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『ブレードランナー 2049(Blade Runner 2049)』の人類学的分析

Anthropological analysis on Blade Runner 2049, 2017

池田光穂

『ブレードランナー 2049(Blade Runner 2049)』 というハリウッド映画(2017年公開)がある。1982年の人気映画『ブレードランナー』の続編である。2049年の地球の未来における、人間とアンド ロイドの生殖の未来を描いたものである。この映画は、それほど、2020年現実世界とはほとんど無縁の荒唐無稽の映画であるが、こんな映画を見ても、文化 人類学者は、自分のフィールドワークよろしく、映画の登場人物あるいは登場アンドロイドの「血縁関係」を描かないと気が済まないのである。

というわけで、骨の髄まで文化人類学者である僕は、 映画を見て、下記のシノプシス(あらすじ)をウィキペディアから引用し、親族関係を描いた。もしこのページを覗いた君が文化人類学者、あるいは医療人類学 者の卵であれば、以下のシノプシスを読んで、白い紙の上にマルとサンカクで描いて欲しい。

系譜図(Genealogy)の描き方は、「系譜図による手法」を参考にしてみよう!


映画『ブレードランナー 2049』シノプシス(あらすじ)

「2049年、地球の異常気象と生態系崩壊は更に進行していた。ロサンゼルスは海面上昇で沿岸部が多く失われ、内陸に後退した市街地は巨大な防波堤に囲ま れ、6月でも雪が降っていた。LAPDの「ブレードランナー」として旧型のレプリカントを「解任(抹殺)」する職務に就くネクサス9型レプリカントのK は、ウォレス社製の家庭用AIであるジョイを恋人として暮らしている。ある日、Kはロサンゼルス郊外で合成農場を営んでいた逃亡レプリカントのサッパー・ モートンを「解任」するが、その庭にある枯木の根元深くよりトランクを発見する。トランクの中身は遺骨で、検死の結果帝王切開の合併症で約30年前に死亡 した女性であった。遺骨には製造番号が刻まれており、レプリカントであったことが判明する。

「レプリカントの出産は前代未聞であり、Kの上司であるジョシ警部補は、事実公表によって起きるであろう社会混乱を憂慮し、Kに事件の痕跡をすべて消すよ うにと命令する。Kはウォレス社を訪ね、過去の記録から遺骨は2019年に逃亡したレプリカントのレイチェルであること、逃亡直前にLAPDの元ブレード ランナー、リック・デッカードと恋愛関係にあったことを知る。ウォレスは、タイレル博士が確立していたレプリカントの生殖技術を以前より欲しており、片腕 であるレプリカントのラヴにレイチェルの子供を見つけ連れて来るよう命令する。

「Kはデッカードを知る数少ない人物であるガフを訪ね、彼の行方を訊くも手がかりを得られない。モートンの農場に戻りもう一度調べると、根に彫られた「6 -10-21」数字の刻印、レイチェルの子供のものと思われる靴下、赤子を抱いた女性の写真などを発見する。数字はK自身の情緒安定用の疑似記憶にある木 彫りの馬の玩具(木馬)に彫られた数字と同じであった。一方ラヴはLAPDに忍び込み、レイチェルの遺骨を盗み出す。ジョシは追跡者と子供の存在から事態 の切迫を確信し、KにDNA記録を調査して即時報告するように命じる。

「Kは2021年6月10日生まれの出生記録・DNA記録を調査し、同一のDNAを持つ男女の2名の記録を発見、女児は病死し男児だけが生きていること、 2名とも同じ孤児施設に在籍していたことを知る。ラヴは秘かにKの動向を追跡する。Kはサンディエゴの孤児施設での調査の過程で現実に木馬を見つけ出す。 ジョイはKが「製造された」のではなく「生まれてきた」証拠だと喜び、Kに「ジョー」という名を贈る。Kは高名なレプリカント用記憶作家のアナ・ステリン 博士を訪ね、自身の記憶の真贋鑑定を依頼する。ステリンは本物の誰かの記憶であると回答、Kは激情を露わにする。ジョシに連れ戻されたKは正常性試験を受 けるが失格となる。Kは「出自を知らずにレプリカントとして働いていた対象の子供を見つけたが、処分した」と嘘の報告をする。ジョシはKを48時間の停職 処分とした上で、改めて再試験する旨を伝えて家へ帰す。

