はじめによんでください

オペラ『ドン・ジョバンニ』上演年表

Time Table of Mozart's Don Giovanni Performances

左: モリス・ロビンソンとデヴィッド・ピットシンガー(2011年)

池田光穂

■ ドン・ジョヴァンニ上演年表(名作オペラブックス『ドン・ジョバンニ』音楽之友社、Pp.317-320、1988年を参照したが年代などにエラーがあり 修正したり?を付している)

1613 『ドン・ファン』を題材とした最初の劇作品である、ティルソ・デ・モリ ナ作「セヴィジャの色事師または石像の客」が、マドリドで初演
1654
オノフリオ・ジベルティ(Onofrio Gilberti)による 『石像の客、散文劇』ナポリにて出版
1655
2月15日モ リエール作、散文による喜劇『ドン・ジュアン、またの名を 石像の宴』パリのロワイヤル劇場にて初演。
1676
トマス・シャドウェル(Thomas Shadwell) の戯曲『罰せられた放蕩者(The Libertine)』が、ロンドンにて初演。
1712
ドン・ファンを題材としたオペラ作品、ル・テリエ(Jean- François Le Tellier)『石像の客(DON JUAN OU LE FESTIN DE PIERRE)』が、パリのテアトル・ド・ラ・フォアール(Théâtre de la foire)で初演。
1734
ドン・ファンを題材とする最古のイタリア語オペラ Eustacchio Bambini 音楽のオペラ・コミック(Antonio Denzio 戯曲) 『罰せられた放蕩者( La Pravità Castigata)』が、Mingotti 一座で上演。Una de sus obras más conocidas es la ópera La Pravità Castigata (1734), que versa sobre el mito de Don Juan, según libreto de Antonio Denzo. (→下記に解説)
1736/
1735?
カルロ・ゴルドーニ(Carlo Goldoni)作コ メディア『ドン・ジョヴァンニ・テノーリオまたは放蕩者(Don Giovanni Tenorio o sia Il dissoluto, "The Dissolute" )』が、ベネチアで上演。
1749
3月10日ロ レンツォ・ダ・ポンテLorenzo Da Ponte)は、セネダ(現在のヴィツトリオ・ヴェネート)において、エマヌエレ・コンジェリアーノ(Emanuele Conegliano)として出生
1756
1月27日ヴォ ルフガング・アマデウス・モーツアルトWolfgang Amadeus Mozart)は、ザルツブルグで生まれる。
1761
C.W. グルック(クリストフ・ヴィリバルト・グルック; Christoph Willibald Gluck)のなバレエ音楽『ドン・ファン』、ウィーンにて上演。1761年以降、グルックは台本作家のラニエーリ・デ・カ ルツァビージと協力し、最も有名なバレエ音楽『ドン・ジュアン』(Don Juan, 1761年)と代表作のオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』(1762年)を作曲した.
1777
1779
1785
1786
フィリストリ(Filistri)の悲喜劇『石像の客または放蕩者 (Il convitato di pietra osia Il dissoluto )』プラハにて初演。音楽は、Vincenzo Righini.
1779年ロレンツォ・ダ・ポンテLorenzo Da Ponte) は放蕩生活によりヴェネツィアより追放される。
1785年ダ・ポンテの台本にサリエリとモーツァルトらが曲をつけた「オフェーリアの健康回 復に寄せてPer la ricuperata salute di Ofelia)」が作られた。
1786年モーツァルトとダ・ポンテ『フィガロの結婚』(原作ボーマルシェ)
1787
2月5日:ジョヴァンニ・ベルターティ(Giovanni Bertati) 台本、ジュゼッペ・ガッツァニーガ(Giuseppe Gazzaniga)音楽による1幕ものオペラ・ブッファ『ドン・ジョヴァンニ・テノーリオまたは石像の客(Don Giovanni, o sia Il convitato di pietra; Don Giovanni Tenorio)』、ヴェネツィ アにて初演。ダ・ポンテはこの台本をモデルとして用いる

2月上旬:モーツアルトがプラハにおいて劇場支配人パスクアーレ・ボン ディーニ(Pasquale Bondini)と次のシーズンのための新作オペラについて契約を交わす。

10月1日:モーツアルトは、妻コンスタンツェとプラハにむけて出発

10月4日:モーツァルト夫妻、プラハに到着。「三獅子館」に逗留。翌 週には、ドゥセク夫妻の別荘「ベルトラムカ」に滞在

10月8日:ロレンツォ・ダ・ポンテが、プラハに到着。1週間後にサリ エーリからの緊急の手紙を受け取り。モーツアルトのプレミエーレ(→プレミア公演)を見ずにウィーンに帰る。ダ・ポンテは、自作のオペラ『オルムスの王ア スル』の稽古の監督のため。

