明治神宮を考える
On thinking for the MEIJI Shrine
講師:池田光穂
明治神宮は初詣の名所だという話です。
神社の名前からわかるように、この神社は明治天皇と昭憲皇太后――皇太后(こうたいごう)とは天皇の未亡人のこと――が祀られています。
岩波書店の日本史大辞典には、明治神宮の造営の経緯について次のような記載があります。
旧官幣大社。
明治天皇の陵墓が京都に定められたため,東京における施設として造営が内定し,1915 年(大正4)内務省告示により創建を発表,1920年11月鎮座祭が執行された。
その後,10万余の青年団員の勤労奉仕や全国からの献木により広大な境内の植林や神宮外 苑(26年10月完成奉献式)などの整備が進められた。
社殿は45年4月戦災で焼失,58年再建。
これが、明治神宮のホームページによると次のような記載になります。
明治45年7月30日に明治天皇が、大正3年4月11日に昭憲皇太后が崩御になり、 ご神霊をおまつりしたいとの国民の熱誠により、大正9年11月1日に、両ご祭神と 特に縁の深い代々木の地にご鎮座となり、明治神宮が創建されました。(http://www.meijijingu.or.jp/intro/chron/index.htm、 2003年1月1日)
また、造営に関連する情報として次のようなものもあります。
鬱蒼(うっそう)と樹木が茂り、野鳥たちが棲む代々木の森。東京のまんなかにあるこの森 は、もともとは植林による人工のものでした。明治天皇様が明治45年7月30日崩御(ほうぎょ)され、国民の間からは深い悲しみの中にも御神霊をお祀(ま つ)りして、永遠に御聖徳を敬仰追慕申し上げたいという熱誠が全国に沸き起こり、明治神宮の御造営が決定したのです。「豊多摩郡代々幡村代々木」、この地 が明治神宮の敷地に決定したのは大正4年で、その当時はほとんどが草原と田畑ばかりの土地でした。当時の最高技術が結集され、100年後の森を想定した壮 大な計画が立てられ、全国各地から、実に10万本近い献木があり、その種類は365種に及び、先人たちの叡知と、明治天皇様に対する国民のまごころが代々 木の森として誕生したのです。(http://www.meijijingu.or.jp/yoyogi/dai/index.htm、 2003年1月1日)
明治神宮が、戦前の国家によるプロジェクトによって造営された事実が、「国民の熱誠」によってできたという記載になっている点は、当事者の 後ろめたさを感じさせます。しかしながら、明治の御代も末期になるころには、国家の提案に国民もそれなりに熱心に動員された/したという事実を示すもので もあります(→「愛国主義」「ナショナリズム」「国民国家」)。
明治神宮造営のエピソードは、現在の天皇がなぜ植樹祭のための全国を巡るのか、日本の森という自然がいかに国家イデオロギーと結びついてい るのかを考えさせる格好の素材になります。
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