人類学者と研究対象者の4つのタイプ
Four types of Anthropologist from
colonial to post-colonical periods
Joe Watkins 教授(オクラホマ大学先住民研究センター所長—当時)によると、人 類学者と研究対象のには以下の4つのタイプがみられるという(ハドソン 2010:136)。
植民地主義的(コロニアル)の典型は、自らもアイヌ民族であり研究者だった知里真志保に よる、和人(シャモ)による、アイヌ研究に対する批判である。知里真志保「和人わ船お食う」(1947)、「学問ある蛙の話」(1949)。
さて、ハドソンによると、日本の人類学は北米の人類学による四分類学問から成り立つこと がなかったために、ポストモダニズムからの批判に激震がなかっという。人類学の四 分類とは、人類学という学問を、文化人類学(民族学)、言語人類学(言語 学)、自然あるいは形質人類学、そして考古人類学(考古学)からなる総合的学問のことであり、北米の人類学では「人類学を学ぶこと」を基本的な学4つの習 領域を学ぶことをさす。
そのため、例えば、アイヌの人骨問題のように、計測に利用した人骨が墳墓の盗掘などに よって収集された問題と、その解決のためのアイヌ民族との対話が、文化人類学(民族学)者たちが自分たちの問題として考える機会がなかった、あるいは形質 人類学や考古学(ないしは形質人類学を教えた医学部解剖学教室)の問題だと、自分たちの分野の問題と考えることができなかったからである。
他方で、環境に適応して自然資源を多様な形で利用してきた自然環境の利用形態や、環境認 識などの自然人類学や民族学という学問業績は、調査時におけるさまざまな問題——アイヌ民族の尊厳の軽視など——を抱えながら、自然環境にさまざまなかた ちで適応してきたアイヌ民族の生活のあり方に関する詳細な情報を残すことができ、現在に至っている。
以上の4タイプを、官僚的あるいは研究搾取的〈対〉対話かどうか、で以下のようにそれらの分類を図式化できる。
●参考:パスツールの4分類科学
パスツールの4分類とは、科学研究における応用を目的とする判別基準(用途を考慮する/ 考慮しない)という軸と根本原理の探求の有無を軸とする 4象限で区切られる領域を配し、科学の基礎研究と応用研究の二分法を克服するためにドナルド・ストークスによって考案された、研究の分類である。オリジナ ルの図は下記のとおりである(原著:73ページ)
それを上掲のJoe Watkins 教授の4分類に当てはめてみると、右の図のように描けるのではないか?
《演習の課題:アイヌの遺骨返還問題への取り組 み》(→「人文社会系のための研究倫理入門(リテラシーG)2018」) 演習シート(Enshu_kadai180529.pdf)パスワードなし
現在、アイヌ民族の有志——北大開示文書研究会等——が、北海道大学ならびに全 国の大 学・研究機関に、日本の先住民アイヌの人骨の「返還」を求めている。その訴えの根拠はさまざまな理由から示されている。具体的には、...... 1)さまざまな歴史的経緯から、アイヌは研究対象として扱われることがあっ ても、人 格・人権をもった対象として扱われてこなかった。その例は、戦前から続く人骨の「収集」であり、自然人類学者や考古学者による、伝統的埋葬地からの「盗 掘」であり、「人種標本」としての写真の撮影、さらには「民族の起源」研究のための血液やDNAサンプルの採集である。それらの多くは、アイヌ民族の研究 がもたらす情報としてもまた研究資料を「提供してきた」貢献としての福利の還元ですらない——アイヌ民族に対する研究という名の搾取。 2)上記の研究にかかわる自然科学的な研究のほかに、社会調査や民族学調査 において も、その実態の調査に関する報告書が書かれたとしても、アイヌ民族が直面するさまざまな文化的あるいは政治経済的「窮状」に、人間的な共感をもつ和人研究 者はいても、その成果をもとに、アイヌと共に、国や地方自治体あるいは、研究を実施する大学・研究機関に対して、適切な措置を講じるように、調査結果とと もに訴えることは少数の例をとおしてなく、理念的なものに留まっていた。 