10月14日:『ドン・ジョバンニ』の初演が予定されていたが、中止、 10日後に順延。理由は準備不足。モーツアルトは『フィガロの結婚Le nozze di Figaro)』を指揮する。

10月24日:女性歌手が病気のために初演は29日に再延期。

10月25日:ジャコモ・カサノーヴァGiacomo Casanova) 出版社と商談のためにプラハを訪問。結局、カサノーヴァは順延した『ドン・ジョバン ニ』の初演を29日に聴くことになる。

10月27-28日:初演の2日前に、スコアの最終として序曲を作曲

10月29日:プラハのノスティッツ国立劇場で『ドン・ジョバンニ』が モーツアルトの指揮で初演。出演者:ルイージ・バッシ(ドン・ジョバンニ)、テレーゼ・サポリーニ(ドンナ・アンナ)、……



10月30-11月3日さらに3回、都合4回『ドン・ジョバンニ』が演 奏される。最後は、モーツアルトのための慈善公演だと言われる

11月13日モーツアルト夫妻(?)ウィーンに向けてプラハを出発

12月7日年俸800グルデンでウィーンの宮廷音楽師に召抱えられる。
1788
4月24日-30日『ドン・ジョバンニ』ウィーン公演のために、「自作 全作品目録」に登録

5月7日ブルク劇場にてウィーン初演(上掲のリスト参照)。しかしなが ら、初演は失敗に終わった。ウィーンでの『ドン・ジョバンニ』の生前演奏は15回といわれる。

6月15日プラハ公演のメンバーが多く集結して、ライプチヒで初演
1789
3月13日マインツ選帝侯国立劇場でドイツ語版初演。翻訳は、ハイン リッヒ・ゴットリープ・シュミーダー(Heinrich Gottlieb Schmieder);その後のドイツ語公演は、マンハイム(9/27)、ボン(10/13)、ハンブルグ(10/27)、グ ラーツ(10/30)、ブリュン(12月);ワルシャワでの10月14日の公演はイタリア語。
1790
ドイツ語公演;ソエスト(6/26)、ベルリン(12/20):モー ツァルトとダ・ポンテ『コシ・ファン・トゥッテ』制作。ヨーゼフ2世死亡。
1791
1792
ドイツ語公演:ハノーファー(3/4)、カッセル(4/16)、バー ト・ピルモン(7/8)、ミュンヘン(8/7);12月5日モーツアルト死亡。ダ・ポンテはウィーンを退去。
1792年:ダ・ポンテはロンドンに移動(〜1805年)
1805
カークブレンナーによるフランス語版、パリにて上演(Christian Kalkbrenner による翻訳)。ロレンツォ・ダ・ポンテLorenzo Da Ponte) はロンドンからアメリカにわたり、フィラデルフィアからニューヨークへ。その後、ダ・ポンテは コロンビア大学の最初のイタリア文学教授に就任し、イタリア語およびイタリア文学の教育に献身し、さらに最初のオペラ劇場を設立しようと努力したが、不首 尾に終わった。
1817
1823
4月12日イタリア語オリジナル版、キングズ・シアター(King's Theater)でロンドン初演。
1823-1827年ダ・ポンテは4巻の『回想録』を出版。1829年から1830 年には決定稿を作成。
1829
『ドン・ジョヴァンニ』ニューヨーク初演。ロレンツォ・ダ・ポンテ (80歳)とマヌエル・ガルシアとともに、ドン・ジョバンニ役に指導
1838
8月17日ロ レンツォ・ダ・ポンテLorenzo Da Ponte)がニューヨークにて死亡。







★ ドン・ジョバンニ(オペラ対訳プロジェクト)https://w.atwiki.jp/oper/pages/3078.html

【第一幕】
1-1 Don Giovanni: Atto Primo, Scena 1: "Notte e giorno faticar"
導入曲:夜も昼も苦労する
Nr. 1 - Introduzione

LEPORELLO
Notte e giorno faticar,
Per chi nulla sa gradir,
Piova e vento sopportar,
Mangiar male e mal dormir.
Voglio far il gentiluomo
E non voglio più servir…
Oh che caro galantuomo!
Voi star dentro colla bella,
Ed io far la sentinella!
Voglio far il gentiluomo
E non voglio più servir…
Ma mi par che venga gente;
Non mi voglio far sentir.
Si ritira

Nr. 1 - 導入曲

レポレッロ
夜も昼もあっしは奴隷だ
ちっとも感謝してくれねえ主人のせいで
雨や風に耐えちゃあ
粗末な食事に 粗末な睡眠
なりてえもんだ あっしも貴族さまに
もう人仕えなんてやってられっか…
おお 何とすばらしき貴族さま!
あなた様は中で美人とお楽しみ
そしてこちとらは見張り役だぜ!
なりてえもんだ あっしも貴族さまに
もう人仕えなんてやってられっか…
だが 誰かやって来るようだぞ
感づかれたくないな
<隠れる>


1-2 レチタディーヴォ・アコンパニャートと二重唱
またいったいなんという忌まわしい光景が、ああ、まさか、私の眼にうつるの!
DONNA ANNA
Trattenendo Don Giovanni
Non sperar, se non m'uccidi,
Ch'io ti lasci fuggir mai!

DON GIOVANNI
sempre cercando di celarsi
Donna folle! indarno gridi,
Chi son io tu non saprai!

LEPORELLO
avanzandosi
Che tumulto! Oh ciel, che gridi!
Il padron in nuovi guai.

DONNA ANNA
Gente! Servi! Al traditore!

DON GIOVANNI
Taci e trema al mio furore!

DONNA ANNA
Scellerato!

DON GIOVANNI
Sconsigliata!

LEPORELLO
Sta a veder che il malandrino
Mi farà precipitar!

DONNA ANNA
Come furia disperata
Ti saprò perseguitar!

DON GIOVANNI
Questa furia disperata
Mi vuol far precipitar!

IL COMMENDATORE
con spada e lume
Lasciala, indegno!
Donn'Anna, udendo la voce del padre, lascia Don Giovanni ed entra in casa.
Battiti meco!

DON GIOVANNI
Va, non mi degno
Di pugnar teco.

IL COMMENDATORE
Così pretendi da me fuggir?

LEPORELLO
Potessi almeno di qua partir!

DON GIOVANNI
Misero, attendi,
se vuoi morir!

Si battono.
Il Commendatore è mortalmente ferito

IL COMMENDATORE
Ah, soccorso! son tradito!
L'assassino m'ha ferito,
E dal seno palpitante
Sento l'anima partir.

DON GIOVANNI
Ah, già cade il sciagurato,
Affannoso e agonizzante,
Già dal seno palpitante
Veggo l'anima partir.

LEPORELLO
Qual misfatto! qual eccesso!
Entro il sen dallo spavento
Palpitar il cor mi sento!
Io non so che far, che dir.

ドンナ・アンナ
<ドン·ジョヴァンニを捕まえて>
望みはないのよ 私を殺さずして
私がお前を取り逃がすだろうなんてこと!

ドン・ジョヴァンニ
<常に正体を隠そうとしながら>
馬鹿な女め!叫んでも無駄だ
私が誰かなど 知られはせぬ!

レポレッロ
<前に出て来て>
何て騒ぎだ!ああ全く 何て叫びだ!
殿はまた新しいトラブルを起こしたな

ドンナ・アンナ
誰か!召使いたち!くせ者よ!

ドン・ジョヴァンニ
黙れ 震えるがいい 私の怒りに!

ドンナ・アンナ
悪党!

ドン・ジョヴァンニ
物分かりの悪い女だ!

レポレッロ
そのうちきっと この悪人
あっしを破滅させるな!

ドンナ・アンナ
すさまじい修羅になってでも
お前のあとを追い続けるわ!

ドン・ジョヴァンニ
すさまじい修羅になって
私を破滅させるつもりか!

騎士長
<剣とランタンを持って>
娘を離せ、 不届き者!
<ドンナ・アンナは父の声を聞いて ドン・ジョヴァンニを振りほどき家の中に入る>
わしと戦え!

ドン・ジョヴァンニ
消えろ 私は
そなたと争うつもりはない

騎士長
わしから逃げるつもりか?

レポレッロ
なんとかここから抜け出せたらなあ!

ドン・ジョヴァンニ
哀れな奴 待っておれ
死にたいのならな!

<彼らは戦う
騎士長 は致命傷を負う>

騎士長
ああ 助けてくれ!やられた!
人殺しが わしを傷付けた
この脈打つ胸から
感じるぞ 魂が抜けて行くのを

ドン・ジョヴァンニ
ああ もう倒れたのか 哀れな奴め
あえぎつつ 死にかけて
あの脈打つ胸から
見えるぞ 魂が抜けて行くのを

レポレッロ
何たる悪行!何たる蛮行!
胸ん中では 恐ろしさのあまり
心臓がドキドキだ!
分からねえ どうすりゃいいか 何を言やいいか
1-3 アリア:ああ、一体、誰なら教えてくれるの

1-4 アリア:愛らしきご婦人、これぞカタログです、カタログの歌

1-5 合唱:恋に戯れている娘さんたち

1-6 アリア;わかりましたよ。殿様、はい

1-7 小二重唱:あそこで我らは手を取り合おう「お手をどうぞ」

1-8 アリア:ああ、あの裏切り者から逃れなさい

1-9 四重唱:信用してはなりませんよ、お気の毒な方

1-10

1-11 Don Giovanni: Atto Primo, Scena 11: "Mi par ch'oggi il demonio si diverta"




1-12

1-13

1-14 Don Giovanni: Atto Primo, Scena 14: "Come mai creder deggio"





1-15

1-16

1-17

1-18

1-19

1-20

【第二幕】

2-1

2-2

2-3

2-4

2-5

2-6

2-7

2-8

2-9

2-10

2-11

2-12

2-13

2-14

2-15

SCENA DICIANNOVESIMA
Il Convitato di Pietra e detti

LA STATUA
Don Giovanni, a cenar teco
M'invitasti e son venuto!

DON GIOVANNI
Non l'avrei giammai creduto;
Ma farò quel che potrò.
Leporello, un altra cena
Fa che subito si porti!

LEPORELLO
facendo capolino di sotto alla tavola
Ah padron! Siam tutti morti.

DON GIOVANNI
tirandolo fuori
Vanne dico!

LA STATUA
a Leporello che è in atto di parlare
Ferma un po'!
Non si pasce di cibo mortale
chi si pasce di cibo celeste;
Altra cure più gravi di queste,
Altra brama quaggiù mi guidò!
LEPORELLO
(La terzana d'avere mi sembra
E le membra fermar più non so.)

DON GIOVANNI
Parla dunque! Che chiedi! Che vuoi?

LA STATUA
Parlo; ascolta! Più tempo non ho!

DON GIOVANNI
Parla, parla, ascoltando ti sto.

LA STATUA
Tu m'invitasti a cena,
Il tuo dover or sai.
Rispondimi: verrai
tu a cenar meco?

LEPORELLO
da lontano, sempre tremando
Oibò;
tempo non ha, scusate.

DON GIOVANNI
A torto di viltate
Tacciato mai sarò.

LA STATUA
Risolvi!

DON GIOVANNI
Ho già risolto!

LA STATUA
Verrai?

LEPORELLO
a Don Giovanni
Dite di no!

DON GIOVANNI
Ho fermo il cuore in petto:
Non ho timor: verrò!

LA STATUA
Dammi la mano in pegno!

DON GIOVANNI
porgendogli la mano
Eccola! Ohimé!

LA STATUA
Cos'hai?

DON GIOVANNI
Che gelo è questo mai?

LA STATUA
Pentiti, cangia vita
È l'ultimo momento!

DON GIOVANNI
vuol scoigliersi, ma invano
No, no, ch'io non mi pento,
Vanne lontan da me!

LA STATUA
Pentiti, scellerato!

DON GIOVANNI
No, vecchio infatuato!

LA STATUA
Pentiti!

DON GIOVANNI
No!

LA STATUA
Sì!

DON GIOVANNI
No!

LA STATUA
Ah! tempo più non v'è!

Fuoco da diverse parti, il Commendatore sparisce, e s'apre una voragine.

DON GIOVANNI
Da qual tremore insolito
Sento assalir gli spiriti!
Dond'escono quei vortici
Di foco pien d'orror?

CORO DI DIAVOLI
di sotterra, con voci cupe
Tutto a tue colpe è poco!
Vieni, c'è un mal peggior!

DON GIOVANNI
Chi l'anima mi lacera?
Chi m'agita le viscere?
Che strazio, ohimé, che smania!
Che inferno, che terror!

LEPORELLO
(Che ceffo disperato!
Che gesti da dannato!
Che gridi, che lamenti!
Come mi fa terror!)

Cresce il fuoco, compariscono diverse furie, s'impossessano di Don Giovanni e seco lui sprofondano.





第19場
石像の客 前場の人物

彫像
ドン・ジョヴァンニ 一緒の晩餐に
招待してくれたゆえ わしは参ったぞ!

ドン・ジョヴァンニ
こんなことは考えても見なかったぞ
だが私はできる限りのことをしよう
レポレッロ、別の夕食を
すぐに運んで来い!

レポレッロ
<テーブルの下から覗いて>
ああ旦那!あっしら二人ともおしまいだ

ドン・ジョヴァンニ
<引きずり出して>
行けと言っておろうが!

彫像
<話そうとするレポレッロに>
しばし待て!
もはや必要ないのだ 人間の食べ物は
天上の食べ物を食しておる者にはな
もっと重要な用件かある
別の望みでわしはここに来たのだ

レポレッロ
(あっしは熱があるみてえだ
体が思うように動かねえ)

ドン・ジョヴァンニ
ならば話せ!何の用事だ!何が望みだ?

彫像
話してやろう 聞け!時間がないのだ!

ドン・ジョヴァンニ
話せ 話せ 聞いてやろう

彫像
そなたはわしを夕食に招いた
そなたのすべきことは 分かっておろう
答えよ 望むのか
そなたはわしと一緒の夕食に来ることを?

レポレッロ
<離れたところでずっと震えながら>
無理っす
時間がないんで すんません

ドン・ジョヴァンニ
誤って臆病者だと
私は非難されたことはないぞ

彫像
決めよ!

ドン・ジョヴァンニ
もう決めているぞ!

彫像
では 来るか?

レポレッロ
<ドン·ジョヴァンニに>
嫌だとおっしゃいませ!

ドン・ジョヴァンニ
この胸のうちの心は定まっているぞ
恐れはせぬ 行こう!

彫像
では誓いにその手を差し出せ!

ドン・ジョヴァンニ
<彼の手を差し出して>
ここだ!ああっ!

彫像
どうかしたのか?

ドン・ジョヴァンニ
何という冷たさだ これは?

彫像
悔い改めよ!生き方を変えよ
最後の時だぞ!

ドン・ジョヴァンニ
<振りほどこうとするが できない>
いや、いや、私は悔いはせぬ
去れ 私から!

彫像
悔い改めよ 極悪人!

ドン・ジョヴァンニ
嫌だ 惚けた老いぼれめ

彫像
悔い改めよ!

ドン・ジョヴァンニ
嫌だ!

彫像
さあ!

ドン・ジョヴァンニ
嫌だ!

彫像
ああ!もう時間がないぞ!

<さまざまな部分から炎が吹きだす 騎士長 が消え 割れ目が開く>

ドン・ジョヴァンニ
何と奇怪な震えだ
亡霊どもが襲ってくるのを感じるぞ
どこからあの渦は湧いてくるのだ
恐怖の責め苦の炎の?

悪魔の合唱
<地下から陰鬱な声で>
このすべてでも貴様の罪には足りぬ!
さあ来い 地獄の責め苦があるぞ!

ドン・ジョヴァンニ
何が私の魂を引き裂くのだ?
何がこのはらわたをえぐるのだ?
何という苦痛だ ああ 何という狂気だ!
何という地獄だ 何という恐怖だ!

レポレッロ
(何ちゅう恐ろしい光景だ!
呪われた男の何ちゅうジェスチャーじゃ!
何て叫びだ 何て嘆きだ!
何てあっしを怯えさせるんだ!)

<炎は成長し 激しく暴れながらドン・ジョヴァンニを捕えて 彼と一緒に崩れ落ちる>





scena ultima 02:59:00〜

SCENA ULTIMA
Leporello, Donna Elvira, Donn'Anna, Zerlina, Don Ottavio, Masetto, con ministri di giustizia.

DONNA ELVIRA, ZERLINA, DON OTTAVIO e MASETTO

Ah, dov'è il perfido?
Dov'è l'indegno?
Tutto il mio sdegno
Sfogar io vo'!

DONNA ANNA
Solo mirandolo
Stretto in catene
Alle mie pene
Calma darò.

LEPORELLO
Più non sperate
Di ritrovarlo,
Più non cercate.
Lontano andò.

TUTTI
Cos'è? Favella! Via presto, sbrigati!

LEPORELLO
Venne un colosso… Ma se non posso…
Tra fumo e fuoco… Badate un poco…
L'uomo di sasso… Fermate il passo… Giusto là sotto… Diede il gran botto… Giusto là il diavolo - Sel trangugiò.

TUTTI
Stelle, che sento!

LEPORELLO
Vero è l'evento!

DONNA ELVIRA
Ah, certo è l'ombra
Che m'incontrò.

DONNA ANNA, ZERLINA, DON OTTAVIO e MASETTO
Ah, certo è l'ombra
Che l'incontrò.

