クェンティン・スキナーの2つの結論
from "Meaning and context: Quentin Skinner and his critics"
池田光穂
「二つの結論とは、(1)いかなるテクストであれ、 その歴史的な意味の再現がそれを理解する必要条件であるということと、(2)この手続きは単にテクストそれ自体を研究するだけでは達成しえないと いうこと である。パレクとバーキでさえ、この結論が正しい場合もあると認める気になっているようである。しかし、彼らは、「コンテクストを無視しても差し支えない ような、テクストの読者が普遍的かつ超歴史的で特定できない」場合もある、と主張する。彼らは、「それ自体ではっきりと理解でき、特別のコンテクストも、 特定して確認できる読者も持たない」古典的テクストの「おそらく最も明らかな例」は、ホッブ スの『リヴァイアサン』」であると論じている。私も、たぶん『リ ヴァイアサン』ならばその例の最有力候補らしく見えるということには同意する。しかし、ホッブスに関する私(=クェンティン・スキナー)の歴史研究の主要 な狙いの一つは、ホッブスの場合ですらそうした仮定が事実誤りであることを論証することにあった。ホッブスは『リヴァイアサン』で何をしているのか、とい う問いを立て、その問いに対して、彼の作品をその当時の政治的議論の一般的な慣習に関連づけることによって答えようとしない限り、彼の反革命的な政治的義 務理論の正確な特徴を解明することは決してできないし、彼の政治思想との関連における認識論の正確な役割を理解することもできないであろう。 しかし、『リヴァイアサン』を、適切な思想的・イデオロギー的コンテクストと関連づけて考察する気になれば、われわれは容易にこれらの問いに答え 始めることができる し、またそうすることによって、この作品についての理解を増していくこともできる。そして、さらにわれわれは、たとえホッブスが「超歴史的に」話す大望を 抱いていたとしても(私はそれを否定したことは決してない)どれほど彼の作品が、厳密に限定され明確に同定されうる読者に向けて書かれていたかを理解しは じめることもできよう」(スキナー 1999:222-223)。
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