「Kは逃亡の決意を固める。ジョイはKに同行することを決意し、モバイル端末のエマネーターに自身のデータ全体を移植し、部屋のバックアップを削除するこ と、追跡を断つためにエマネーターのアンテナも折ることをKに願い、Kは説得される。木馬の材質がラスベガス産と判り、Kはラスベガスへ向かい、隠遁して いたデッカードを発見する。デッカードはKに、妊娠したレイチェルをある「仲間」に委ねたこと、各種記録を改竄する方法を仲間に教えたこと、子供とは一切 他人として過ごしてきたことなどを打ち明ける。

「エマネーターの反応喪失によってKの居所がつかめなくなったラヴは、ジョシのオフィスに押し入りKの行方を尋ねるがジョシは拒む。ラブはジョシを殺害 し、ジョシの端末からKの所在を探り出してラスベガスに急行してデッカードを誘拐する。Kは抵抗するがラヴに叩きのめされ、エマネーターは破壊される。こ れによりジョイは消滅する。

「Kはデッカードの仲間を名乗るフレイザ率いる「レプリカント解放運動」によって救助される。Kに仲間に加わるよう誘うフレイザは、レイチェルの子は男児 ではなく、女児であることを明かす。Kはステリン博士がその娘であり、ステリンの記憶が自身に埋め込まれていたのだと悟る。フレイザは解放運動のメンバー と女児の安全を守るため、デッカードを殺害するようKに依頼する。一方、ウォレスはデッカードに子供を隠した仲間について詰問し、再生したレイチェルをそ の対価として用意するが、デッカードは拒否する。ウォレスはデッカードを地球外植民地(オフワールド)で拷問にかけることに決める。

「ラヴはデッカードを拘束してLA空港に向かうが、途上でKの急襲を受ける。Kは死闘の末にラヴを殺し、デッカードの死亡も偽装したうえでデッカードをス テリンの研究所へ連れて行く。デッカードを見送った後、Kは負った深傷を確認し、降り続く雪を眺めながら瞼を閉じた」

出典;ウィキペディア(日本語)https://ja.wikipedia.org/wiki/ ブレードランナー_2049(ただしリンクは短縮URL[http://bit.ly/2SDWo7U] でリンクしている)

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以下のものが正解というわけではない。上の映画のあ らすじの中では、デッカードとレイチェル(すでに死亡している)には男性と女性の2人の子どもがいたという発言と、アナ・ステリン博士だけだという主張が ある。そして、映画の主人公K(のちにレプリカント解放戦線のリーダー・フレイザから「ジョー」と命令され、模造記憶ではなく本物の記憶をもつアナの兄弟 と示唆される)はデッカード(父親?)をウォレスから守ろうとして、瀕死の重傷を負い、映画はエンディングを迎えるからである。

 「男性の女性への孕ませ願望」の具現化か?

この 映画そのものは、フェミニスト人類学的には次のように批判することができる。男性中心主義的な映画の視聴者ならびに製作者からみれば「男性による女性の身 体の支配欲望」あるいは「男性の女性への孕ませ願望」が、ついに、「人間のデッカード」(=違う解釈もある)がレプリカントのレイチェルを孕ますほどの 「精力の持ち主」であったということだ。なぜなら、デッカードは、『ブレードランナー 2049』でも、Kと互角に戦えるだけの老人として再登場する。他方、オリジナルのタイレル・コーポレーション製のレイチェルはすでに死んでおり、ウォレス社のニアンダー・ウォレスがレイチェルの後続レプリカントを作るが、デッカードの籠絡には失敗する。

そのように考えると、遡及的に映画『ブレードランナーBlade Runner, 1982)』は、デッカード刑事が、レプリカント処分の指令をうけて、レプリカント・ハントをして次々とそれを「停止」させるが、最後は、レプリカントの 自己意識のないレイチェルを——タイレル博士の最後の発明でもある——レプリカントであることを目覚めさせる過程で、逆に、レイチェルに恋愛感情を持ち、 ガフから伝えられる「逃亡したレプリカントは処分するように」という上司の命令を裏切って、恋の逃避行に出るという、異種婚姻譚という人類学の古典のジャ ンルに踏み込んでいる。他方、フェミニスト人類学批判の観点からみれば、デッカードは二次元恋愛よろしく、機械ないしはダッチワイフ——実際に映画ではプ リスのように「慰安用」の女性型も存在する——としてのレイチェルに恋あるいは性交願望をもち、逃避行の末結ばれるという、おぼっちゃまの倒錯した純愛願 望の物語ともいえるのである。

SF映画における生殖の概念」をみてください。

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