DON OTTAVIO
Or che tutti, o mio tesoro,
Vendicati siam dal cielo,
Porgi, porgi a me un ristoro,
Non mi far languire ancor.

DONNA ANNA
Lascia, o caro, un anno ancora
Allo sfogo del mio cor.

DON OTTAVIO
Al desio di chi m'adora
Ceder deve un fido amor.

DONNA ANNA
Al desio di chi t'adora
Ceder deve un fido amor.

DONNA ELVIRA
Io men vado in un ritiro
A finir la vita mia!

ZERLINA
Noi, Masetto, a casa andiamo!
A cenar in compagnia!

MASETTO
Noi, Zerlina, a casa andiamo!
A cenar in compagnia!

LEPORELLO
Ed io vado all'osteria
A trovar padron miglior.

ZERLINA, MASETTO e LEPORELLO
Resti dunque quel birbon
Con Proserpina e Pluton.
E noi tutti, o buona gente,
Ripetiam allegramente
L'antichissima canzon:

TUTTI
Questo è il fin di chi fa mal;
E de' perfidi la morte
Alla vita è sempre ugual.

(libretto: L. da Ponte)

最終場
レポレッロ、ドンナ・エルヴィーラ、ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ、マゼット 司法官を伴っている

ドンナ・エルヴィーラ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ とマゼット

ああ どこなのだ あの悪人は?
どこなの あの卑劣な男は?
すっかりこの怒りに
私は駆り立てられている!

ドンナ・アンナ
あの男を見つけたなら
鎖に縛り付けましょう
私の苦しみも
それで静められるでしょう

レポレッロ
もはや願っても叶いませんぜ
殿を見つけることは
これ以上探しても無駄です
遠くに行っちまったんですから

全員
何だって?話せ!早く言え すぐに!

レポレッロ
やってきたのは巨人でね…あっしはどうもできなくて…
煙と炎の中…ちょっとお聞き下さいよ…
石の男が…歩みを止めて…ちょうどあそこに…大きな音がして…悪魔どもの上に - 殿は飲み込まれたんです


全員
まさか そんなことが!

レポレッロ
ほんとの出来事ですよ!

ドンナ・エルヴィーラ
ああ 本当です 亡霊がいたのは
私は出遭いました

ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ とマゼット
ああ 本当なのか 亡霊がいたのは
彼女が出遭ったのなら

ドン・オッターヴィオ
今こそすべてを 私の宝よ
天が復讐して下さったのです
与えて 与えて下さい 私に慰めを
私をもうこれ以上苦しめないでください

ドンナ・アンナ
待って下さい 愛しい人 あと一年
私の心が静まるまで

ドン・オッターヴィオ
私を愛して下さる人の願いに
真の愛は譲るのです

ドンナ・アンナ
あなたを愛して差し上げる者の願いに
真の愛は譲るのです

ドンナ・エルヴィーラ
私は修道院に入って
そこで人生を終えましょう!

ツェルリーナ
あたしたちは マゼット 家に帰りましょ!
一緒に食事しに!

マゼット
おらたちは ツェルリーナ 家に帰るだよ!
一緒に食事しに!

レポレッロ
じゃああっしは宿屋にでも行くとするか
もっとましな主人を探しに

ツェルリーナ、マゼットとレポレッロ
それでは留めて置きましょう あの悪人は
プロセルピーナやプルートンと一緒に
そしてわれら皆 善人は
繰り返しましょう 陽気に
昔の歌を

全員
これぞ悪事をなす者の最期
そして不誠実な者の死は
その生と似つかわしいものになる

(台本:L.ダ·ポンテ)






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★ モリエールの『ドン・ジュアン(Dom Juan ou le Festin de pierre )』

「モ リエールはこのころ、私生活においては極めて波乱に満ちた生活を送っていた。1662年に結婚した妻・アルマンド・ベジャールとの夫婦関係はうまくいか ず、数年前から抱えていた胸部の疾患が悪化しており、健康状態も良くなかった。そこへ来て『タルチュフ』は上演を禁止され、その解禁を取り付けるための画 策に労力を費やさなければならない。そのうえ6月の公演で無料入場者を拒否したために、パレ・ロワイヤル入り口では流血騒ぎが起こり、多額の見舞金を支払 わされる羽目になった。9月には親友が、10月には南フランス修業時代から苦楽を共にしてきた団員のデュ・パルク(マルキーズの夫)が、11月10日には 息子のルイが1歳にもならずにこの世を去った。[77]。/ こうして肉体的にも精神的にも激しいダメージを負ったモリエールは、積極的に劇場で上演を行うよりも、王弟殿下や貴族の私邸で『タルチュフ』を含む自らの これまでの作品を上演にかけることが多くなった。劇場では11月に『エリード姫』の市民向け公演がパレ・ロワイヤルで始まり、ある程度は成功をおさめた が、その成功もいつまでも続くとは思えなかった[77]。/ だがモリエールは、こうして足踏みしているわけにもいかなかった。ライバルたちとの競争に敗けるわけにはいかないし、すでに彼は多くの座員を抱える劇団の 座長であり、その生活を保証しなければならない重い責任を抱えていたからである。こうして追い詰められたモリエールは、手っ取り早く成功を収めるためにド ン・ジュアン伝説に目を付けた。ちょうどパリで流行していたし、おあつらえ向きなことに喜劇的な題材でもある。そして何より、自分を苦しめるキリスト教狂 信者たちへの恨みを晴らし、奴らへの激烈な批判をも容易く盛り込める話の筋ではないか。これ以上ない題材を見つけたモリエールは、一気呵成に作品を書き上 げた。こうして完成したのが『ドン・ジュアン』である。短期間のうちに書き上げられ たために、当時戯曲を書く際に守るべき規則(アレクサンドラン、三一致の法則)などを悉く踏みにじっており、形式的な完成度は決して高くない[78]。/ 「ドン・ジュアン (戯曲)」 も参照/ 『ドン・ジュアン』は1665年2月15日に上演が開始された。モリエールの目論み通りに滑り出しから興行成績は絶好調であったが、やはり狂信者たちは 黙っていなかった。彼らの批判が早速始まったので、モリエールもこの批判内容の一部を汲んで、作品の場面を一部削除するなどして再び上演にかけたが、批判 は止むどころかますます強くなっていった。そのため、観客の反応が良いにも関わらず、わずか15回で上演を取りやめなければならなかった。一時的な上演自 粛であればまだよかったものの、この作品はこれ以後、モリエールの生存中には2度と上演・出版されなかった。その内容があまりに過激であったため、 1682年に初めてモリエール全集が世に出た時もこの作品は大幅な削除が加えられた形で収録された。徹底して忌避され続けたため、誰の手も加えられていな い、モリエールが書いたままの『ドン・ジュアン』は散逸しかけたが、再び1841年に舞台にかけられた。実に200年近くの眠りから覚めての舞台復帰で あった[79][80]」

★ 『ラ・ プラヴィタ・カスティガタ(罰せられた放蕩者)』https://en.wikipedia.org/wiki/La_pravit%C3%A0_castigata

『ラ・ プラヴィタ・カスティガタ』(La pravità castigata)は、アントニオ・デンツィオによるイタリア語の台本と複数の作曲家による音楽で構成された1730年のパスティーシュである。ドン・ ファン伝説を題材にした18世紀最初のオペラであり[1]、17世紀初頭に作られたドン・ファン伝説の原型に由来する設定や登場人物の名前の少なくとも一 部を残した最初のオペラでもある。 [La pravità castigata』は、1730年の四旬節にプラハの フランツ・アントン・フォン・シュポルクのオペラ劇場で上演された後、1734年にブルノで エウスタキオ・バンビーニの新しい音楽とともに再演された。ブルノでの上演は何十年もの間、オリジナルの上演と見なされており、出版されたリブレットの書 き写し(プラハでの上演から2つの場面が欠落している)では、ブルノで初演された匿名のテキストであると誤って記載されている[3]。

作曲と上演の歴史

La pravità castigata』の起源は、スポルク劇場の興行主であるアントニオ・デンツィオが、その事業の魅力が低下していく中で、自分の作品の観客を集めようと 奮闘していたことにある。彼が1724年にプラハで始めたプロダクションは、5年ほどは大きな関心を集めていたが、その後観客数が激減した。1735年、 デンツィオは借金のために牢獄に入れられ、劇場を閉鎖せざるを得なくなった[4]。デンツィオが、経営難に陥ったオペラ・カンパニーの収入を得るために思 いついたアイデアのひとつが、オペラのシーズンを四旬節まで延長することだった。デンツィオの最初の四旬節オペラは1729年に上演され、旧約聖書のサム ソン伝説に基づくオラトリオ「サンソーネ」であった。旧約聖書のサムソン伝説に基づくオラトリオ「サンソーネ」である。この作品では、非常に珍しいユダヤ 教の聖歌が朗読されたが、その起源はセファルディか アシュケナージか、リブレットに注意深く記されていた。二度目の四旬節オペラでは、デンツィオはもっと刺激的で斬新な題材を試みた。四旬節にプラハでオペ ラを上演するには、プラハの大司教フェルディナント・フォン・キュンブルク伯爵の許可が必要だった。その許可を得るために、デンジオは大司教に、ドン・ ファンが悔い改めることのない多くの罪のために壮絶な天罰を受ける様子を舞台上で描くことが、観客にとって有益な効果をもたらすことを説明した。大司教は 不賛成を示すことなく、すぐにオペラ上演を許可する必要な勅令を出した。

