かならず 読んでください

泉靖一

Siichi IZUMI, 1915-1970, is positioned in left end.

 Source: http://peruvianart2014.blogspot.jp/2014_08_01_archive.html

池田光穂

泉靖一略譜(現時点では、下川(2017:317-320)が最新で詳しい)

1915 6月3日東京・雑司ケ谷で出生(本籍:北海道夕張郡角田村)父親は泉哲(いずみ・あきら, 1873-1943)

1921 6歳:父・泉哲『植民地統治論』有斐閣

1922 東京市青柳尋常小学校入学(10歳)

1925 10歳:豊島師範学校附属小学校に転校

1927 12歳:9月朝鮮・京城府公立東大門尋常小学校(父・泉哲が京城帝国大学教授[植民政策専攻]就任のため)

1928 京城公立中学校(在学中、肺浸潤に罹患)、京城帝国大学予科、京城帝国大学法文学部国文学科(当初は国文学科、のち哲学科に転科)卒業(ウィキ「泉靖一」に準拠)

今村豊(1896-1971)京城帝国大学医学部解剖学第3講座教授に就任。島五郎(1906-1983)助教授。解剖学第1講座は上田常吉[1887-1966]教授。

1929 3月受洗(京城日本基督教会:秋月致・牧師)(下川 2017:108-109)。11月3日光州学生事件おこる。

1934 今西錦司、白頭山冬季登頂に成功(「遥かな山々」1967)

1935 済州島漢拏山の登頂リーダーを務めるが1名遭難行方不明。

1936 済州島に通いだす。

1937 

8月卒業論文調査のため済州島に20日間滞在(秋葉隆が済州島の巫歌を紹介)。また秋葉はマリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』を手渡す。オロチョン調査。

「大興安嶺東南部オロチョン族踏査報告」

1938 

4月京城帝国大学法文学部助手、同大・理工学部助手兼書記。8月京城帝国大学蒙古探検隊に参加。「済州島:その社会人類学的研究」を書き上げる。

赫哲族踏査記録」(赫哲(ホジェン)族はナナイのこと)

1939 前年12月旭川第七師団入隊。旭川と満州を往復する。

1941 26歳:5月大連にて、井関貴美子(22歳)と結婚。旭川に住む。10月除隊し、京城に戻る。理工学部助手に復職。

1942 27歳。5月第一子幽香誕生。

1943 太平洋協会による西ニューギニア資源調査団に参加、ヤムール地峡を横断する。12月大興安嶺オロチョン調査。

1944 29歳:6月第二子南香誕生。『西ニューギニアの民族』泉靖一, 鈴木誠共著 ; 太平洋協会編

1945 6月京城帝国大学大陸資源科学研究所(初代研究所長は今村豊)嘱託(泉貴 美子 1972:94は、助教授と記載)。8月助教授。北京・張家口方面調査中に敗戦。

1945 10月京城罹災民救済病院発足、移動医療局を組織した。12月6日貴美子と子供が、京城出発。12月18日靖一博多に上陸。

12月今村豊は、博多引揚援護局検疫所長や佐世保引揚援護局検疫所長を歴任。

1946 31歳:2月在外同胞援護会救療部福岡市、聖福寺

1946 ソウル(京城)に密航。3月中絶病院「二日市保養所」開設。5月京城帝大を自然退官。6月在外同胞援護会救療部参事。10月第三子茉香誕生。

1947 12月今村豊は広島県立医科大学講師(現・広島大学医学部)に就任。

1948 33歳・明治大学政治経済学部講師。8月第四子拓良誕生。以降、十津川村や沙流川アイヌなどで調査(→「泉靖一とアイヌ民族」)。

9月 今村豊は広島県立医科大学解剖学教授に就任。研究員に、池田次郎や蒲生正男が在籍。蒲生の就任には泉の尽力があったという。

1949 34歳・明治大学政治経済学部助教授:「サゴ椰子の生み出す文化」論文

1950 

5-9月東京における済州島出身者(「東京における済州島人」)調査。

7月八学会連合による対馬調査(渋沢敬三委員長、泉靖一幹事長)。

「西部ニューギニア原住民の社会組織」「社会学講義資料II(十津川村の報告)」「北アジア遊牧狩猟民族の人口」

1951 36歳・4月、明治大学政治経済学部教授

1951 36歳・6月、日本民族学協会のアイヌ綜合調査に夫人(貴美子)を伴い北海道日高沙流州沿岸を調査(泉貴美子 1972:324)

1951 36歳・11月、東京大学東洋文化研究所助教授。石田英一郎教授。

1952 「沙流アイヌの地縁集団におけるIWOR」論文。ブラジル移民調査委嘱。

1955 40歳・東京大学教養学部助教授(文化人類学専門コース)。ブラジル移民調査委嘱。

1956 ペルーのリマで天野芳太郎に出会う(天野は戦前はパナマで商会を経営)。帰国後ハーバード大学に留学。アンデス先史学の勉強をはじめる。

1957 未開人の性生活 / B. マリノウスキー [著] ; 泉靖一 [他] 訳, 河出書房

1958 

東京大学アンデス地帯学術調査団。

9月末ペルー人考古学者たちとコトシュ調査

1959 

44歳・10月北海道宗谷のオンコロマナイ遺跡発掘。10月21日母ハツヨ死去。

インカ帝国 : 砂漠と高山の文明』岩波新書

1959年

東京 : 日本評論新社による「科学ノート:人間の解明」シリーズ発刊。泉はその監修者を須田昭義とともに務める。『アメリカ・オセアニア』石田英一郎, 泉靖一編  (世界考古学大系 / 浅野清 [ほか] 編 ; 第15巻)

1960 45歳・人間の生活 / 泉靖一編

1961 『人類学』石田英一郎 [ほか] 著、東大出版会。

1962 

47歳・東京大学東洋文化研究所助教授。

 (古代史講座 / 石母田正 [ほか] 編 ; 6 . 古代社会の構造 ; 上)『古代家族と村落機構

1964 

49歳・東京大学東洋文化研究所教授・ペルー政府よりEl Orden del Sol 勲章を授与。

『ブラック・アフリカの社会経済変容』泉靖一編 (アジア経済研究シリーズ ; 第52集)

1964 

南アメリカ美術 / 泉靖一編著(講談社、世界美術大系 ; 23)/アンデスの芸術 / 泉靖一著

1965 

古代アメリカ / 石田英一郎, 泉靖一編/ロシア美術 / 吉川逸治, 泉靖一編

11月韓国訪問、済州島訪問

1966 

51歳:3月『済州島』(東洋文化研究所紀要別冊)東京大学出版会。文明をもった生物 / 泉靖一著

ペルー、コトシュ発掘調査でミト期の考古学遺物を調査隊は発見。文明起源説の構想のアイディアが浮かぶ。

1967 

マリノフスキー ; レヴィ=ストロース / 泉靖一責任編集(世界の名著)

フィールド・ノート(野帖) : 文化人類学・思索の旅 / 泉靖一著

1968 

53歳・アイヌの世界 / 泉靖一編、鹿島研究所出版会

第8回国際人類学・民族学会議が京都と東京で開催。泉は総務幹事を務める。

1969 

フィールド・ワークの記録 : 文化人類学の実践 / 泉靖一著/先史時代の人類 / R.J. ブレイドウッド著 ; 泉靖一 [ほか] 訳/構造主義の世界 / 泉靖一編著

1970 

55歳・4月東京大学東洋文化研究所所長、日本万国博覧会(EXPO70)

11月15日死去。

インカの遺蹟 / 泉靖一編、日本列島文化論 / 岡本太郎, 泉靖一対話文化のなかの人間 / 泉靖一著、人類生態学ノート / 勝沼晴雄, 鈴木継美編、

1971-1972 読売新聞社『泉靖一著作集』を刊行、住まいの原型 / 泉靖一編、

1972 泉靖一と共に / 泉貴美子著

1972 人類と文明 / 泉靖一編

1978 インカの遺蹟 / 泉靖一編著、講談社

1994 泉靖一伝 : アンデスから済州島へ / 藤本英夫著

2017 忘却の引揚げ史 : 泉靖一と二日市保養所 / 下川正晴著

++

リンク

文献

sa

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2016-2019

Do not paste, but [re]think this message for all undergraduate students!!!


泉靖一旧蔵書、植民地期のアイマラ語辞書(ファクシミリ版)Dr. Izawa はラテンアメリカ研究者の井沢実(1897-1976)と思われる。