いま、なぜ民間療法か?
Why do people rely & choice folk therapy rather than western medicine?
※初出・基盤は、池田光穂「いま、なぜ民間療法か?」『思想の科学』121号、pp.14-20、1989 年10月。なおこの文章は、藤岡喜愛先生ならびに中川米造先生を追悼し、その思 い出に捧げる。
——[池田光穂]民間療法って何ですか?
——[大西良哉君]その・・鍼や灸とか、薬草、んと、漢方のことかな?
——[池田]なにか古いイメージですね? えと「飲むセンイ」なんか、どうですか?
——[大西]あれは、オシャレでしょ、もっと古くさいのですよ。
——[池田]でも若いコでも、「漢方のほうが体に合う」って言う人いますよ?
——[大西]でも、それは民間療法とは言わないですよ、やっぱり。
——[池田]そうかな。
「『いま、なぜ民間療法か』という題で、書いてみるか?」とNさん[=中川米 造]から、誘いとも依頼とも受け取れるテーマをもらった。
「民間療法ですか・・・最近、生駒山系の修験者の病気治しの資料を集めていて、大正から昭和の初期に流行った『霊術』に興味をもっていて、当時 のブームと今日の民間療法の流行を比較しながら論じるのはどうでしょうか?」と私のこたえ。
「そうか、要はビリーフ・システム(人びとの信条の体系)の問題やから」とNさん。
「わかりました、がんばります」と、私は元気よく引き受けたものの、その意味やイメージが、つかめない。二、三の友人に聞いても、いまひとつ。 民間療法とは、何か古色蒼然としたイメージがあるようだ。やっぱり、民間療法というのは「よう、わからん・わかるようで・やっぱり難しい」「ホンマに流 行っとんのやろか」と自問してしまう始末。しかし、あの「紅茶キノコ」は、確かに、民間療法で流行したのだ(と、私は確信している)。そして、「健康」が 明確に格好の良いファッションの一部として受け入れられている現在、「飲むセンイ」と民間療法には、何らかの関係があると考えるのは、たんなる邪推である とは思われない。
民間療法の定義とはあいまいだ。なぜなら、そのことばの響きに、私たちはさまざまなイメージを抱くからである。医療の専門職がおこなう業とは 異なる、民間に流布している病気治しのこと、というのはなんとなく察しがつく。
だが、あるひとは中国医学(「漢方」というのは日本語である)やインドのアーユルベーダーといった、現地では正統的な医療と見なされているも のを想像する。村落社会で古くから伝わった民間医薬(たとえば、センブリの煎じ薬)や「まじない」(小児の疳[かん]の虫封じに人形を神社に奉納する)が 民間医療であるとすることもある。また、高麗人参、紅茶キノコ、アロエ、霊芝、クロレラ、ローヤルゼリー、マコモ、から、アルカリ食品、ゲルマニウム、カ ルシウムに至る「薬用物」や「健康食品」による治病や健康維持法をそのように呼ぶこともある。あるいは、信仰や呪術といった宗教による治病を民間医療とす ることもある。
このように民間医療のイメージは、ひとことで言えば雑多であり、ひとつの概念や定義でまとめることはできない。なぜなら、私たちは、近代医療 で取り扱われなかったものを、十把一絡げにして「民間医療」と呼んできたからに他ならない。
松山正さんによると、民間療法とは「医師の資格をもたない一般人が、もっぱら伝統的な知識にもとづいて行なう治療。」と「広義には磁気や電子 機器を用いた療法、断食療法など特殊な食事療法、またこれらを組み合わせたものなどをも含めたものをいう。」そして、千葉徳爾さんは民間療法を四つのカテ ゴリーに分類して解説する。すなわち、薬物療法、物理的治療、呪術的治療、信仰的療法であるという(ともに平凡社大百科事典)。
しかし、「いま、なぜ民間療法か」と人びとにアピールするには、「伝統的な知識」とか「磁気や電子機器」「食事療法」では、やっぱり何かしっ くりこない。そして、民間療法が四つのグループに分かれることも、確かに言えそうである−−例えば、薬草は「薬物」で、お灸は「物理」、まじないは「呪術 的」で宗教的な暗示は「信仰」となる−−だが、実際はもっとあいまいだ。例えば、効くか効かぬかわからない「気休め薬」だと思った薬草で治ったとき、それ は薬物で治ったのだろうか、それとも呪術か? いや薬草に対する信仰で効いてしまったのだろうか。
世の中には、不思議な療法がたくさんある。それぞれ、もっともらしいのだが、どれを信頼(あるいは信仰?)するかは、個人的な好みがあり、話 題には事欠かない。誰しも御贔屓の治療法があるものだ。民間療法は経験的な知識を主軸に発展したと考えられているから、その知識が生まれ伝承される場とし ての「家庭」に注目して、家庭療法と言われることもあった。でも現在では、親が漢方、兄はビタミン、弟オカルト、妹元気でフィットネス・クラブ通いという ふうな情景はほとんど当り前のようになってきた。そうすると、家庭で伝えられる療法なんて絶滅し、家人がお互いに異なった療法を採用する多様化の傾向は、 (宗教の)信仰の多様化よりもはるかに著しくなっているに違いない。それに、マスメディアは、個人的な噂が広がるよりも、より広範囲に強力に「もっともら しく」特定の療法の効果を喧伝するものだから、民間療法の多様化の様相にさらに拍車がかかる。
このように民間療法とは、私たちがくわしく分類し、理解しようと努力している一方で、どんどんその姿を変えていく。だから旧来の定義が、いつ も実態とはしっくりこないものになってしまうのだ。これは、民間療法のことばを定義する人に責任があるのではない。「民間療法」という代物が悪いのだ。あ るいは、そんなことばに閉じこめて、刻々と変化する民間療法の現実を見ようとしない理解のスタイルそのものの問題なのだ。
したがって、民間療法ということばの意味するものを、もっと広くとらえなおす必要がある。
文化人類学のひとつの領域に「医療人類学」という分野がある。この分野は、健康や病気というものが、生物学的な現象であると同じくらいに、社 会・文化的な現象であるととらえる。そして、保健(「医療」はそのなかの一つの領域と考える)に関するさまざまな思想・信条・実践などを、文化人類学や民 族学のように世界のいろいろな具体的事例を通して考察し、現実の医療のあり方に関与しようとする分野でもある。医療人類学は、いままで主に第三世界の伝統 的医療に注目して、その社会との関係、近代医療との類似・相違点、医療プロジェクト進め方、などについて言及してきた。
その意味では、現代社会における民間療法などは医療人類学のネタにはなりにくいテーマである。第一、この社会には既に立派な近代医療サービス が(不満な点を残しながらも)十分に機能している。また民間療法があるといっても、それは重篤な病気には使われず、「気休め」か「健康維持」あるいは「増 進」に使われている程度だと、多くの人びとに思われていることもある。
にもかかわらず疑問は残る。立派な近代医療サービスが発達するのにもかかわらず、「怪しげな」療法が惓むこともなく生まれては消えていくの か? 都市化や近代化が、必ずしも民間療法を消滅させることにならないことは古くから指摘されていた。とくに急速に都市化の進んだ第三世界の多くの街に は、新しいタイプの治療師たちが出現するという報告が数多くみられる。そして治療師たちは、患者と治療者が集団で治療をおこなうカルト的集団を作って、患 者つまり信者たちによる口コミ、ビラや新聞広告などによって、その規模を拡大していくという。民間療法は都市という環境において、その役割をさらに強化す ることに成功したのである。現代社会における民間療法にも同じことが言えるのではないだろうか。私たちの民間療法は、マスメディアの利用、都市環境の変貌 によって、伝統的な社会における「おばあちゃん、おじいちゃんの知恵」から脱出し、近代医療にたいしてオルターナティヴな医療(後述)になるほどまでに発 展したとも言えるのだ。
民間療法は、その意味において、したたかでダイナミックなものである。そして、これらの療法の現在は、それと常に対照される「近代医療」との 比較によって、より明確に理解されよう。
まず民間療法とは、公的に認められた制度的医療すなわち近代医療とは異質のものとされており、対立する概念として考えることができよう。
では近代医療とはなにか? 近代医療というものが、日本においては西洋近代医学を教える大学の医学部卒業生(つまり医師免許を取得したもの) を中心に行なわれている「医療」であることは、誰にも簡単に指摘できるだろう。そして、大学における医学部や医学部附属病院(大学病院)は近代医療の支え るマンパワーの供給施設であると同時に、近代医療なるものが何であるかを規定するイデオロギーの源泉にもなっている。例えば、先端医療は大学で研究され、 その附属病院で試されることが、報道される。大学病院の「教授」の執刀による手術は、他の病院のそれとは格が違うことは巷における周知の事実である。
近代医療は民間療法と違い、誰にでもおこなえるものではない。政府による厚生行政はそれに統制や指導という管理をおこなう。そうすることに よって近代医療は、国家のお墨付きを戴く「制度としての医療」の地位を獲得しているのだ。それゆえに医師という名称や業務は、国が定めた免許を持つ(「医 籍」に登録する)ものにのみに許されている(これは医師の名称独占と業務独占という)。医師がおこなう行為は、すなわち正当化された医療であり、近代医療 とみなされるのである。だから、免許なくしては近代医療を標榜できないし、あやしげな療法を「医療」と銘打って行なうと、お縄を頂戴するという次第にな る。これは医薬品についても同様である。私は、かつて「まじないの護符」である食紅で作った小さな粒を信者に飲ませるのに、お坊さんが決してそれを「くす り」とは言えないのだと説明されたことを聞いたことがある(薬事法に抵触するからである)。
近代医療は、その教育制度の規格化と、その業務の独占を法的に保証されているおかげで、比較的(少なくとも民間療法よりは)その理論と実践に ついての内容が画一化されている。この画一化と近代医療の「科学的普遍性」とは似ているようであるが別のものとして考えたほうがよい。この普遍性とは、近 代医学のいう病気と治療の原理は、どのような社会のどのような人間にも同様に通用するという主張である。近代医療の理論的な仮説とその確からしさは、今 日、絶大な支持を得ているにもかかわらず、日常の医療についての観察からは別の側面が浮かびあがっている。例えば、医師の世代によって「愛用」する抗生物 質のタイプが異なったり、時代によって治療法には「はやり、すたり」があるというのだ。大阪大学[当時、2007年現在は仏教大学教授]の村岡潔さんたち は、このような現象をメディカル・ファッションと呼んでいる。つまり近代医療にも民間療法のような特定の治療法にたいする隆盛と衰退があるのだ。
このような指摘にもかかわらず、私たちには近代医療が依然、確固としたものに感じる(少なくとも民間療法よりは)のはなぜだろうか? ひよっ としたら民間療法の「荒唐無稽な」治療法は、近代医療を上手に引き立てるための演出なのかと、疑いたくなる。
だが、近代医療的な見方による「民間療法批判」には、その具体的な内実について言及するよりも、予め準備されたステレオタイプによって攻撃さ れることが多いことは指摘しておかねばならない。この偏見に満ちた民間療法批判には、おもに近代医療が引き受けられなかったものが多く登場する。たとえば 「非科学的」「科学的に信頼できない」「効かない」「迷信」「非合理的」(近代医療の「効き目」は合理的である)」「経験的」「副作用がない」などとい う、どちらかというと否定的なレッテルが多い。
そして民間療法がこのような偏見に対して抗弁するとき、それは途端に近代医療に流し目をおくるようになるのである。すなわち、それは「現代医 学でも証明されて」おり「医学界でも認められている」、また「権威ある機関で研究されている」ということであり、「民間療法は効かない」という神話に対抗 するする「反神話」を提示するのである。しかし、この戦術は近代医療の「名声」を高めることはあれ、民間療法のそれを高めることにならないと、私は思う。 人びとは、民間療法にたいして近代医療ができない「なにものか」を求める気持ちがもっと強いのではないか。第一、近代医療がそんなに腰軽に民間療法を褒め るとは考えられない。だから、民間療法はいよいよ怪しくなっていくのである。自信をもって公言する「効用」と、その背景にある近代医療への従属によって。
近代医療からみると怪しげで「困った」存在であるが、民間医療はなくならない。近代医療は十八世紀の終わりから十九世紀にかけて、現在の形に 整ったといわれている。優に二百年にわたる伝統をもっている。いやいや民間療法は神代の昔からの伝統があるではないか、と反論が出るかもしれない。しか し、民間療法に関する知識の伝達の形式は、近代医療のそれとは根本的に異なり、理論的な系譜関係がしっかりしていない(これが民間療法の魅力でもあるのだ が)と、簡単に近代医療の側から覆されてしまう。
だが、双方とも我ら社会に根づいた「文化的なシステム」である以上、それを利用する人びとにとって重要なことには変わりはない。民間療法と近 代医療の関係についての解釈を、ここで見てみよう。
まず、「民間療法消滅論」がある。民間療法は、近代医療がもつ「科学的で合理的な面」を民間療法は萌芽的に含んでおり、近代医療の「原始的形 態」とするのがこの見方である。そこでは、迷信をも含めた民間療法が試行錯誤を踏まえながら、経験的知識を蓄積していくという「科学的」発展が近代医療と なるというコースを想定する。したがって、民間療法には伝統的知識が集積されており、近代医療の無い時代には、それなりの効果があったと見なすのだ。しか し、近代医療の整備された今日、民間療法の意義はほとんど消滅し、その形骸のみが現代まで残っているのだ、と言う仮説である。これは近代化によっても一向 に民間療法が消滅しない経験的事実から、説得力にはたいへん乏しい。
そこで考えられたのは、民間療法は社会の変動期に流行するという点に注目し、人びとが近代化という社会の変動期に十分対応できない際に、その 「不安」を癒すものとして[悪く言えば、不安に乗じて]登場すると、考える「近代化の副産物説」である。それは、人びとが近代医療を十分に「理解」できて いない証拠であり、民間療法に「逃げ込む」のだという見方をとる。民間療法は、そのような社会不安(アノミー)を吸い上げ、人びとを慰めるような機能をも つと、解釈することも可能になる。
ここでは、民間療法の隆盛は、近代化の過程で無視あるいは軽視された人びとが癒しを求めている証であるか、新しい近代医療という変動にたいし て意識変革を起せなかった人びとの「虚偽の意識」であるとみなされる。だが、これは人びとが、社会の変化のなかで受動的に民間療法に救いをもとめるとい う、いささか「暗い仮説」である。そこで現在は、もっと民間療法を積極的に評価しようとする考え方が支持されている。
「補完的医療論」は民間療法にもっと積極的な意義を見いだす。民間療法は近代医療が見捨てたり、近代医療の制度そのものに苦しめられている患 者に対して積極的な働きかけていると、評価する。民間療法は、そのような病いを苦しむ人=病者をすくい上げる社会的なシステムとして作用している。した がって近代医療がある限り、民間療法への受容は変化することはあれ、低減することはないとみる。なぜなら民間療法は、近代医療の欠点を補うようなかたちで 機能し、結果として現代社会のなかの「医療にかんする諸問題」を全体として解決するすることに寄与するからである。
そして、それは民間療法の「消滅論」や「近代化の副産物説」にみられるような、民間療法は遅かれ早かれ衰退する、という見解に対しては否定的 である。近代医療制度の変化によって影響を受けるかも知れないが、近代医療がある限り、民間療法は常に独自のアピールをするので、しぶとく生き続けると予 想する。つまり、民間療法と近代医療は、ある平衡状態を保って、これからも我々の期待に応えるという。
「代替医療論」はこの考え方をさらに押し進めた仮説である。民間療法には近代医療には期待できないような効果があり、「近代医療に十分に替わ る得るもの」であると評価する。民間療法が特殊化したものが近代医療であり、医療の本道はむしろ民間療法にあるという見解も出てくる。したがって、近代化 による民間医療の衰退(消滅論)どころか、近代医療が批判されることによって、ますます民間療法が隆盛する、あるいは振興させなければならないと考えるの である。つまり、民間療法は近代医療に替わり得る点で、お互いに代替医療の関係にあるという。この見解はかなり過激で「よもや近代医療を否定する人などい ない」と考える一般の人びとにとって、大変ショッキングだが、実際にいるのである、この信条に共鳴し実践している人たちが。しかし、私たちの気持ちの中で 「近代医療ですべてうまくいく訳がない」と、どこかで思うことがあるが、この考えを拡大させていったものと考えれば、あながち無茶な発想とは言えないので はないだろうか。
※補完的医療や代替医療は、今日ではそれらをまとめて補完的代替医療(Complementary and Alternative Medicine, CAM)と呼ばれる。
以上、民間療法の実態は、あいまいで、怪しげで、とらえにくいという負の印象と、活気があり、うごめいており、したたかであるという(どちら かと言えば)正の印象が交錯するところにある。
民間療法をひたすら、不法で、暗く、非正統的なものにしている元凶は、近代医療(の利害関係者たち)であり、それを公認している国家である。 もっとも、国家は常に 民間療法を目の仇にしているわけではない。いつもは、冷やかに蔑視しているだけである。国家にとって許せないのは、民間療法が「医療の顔」を引っ提げて近 代医療の領域に踏み込んできた時である。あるいは公然と近代医療を批判し、その社会的影響力が一定の限度を越えた時だ。それは、明治維新以後、近代合理主 義者による「迷信打破」や「邪教批判」が間隔をおいて出てくることとに端的に表われている。そういう意味では現在、民間療法は近代医療にとって、脅威とは なっていない。