3)アイヌの祖先に対する崇敬に関する伝統的な観念と、和人や外国人による さまざま な宗教の受容により、祖先の遺骨や遺体に対しては、多様な思いがある。また、日本政府はアイヌ民族を先住民として認めている事実がある。それらのことに鑑 みて、個人が特定化された遺骨に関しては、遺族や祭祀継承者のもとに返還請求があれば速やかに返却すべきである。また、地域のアイヌ民族集団として、その 祭祀あるいは葬礼に関して集合的な崇敬の念をもって、研究材料から「解放」され、同胞として敬意をもって遺骨が処遇されることは、アイヌ民族としての集団 的な先住民権が国連宣言等(UNDRIP, 2007)でも認めるところである。 以下の、3つの文献(またはそのエッセンス)を読んで、上記の問題がどのように 訴えられ ているのか、読解の上で、みんなで考察してみよう。 (1)アイヌ民族からの請求により北海道大学がまとめた遺骨の収集や保存状況に ついて書 かれた文献:北海道大学『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』北海道大学、183pp., 2013年(→9.8MB pdf) (2)北大開示文書研究会に与る、市川守弘ら弁護士らによる、内閣総理大臣安倍 晋三らに 宛てた「人権救済申立書」:出典は北大開示文書研究会編『アイヌの遺骨はコタンの土へ』緑風出版、2016年, Pp.276-295. pdf パスワード付: Ainu_jinken_kyusai_2015.pdf (3)葛 野辰次郎エカシ(2010-2001)が遺した、大自然の尊さと人間の悪との仲裁の口頭伝承(あるいは唱え歌)「シオイナ・ネワ・ハヲツルン・オ ルスペ(抜粋)」:出典は北大開示文書研究会編『アイヌの遺骨はコタンの土へ』緑風出版、2016年, Pp.59-88. pdf パスワード付:Kuzuno_Ekashi_Sioina.pdf:: |
知里真志保(ちりましほ:1909-1961)、高倉新一郎(たかくらしんいちろう: 1902-1990)、河野広道(こうのひろみち:1905-1963)、更科源蔵(さらしなげんぞう:1904-1985)/出典:ふじもと・ひでお 『アイヌ研究史:ある断面』札幌:みやま書房、p.112.
●人物
河野常吉(こ うのつねきち、1863-1930):「拓殖状況の現地調査に努め、1898年から1901年の間に、根室国・日高国・釧路国・十勝国・北見国の各国につ いて『北海道殖民状況報文』をまとめた。自然条件・地域の沿革に触れた拓殖状況の報告は、当時をとらえる貴重な資料となっている。/また、『北海道拓殖要 覧』『第二拓地殖民要録』『道治一斑』『北海道殖民の進歩』『北海道旧土人』『函館区史』など道庁の拓殖事業関係の刊行書の編纂に業績をあげ、日本原住民 コロボックル説を批判する立場で学界論争へ参加するなど史学・考古学・アイヌ研究の分野でも大きな影響力を示した。開道50年記念事業の北海道史編纂事業 では編纂主任となった。この時、アイヌとして尋常小学校の教師を務めていた武隈徳三郎を知り、その著書『アイヌ物語』の序文と校訂を担当し、出版にも尽力 したとされる。その後も北海道史跡名勝記念物調査委員、小樽市立図書館長を務め、『小樽市史』や『室蘭市史』の編纂にもかかわった。適切な史料を発掘して の実証的・体系的歴史叙述は高く評価され、またすぐれた道史研究の後継者を育成したことも重要だった」河野常吉)
河野広道(こ うのひろみち, 1905-1963):「1935年に、「貝塚人骨とアイヌのイオマンテ」の論文を発表し、縄文遺跡の貝塚は、ゴミ捨て場というよりは、アイヌ儀礼の「物 送り場」という解釈を論じる。1944年、北海道帝国大学を退職する。その後、北海道新聞北方研究室長につく[1]。北海道学芸大学札幌校の教授となる [1]。1951年、北海道文化賞受賞」河野広道)
河野本道(こ うのもとみち, 1939-2015):「三代続けてアイヌ研究者の家系に生まれた河野だが、若い頃はアイヌ解放同盟の活動に共感し、北海道ウタリ協会の活動にも協力して いた。しかし、1980年に北海道出版企画センターから刊行した『ア イヌ史資料集』が差別図書である※と批判を受け、民事提訴される。その後、現代におけるアイヌ民族懐疑論の立場となった。現代におけるアイヌの民 族 性を疑問視する小林よしのりと同じ立場をとっている」河野本道)
