いんちき科学デバッキング入門
Introduction to the Inquisition against Fake/Psydo- Seciences
解説:池田光穂
「パングロスは形而上学=神学的=宇宙論的暗愚学を教えていた。原因のない結果はなく、またおよ
そあらゆる世界の中で最善のこの世界において、男爵閣下の城館は世の城館の中でももっとも美しく、夫人はおよそあらゆる男爵夫人の中でもだれよりも立派で
ある、彼はそんなことを見事に証明してみせるのだった」——ヴォルテール「カンディードまたは最善説」(植田祐次訳)
インチキ科学を糾弾することを正義の使命のようにおこなっている学者がいるが、これは天に唾する こと。やがて自分にも審判が下ることを知らない愚者のやること。
インチキ科学を正しく審問にかけるためには、むしろ、中世の異端審問形式でおこなうほうが効果的 である。
といっても犠牲者を火あぶりにすることではない。学ぶのは論証の方法について専念することであ り、相手の論理の中に巣くい、相手の論理の中で矛盾を生み出し、その存在理由を破綻させることである。
私の専門は、医学=医療なの で、インチキ科学の代表として代替医学を例に考えることにする。ただし、すべての代替医学がインチキではない。代替医療はインチキが巣くいやすということ だけである。正統化された医療のなかにもインチキはある。
1.代替医療のなかにはインチキが多く認められる。
2.しかしインチキを論駁することは、困難をきわめる。
3.なぜなら実証科学は未知のものを、未だ証明されざる〈真実〉——ほんとはそうなるかもし れない可能態——としてその判断を留保するので、インチキの証明は各個撃破か、レトリックの全体か、あるいはそのように吹聴する個人への攻撃(ad hominem)を動員するので、信者への心証は悪くなり、インチキへの攻撃が成功しないことがしばしばある。
4.しかしインチキを論駁する論理的説明が我々にとって当たり前の所与のものになっても、イ ンチキがつぎつぎと生まれ、人々がそれに魅了されるのかについて、依然として不明のままである。日本人に人気のあるスピリチュアルヒーラーと称する江原某 や占い師細木某がインチキ施術師であっても、だからといってメディアでそれを面白おかしく消費しているすべての日本人がインチキを信じていたり、馬鹿であ ると推論するのは誤りだ。
5.現実的対処においては、重要な点はインチキが跋扈する社会的水準が一定の低さを維持すれ ばよい。
6,他方で、インチキの心理学かインチキの内在的理解——すなわち文化人類学的分析が必要と されるのである。
た だし、現在、インチキとみなされている学問・方法・認識のやり方が、未来永劫、インチキというわけではない。科学的真理の歴史相対主義(→トーマス・クー ン「科学革命の構造」)からみると、将来、イケてしまうことあるので、インチキという用語は、相手を本当に罵倒したい時、あるいは先方のどのよう な論理に も論破できるだけの信念と論理構築を持てる時にのみ行使すべきであることはいうまでもない。
インチキをインチキとして信じられない信念をここで「科学否定論者」と名付けていいだろう。リー・マッキンタイヤ(2024: 82-83)によ ると、否定論にいたる行動類型には以下の5つのパターンがみられるという。
科学否定論者の5つの行動類型 1. 証拠のチェリー・ピッキング 2. 陰謀論への傾斜 3. 偽物の専門家への依存 4. 非論理的な推論 5. 科学への現実離れした期待(→シンギュラリティ信仰) |
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インチキの現象論
I・プレスは「都市のクランデロ[=施術治療師]」において、都市=近代化が進んだ地域=合 理的生活態度の受容という、我々の思いこみとは反対に、都市化はオカルトや迷信を産出する 可能性を胚胎させることがあることを指摘した。都市には、治療師 が多いのは、人口論的な理由で不特定多数の潜在的クライエントの数が多いだろうとか、集住により価値観が多様化し、人々の間に相対的な見方が普及している のではないか、などとさまざまな要因があると考えられてきた。もちろん、この都市化=オカルト化には、言及されていない認識論的前提がある。つまり、村落 では一定の割合で伝統的施術師や呪術が存在している。都市化は、そのような伝統的要素を駆逐した新しい環境であるという考え方である。古いものを脱色した 環境だから、そこには伝統的なもの[=すでにこの時点でオカルトを伝統的なものであるという論理的置き換え、すり替えがおこなっているのだが……]がない とみるのだ。
他には、ガードーナーの研究、陰謀論的解釈などがある。
インチキの分析論
M・ダグラスのグリッド/グループの議論は、その当該の社会において「他者と関連する自己の 強度」(=グリッド)と、「境界をもった社会単位の経験の度合い」(=グループ)には、何らかの類別的関係があり、それらの組み合わせで社会編成と、その 社会に住む人々の意識や心情の構成のされ方を推論することができると考えた。
インチキを生産し、インチキを信じ、インチキを賞讃し、インチキを論駁し、インチキを毛嫌い し、インチキを容認したり処罰する論理・心情や道徳(エトス)・経験には、その社会構造とそこに住まう人々の行動や主張を調べることを通して明らかにでき ると考えるのである。これは、インチキ科学の内在的理解ということができる。
また、前項の陰謀説も含めて、インチキには経済的理由——インチキ商品はなぜか価格が高いの で、利益率が高い(=儲かる)と推論する——や政治的権力などの外的理由があると考えるのである。ブラックジャーナリズムを含む、ルポルタージュ・ジャー ナリズムでは、このような論調が多い。これを外部から与える解釈というふうに呼んでおこう。
【この項目はまだ書きかけです】
どうも我が職場の近くには、このインチキ科学バッシングのエヴァンジェリストたちが多いらしい。 どうりでこころ強いわけである。
天羽優子(山形大学理学部准教授:元・阪大ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー講師)さんは、江 本勝(『結晶物語・水が教えてくれたこと』サンマーク出版)のオカルト批判を、菊池誠(阪大サイバーメディアセンター教授)は、論文「疑似科学の現在」 『科学』2006年9月号で、その戦果を報告しているとのこと[松永 2007:181-185]。
2006年3月 日本物理学会シンポジウム「“ニセ”科学とどうつきあっていくか」
2007年 『論座』2007年2月号
他方、インチキ科学陣営からは、『ソトコト』2006年6月号で江本擁護論が登場(→冗談半分な んだろうが、こういう擁護派はたちが悪い)。
文献
池田光穂「カーゴ・ カルト・サイエンス」
エビデンスを嫌う人たち : 科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか? / リー・マッキンタイア著 ; 西尾義人訳, 国書刊行会 , 2024(→)
松永和紀『メディア・バイアス:あやしい健康情報とニセ科学』光文社、2007年
この本は新時代の啓蒙書としてはいい本です。ただし、エピソードはどこかで聞いたような話な ので、[もちろん個人差はありますが]それほど大発見があるわけではありません。巻末の松永教訓第十箇条[松永 2007:255-6]が秀逸です。私は著者および出版社の利害を衝突しないことを祈って——光文社新書で740円ISBN 978-4-334-03398-9です——その役に立つ教訓を文章を改変引用します。たんなる贔屓の引き倒し的な引用ではないことを示すために私のコメ ントも附しておきます。
1.懐疑主義で臨み、多様なソースから自分自身で判断する。
【池田コメント】
水準が認識論的な判断(=懐疑主義や多元主義)から道徳的判断(=判断の結果を自分で引 き受ける)まで拡がるので、分けたほうがいいかもしれない。懐疑主義(ヒューム主義?)、多元主義(複数のリアリティの可能性からはじめる)、責任主義 (どのような判断でも自己責任が生じる)がポイント。ま、これってマスコミ人への教訓かもしれません。
2.何かを食べれば病気が治る/防げるというようなスローガンは信じない。
【池田コメント】
世の中はこの論理で進んできました。社会理論にはこういうのがいっぱいあります。共産主 義をうち負かした資本主義は偉いとか、中世の迷信をうち負かしたガリレイは優れているという見解ですね。こういうのは後からみた時に狭量で愚昧な考えであ ることがよくわかるのですが、科学的論理を推進するためのエンジンとしては、意外と重要な考え方かもしれない。ここでは、1.の懐疑主義の延長上にこのス ローガンを受け入れておきましょう。
3.あぶない、効くという極端な事例による構成(→ECF)は排除せよ。
【池田コメント】
これも2.と同様です。
4.その情報が誰にとって有利/不利になるのかについて推論する。
【池田コメント】
背後にある陰謀論的推論(→陰謀 理論)をすることですが、これは、批判するほうも、批判されるほうもよくつかう紋切型の批判の言説のひとつのタイプになりさがっているので、授業 のディベートぐらいには使えるかもしれませんが、使いすぎると陳腐化する。陰謀論がデマにならないためには、陰謀の証拠まで提示して、故意か未必の過失か レベルのギリギリの議論をしないと陳腐な対抗言説になりますぞっ!
5.体験談、感情的な訴えには冷静に対処せよ。
【池田コメント】
ま、そうでしょう。対抗的な相手はまず宗教的情熱をもって臨んできますから、そういうこ とでカッカしてはなりません。サルコジとロワイヤルの最後の論戦を思い出しましょう。
6.発表された場=メディアに注目する。学術論文の信憑性は高い。
【池田コメント】
ま、学術論文と言えばそうですが、これも懐疑主義で臨みましょう。学術雑誌にもピンキリ があります。つまり、専門性に秀でていることが重要ということでしょうか。犬の遠吠えは効き目がないということです。
7.危険な/有効な汚染量や投与量に注意せよ。
【池田コメント】
近代科学の要素還元的な発想の限界を指摘しています。量や組み合わせなどありますので、 最終的にはRCTではじめて証明ということなのでしょう。
8.動物実験の事案を人間のケースに当てはめる時には注意。in vivo と in vitro の差異にも着目。
【池田コメント】
基礎実験系の人なのか、臨床系の人なのかへの着目も重要かもしれません。基礎実験系の人 は比較的篤実なコメントしますが、時々ファンタジーが出る。臨床系の人の単純化は最初から警戒すべきですが、臨床系の人にも熟慮し、言葉を選ぶ人がいま す。要は、科学者が得られたデータから、どれだけ確度の高いことを言っているかを、さまざまな素材を動員しながらチェックするしか方法はなし。
9.対照や比較に留意し、その観点を批判的にながめることに流用する。
【池田コメント】
そのとおり。
10. 新しい情報に応じて柔軟に考え方を変える
【池田コメント】
柔軟と優柔不断というのは峻別しなければならないが、これは意外と難しいものじゃ。翻意 をしたくせに、自分は柔軟だとぬかす馬鹿がいる一方で、柔軟に思考を変えているにもかかわらず、自分の立場は変わらないと主張する賢者もいるからね。1. の原則に戻ると「変節したことに関しても自己責任が問われる」ということが、ここから応用的に引き出せる教訓だろう。
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