他方、民間療法を面白くしているのは、なんといっても、感性による「近代医療批判」であろう。これは、中途半端な論理による批判よりも、はる かに迫力のあるものである。劇的な信仰治療の現場を見たことのあるひとは、それを事後的に説明する時の虚しさを知っているだろう。文字通り「理屈抜きに」 効くという醍醐味は味わってみなければ分からない。むろん、やっている当事者は真剣なのであるが、民間療法は近代医療の権威が無い分だけ、気楽である。あ るいは、今度は私たちのほうが近代医療を冷やかに横目で見ながら、民間療法をオルターナティヴとして選択できることは、溜飲が下がる思いだ。
【2007年追記】いんちき科学は、資本主義社会批判の威力を失い、現在では単なる拝金主義 者たちにより占有されている。詳しくは、いんちき科学デバッキング入門を参照のこと。
私たちは知らないあいだに近代医療に縛られている。もし、それを疑うなら、道で倒れたあなたが自分の意思とはかかわりなく近代病院へ担がれて いく状況を想像してみるとよい。「そんなことを言うのは、自分が重篤な病気に罹ったことがないからだ」と批判する前に、近代医療に依存しなければならない 私たちのそんな身体に誰がしたのか? と問うてみる必要があるのではないだろうか。
民間療法を否定するも肯定するも、私たち自身の問題である。しかし現在、私たちは、お互いに自分たちが支持する療法について、自由に議論でき る状況にあるだろうか? そのときまで民間療法には、もうひと肌ぬいでもらうべく、凄い療法をあみだしてほしいものである。
おしまい
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附録1:民間療法は、近代医療批判の理論武装をして反撃に向かう!※
附録2:霊術とその弾圧の歴史
「霊術(れいじゅつ)は、明治末から昭和初期にかけて日本で大流行した一群の民間療法である。海外から導入された催眠術(メスメリズム)や心霊学、心理学などと、日本の修験道などの呪術文化が融合して生まれたもので、霊術の世界、霊術業界は「霊界」と呼ばれた」霊術)
1897 初期の霊術家の活動(催眠術がブーム)
1903 田中守平の天皇上奏事件
1905 田中守平、恵那山に入り断食中に霊能力を獲得する。
1906 福来友吉「催眠術の心理学的研究」で文学博士号(東京帝国大学)
1908 「催眠取締令」を公布
1909 熊本の御船千鶴子「千里眼」能力あると報道。「警察犯処罰令」に催眠術の乱用を禁止する条文が追加。代替として「霊術」「精神療法」「心理療法」が使われる
1910 ——霊術家たちの饗宴の時代;浜田熊嶽、田中守平(1884-1929)(太霊道)、桑原天然
1910 今村新吉、御船千鶴子に透視実験をおこなう。同年、福来と今村再訪。田中守平「太霊道真典」を著す
1911 御船千鶴子が自殺。福来の念写の実験研究対象、長尾郁子が急逝(インフルエンザ?)。
1911 田中守平、東京霊理学会を設立(呼吸法、座法、お手当て、自動運動を組み合わせた霊子療法で治療活動を始める)
1913 福来を信奉していた催眠術者高橋宮二が妻の高橋貞子を指導し初歩の念写を成功。
1913 守平、法服と長髪という独特の姿で、中国、朝鮮、満州、蒙古などを巡業し、霊子治療を行ない、同年帰国。守平は「催眠術、心理学、信仰などを使った精神療法を行なう者たちで組織した「東洋心理協会」に参加」
1914 福来『透視と念写』出版。学長上田萬年、出版を警告。翌年、休職扱い(実質的に追放)
1916 守平、東京に「太霊道本院」を開設。布教活動を開始する。信者に「中村春二(成蹊学園創設者)、郡司成忠(軍人)、友清歓真(神道天行居)など」
1921 福来、真言宗立宣真高等女学校長
1926-1940 福来、高野山大学教授
1929 太霊道の田中守平が死去。太霊道の衰退。
1930 当時の霊術家は3万人(霊術)。「療術取締令」
霊術の種類(井村宏次による)
霊術家の手法 |
事例 |
霊術 | 気合術、霊動術、精神統一法、危険術、祈祷、交霊など |
療術 | お手あて、プラーナ療法、カイロ整体などの手技、紅療法 |
精神療法 |
暗示、催眠、精神療法 |
心霊系霊術 |
心霊治療、超能力治療 |
その他の療法 |
精神道徳運動を背景にした健康法、断食、体操 |
リンク
文献
その他の情報
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