※河野本道の文章が差別文書であるという言いがかりは、この河野(1980) 「『アイヌ史資料集』の選者として」をよく読んで いない告訴人だったと思われる:
「1899年に制定された『北海道出土人保護法』は、その保護の名に反しこの地 の 来民にとって身動きならぬ駄目押し的枷となった。同法により、在来民はすでに組み込まれて しまっていた階級社会の中で、職業や居住地などを制限され、さらにはそのような社会的差別 を一集団として蒙むることになった。しかも、それらに伴って当てがわれた「給与地」はとい えば、大半がその後約半世紀の間に「和人」の手中に転ぜられてしまった。そして、最近アイ ヌ自身のうちに、『北海道旧土人保護法』の歴史的検討を通じて、自らを位置づけようとする取 り組みが起った。/ すなわち、ウタリ協会の札幌支部が、昨年(1979年) の7月から毎月1回ではあるが同 法に関する勉強会を開くことになった。この集りに筆者が講師を依頼されて参加することに なったが、その図を重ねるうち近代史のまとまった基礎的資料を得たいという主旨の声が強 まり、結局、そのために筆者が、資料的なものをまとめて公にするという宿題を与えられるは めとなった。/ こういった経緯があって、近代史資料を中心としたこのような『アイヌ史資料集』を編んだ わけであるが、その経緯からしてこれは決して単純な好事家的興味や関心を満足するために 用いられるものではなく、また、従前の多くの研究者に対して言われてきたように差別的学問 の手段として用いられでもならないものである。/ なお、この資料集は、筆者が手近に得られたものによっており、しかも、諸種の限界から大 著あるいは雑誌に掲載された論文や報告、入手し易い著書などを含まぬものであるから必ず しも十一分なものとは言い難い、そして、これら個々の資料については、信濃性に乏しい部分や 批判の的になるようなところも大いにあるはずである。しかし、過去に作られた資料がそのま まで歴史の一部や全体をなすものでないことは言うまでもなく、アイヌ史の資料がかなり限ら れているという限界があり、さらに、今日からみると問題視されるものでもそこから歴史が紐 解かれるということもあることなどからここにはできるだけ広範な資料を集めている。/ また、とくにこれまでのアイヌ史の資料は「和人」の手によるものが多く、そのような資料 には十分批判的な考証が試みられねばならないであろう。何故なら、アイヌといゆる「和人」 との歴史的・社会的条件には差違があり、そのため両者の間に歴史観め開きが生じ、〈和人によ るアイヌ史〉と〈アイヌによるアイヌ史〉とが単純には同一のものとはなり得なかったという 問題が残されたまま、一方的な歴史に負うべきではないからである。// 今、アイヌ史をアイヌが自らの歴史観をもって築くことこそ待たれるところである(1980.01.01)」。——この文書は、『ア イヌ史資料集』(北海道出版企画センター、1980)のそれぞれの巻に栞のように挟まれている。motomichi_kohno_Ainu_hist1980-1983.pdf with password
●戦前の自然人類学(形質人類学)と先住民(あるいは被植民地人)
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文献
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my
message.
Remind Wittgenstein's phrase, "I should not like my writing to
spare
other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate
someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein