのかよくわからなかったという。しかしながら植物は、根粒菌に酸素を供給して、生成した窒素を見返りとして「搾取」していること がわかった(Kiers et al. 2003)。それがなぜ、搾取なのかというと、根粒菌が植物に対して、窒素供給を 「怠る」と、今度は植物のほうが、根粒菌に酸素提供を出し惜しみするとい うことらしいのだ(つまり、植物と根粒菌の関係は完全な「互酬関係」ではないようなのだ)。これは使用者(=資本家)たる植物が、労働者(=窒素供給しかできないプロレタリアート)たる根粒菌に、その労働の出来 高が悪い際に、 賃金を据え置くぞと恐喝し、期待されている労働にみあった貢献をしている時に、対価(=酸素)を支払う、経済搾取構造に似ているからである。
豆科植物と根粒菌の恐喝がらみの「搾取構造」に、人 間様が義憤を抱くことは、じつは、この豆科植物と根粒菌の「共存」にとって不利益なことをひとつ紹介しよう。豆科植物——さすが根粒菌を使役するだけあっ て豆にはタンパク質が多く含まれる、その供給源は空気から固定される窒素である——の成育効率をあげるために、根粒菌の代わりに、豆科植物がよろこぶ窒素 肥料を与えることは、いっけん理に適っているように思われる。しかし豈図(あにはか)らんや、このことは、今度は逆に、根粒菌に対して搾取者であった植物 を、人間様が提供する窒素肥料に従属することになり、植物が人間に搾取される——つまり中間管理職に格下げされる——ようになる。それどころか、このよう な人間への窒素供給の依存状態は、最終的に植物の根粒菌に対する「制裁」という制御能力を奪うことになる。そのため、このような肥料依存に適合した豆科植 物は、根粒菌への「搾取」どころが「共存」すらできない種に人為的に選択されてしまうことになる。つまり、肥料のない天然条件でも、上手に空気中の窒素を 固定する能力のある栽培植物が根絶やしになるということを意味する。
遺伝子組み換え大豆などを工場から供給する、アグロ インダストリーは、伝統的な農法——例えばメソアメリカの先住民は豆科植物と主食のトウモロコシを混栽する伝統を育んできた——に影響を与えるだけでな く、土地の地味すなわち生態環境を変え、やがて植物の遺伝子の構成すら変えてしまい、もとの食物とは、相当異なる作物に置き換えるという芸当をやってのけ るのである。
つまり、まさに「ラディカル・ユートピア(Philosophie des linken Radikalismus)」
(アグネス・ヘラー)というものは、夢想するにはいいが、ユートピアという「もうひとつの現実」を生き抜くことも、なかなか、厳しいものになるのだ!
Source: Global soil biodiversity atlas / [Alberto Orgiazzi ... et al.], Publications Office of the European Union (2016)
◎マルクス主義における「搾取 (Exploitation of labour)」概念
マルクス主義では、ものから搾り上げる=搾取という
ことを広く使うのではなくて、労働搾取あるいは労働からの搾取(Exploitation of
labour)というふうに理解する。労働搾取とは、広義には「ある主体が他の主体を不当に利用すること」と定義される概念である。労働者とその使用者の
間の力の非対称性や価値の不平等な交換に基づく不公正な社会的関係を意味する。搾取について語るとき、社会理論的には消費との直接的な関連性があり、伝統
的には、搾取とは、他者が劣位にあるために不当に利用され、搾取者が力を持つことであるとされてきたからである。マルクスの搾取概念は、資本主義経済にお
いては、単にブルジョアジーが生産手段を独占して、労働者の賃金を掠め取るという不道徳ではなく、かりに、労働者にちとって人間的によきブルジョアであっ
ても、資本主義の構造の中では労働者への賃金のなかに未来への資本投資のための不払い労働が含まれる。不払い労働とは、計算で算出されるような概念ではな
く、資本主義がもつ必然性であり矛盾(=支払いが正当に見えても不払い労働分は資本の増殖に直結するからであり、それを回避することは不可能)である。古
典派経済学者の創設者アダム・スミスは、搾取をマルクスのように特定の経済システムに固有の体系的現象とは見なさず、むしろ任意の道徳的不公正としてとら
えた(→「搾取」)。
◎「ラディカル・ユートピア(Philosophie des linken Radikalismus)」 (アグネス・ヘラー)とは?
原題と副題は、Philosophie des
linken Radikalismus : Ein Bekenntnis zur
Philosophie、邦訳は小箕俊介により法政大学出版局より『ラディカル・ユートピア :
価値をめぐる議論の思想と方法』として1992年に出版されている。本の紹介は「世界史的激動の時代を生き抜いた哲学こそ、新しい価値理念を創出し、実り
ある合意を生む価値議論の媒介者たりうる。哲学の初心に立ち返り、自律的生活を希求する市民たちに〈真の価値〉をめぐる議論の必要と価値合理性を追求を説
き、人類と地球の危機打開の方途を探る」である。そして章立ては以下のとおりである;第1章 序論—独断的な夢からの目覚め
第2章 哲学と欲求
第3章 日常経験と哲学
第4章 コミュニケーション
第5章 ラディカルな哲学とラディカルな欲求。
リンク
文献
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