デンジオが『ドン・ファン』のために書いた台本は、当時としては珍しく、コミカルな場面とシリアスな場面が混在している。彼がこの作品を "arappresentazione morale"(道徳劇)と呼んだのは、おそらくこの時代のオペラとしては異例のことであろう。18世紀初頭の台本改革以降、オペラの台本にシリアスな場 面とコミカルな場面が混在することはなくなった。コミカルなアクションを盛り込むとすれば、シリアスなドラマの幕間に挿入されるコミカルな幕間に限られる のが普通だった。デンツィオの戯曲は、17世紀のヴェネチアのリブレットに典型的な、シリアスとコミックの混在を保っている。この特徴は、もちろん、題材 と、彼の明らかな文学的モデルであるジャチント・アンドレア・チコニーニの戯曲『Il convitato di pietra』に誘われている。1720年代から1730年代にかけて上演されたシリアスなアクションを伴うオペラのほとんどは、遠い過去(通常はヨー ロッパの暗黒時代より後ではない)を舞台としている。デンジオは『ドン・ファン』の時代設定を明確にはしていないが、文化的、政治的な言及は明らかに近世 を示している。登場人物は主にスペイン人だが、舞台はすべてナポリ王国に設定されており、ナポリ王国は何世紀もの間、スペイン王家の一員または同盟者に よって統治されていた。

このオペラの楽譜は残っていない。音楽は、他のオペラから借用したアリアの パスティッチョである。そのほとんどがアントニオ・カルダーラの作品からの引用であることは、デンツィオがリブレットの序文に記している。カルダーラは直 接名指しされておらず、むしろほのめかされているだけである。デンツィオが借用を隠したのは、カルダーラがウィーンの神聖ローマ皇帝シャルル6世の音楽団 体に所属していたため、カルダーラが自分の音楽を無断で使われたことに報復する立場にあった可能性がある(当時のプラハは、ボヘミア王の称号を持つシャル ル6世の権力下にあった)。現存するリブレットの写しに残されたテキストから、『ラ・プラヴィタ・カスティガータ』で使用されたカルダーラのアリアをいく つか特定することができた(他に少なくとも1つのアリアはアントニオ・ヴィヴァルディのオペラから借用されたようである)[5]。この演出で使用されたレ チタティーヴォは、デンツィオ社に所属していたマイナーな作曲家マッテオ・ルキーニが作曲した可能性が高く、この演出では実際にドン・ジョヴァンニ役で歌 手としても出演している。世界一の誘惑者にカストラート歌手を起用したデンツィオの皮肉な決定に対する反応は記録されていない。

ナポリという馴染みのない舞台にもかかわらず、デンツィオのドラマには、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』でおなじみの事件や人物が数多く登場 する。中心人物の誘惑者ドン・ジョヴァンニも、愛する娘の名誉を守ろうとしてドン・ジョヴァンニを怒らせた老軍人(コンメンダトーレ)を殺害した罪で地獄 に引きずり落とされる。デンツィオは、ティルソやチコニーニの『ドン・ファン』劇に由来する登場人物の他に、娘の無能な婚約者やドン・ジョヴァンニの臆病 な召使いも登場させた。結婚を約束して下級階級の女性を誘惑し、恋人に化けて上流階級の女性の前に現れるという、ドン・ジョヴァンニのお決まりの手法が丁 寧に尊重されている。

デンツィオの非常に革新的なオペラ演出の受容については、ほとんど何も知られていない。現存するリブレットのコピーのひとつには、このオペラに対する軽い 好意的な反応が記録されているが、初演から4年後にブルノで新しい音楽とともにリブレットが再演されたことが、このオペラの成功を測る最良の指標であ る。。

https://en.wikipedia.org/wiki/La_pravit%C3%A0_castigata

★ ド ン・ジョバンニは罰せられるべきか?——オペラ『ドン・ジョバンニ』の登場人物たちはそう思っていることを表現する最後のシーン

W. A. モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ (フルトヴェングラー, 1954年)【全曲・日本語字幕】02:50:01〜

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