Can the evolutionary determinants
of altruistic behavior be adapted to the "gerontocide"?
「……報復的な正義が倫理上よしとされる理由の一 部は、調停者の自己利益のためである。しかし、それ以上に、復讐において厳密に平等であることは、しば しば、復讐者自身に最大の利益をもたらすようだ。やられたことと同じことをやり返すことの冷めた満足感は、すなわち、結局のところ、社会的交換に特化した 進化アルゴリズムを反映している。そう考える理由は、潜在的には競争者であるような個人の間に協力が生まれるかどうかという問題を論じた、最近のロバー ト・アクセルロッドとW ・D・ハミルトンの理論的研究にある」(デイリーとウィルソン 1999:372-373)。
「自然淘汰によって作られた社会における「利他行動の問題」は、ハミルトン(1964)の「包括適応度」の理論によっておおかたは解決された。 これは、 行為者の表現型や繁殖の見通しに対して負の影響をもたらすような行動傾向も、それが血縁者に向けられたものであるならば、進化しうるという理論である。し かし、血縁者でなくても、血縁者どうしほどの固い結束ではなく、もろいものではあっても、協力することはできる。自己利益のために相手を裏切る機会がある にもかかわらず、そのような協力行動は、どうやって進化できるのだろうか? この問題の本質は、「囚人のジレンマ」と呼ばれるゲームによく表されている」 (デイリーとウィルソン 1999:373)。
「適応度(fitness)をある個体の子孫だけで
なくその親族、あるいは同じ対立遺伝子を持つ可能性のある他個体にまで広げたものを包括適応度と言う。
社会性行動の進化を扱うさいには包括適応度を用いなければならない。この場合は通常、子にも包括適応度における血縁度の計算が適用される(有性生殖では子
の遺伝的価値は親の半分であり、親子の進化的対立の原因である)。包括適応度は遺伝的適応度の概念の一つであり、包括適応度を個体の数で計算すると混乱の
原因となる。包括適応度の上昇はある社会行動の効果に対して用いられる。例えば自分が親族を助けたことでその親族が多くの子を残した場合、自分の「利他行
動に関する対立遺伝子」の包括適応度が上昇する。全く別の地域に移住し相互作用できなくなった親族が子を産んでも自分の包括適応度が上昇したことにはなら
ない。/適応度の概念を提唱し、数学的なモデルとして構築したのは集団遺伝学者ロナルド・フィッシャー、J・B・S・ホールデン、シューアル・ライトらで
あった。W.D.ハミルトンはこれを拡張して包括適応度を提唱した。さらに後年、G.プライスの共分散則を取り入れて、包括適応度を親族以外にも適用でき
る概念へと拡張した」。――ウィキペディア(日本語)「適応度」http://bit.ly/1nFMRvM
人が人を殺すとき : 進化でその謎をとく / マーティン・デイリー, マーゴ・ウィルソン著 ; 長谷川眞理子, 長谷川寿一訳,東京
: 新思索社 , 1999( Homicide / Martin Daly, Margo Wilson,New York :A. de
Gruyter , c1988. - (Foundations of human behavior))
【設問】
1.
2.
◎George R. Price
ジョージ・プライス(George R.
Price、1922年10月6日 -
1975年1月6日[1])は、アメリカ合衆国の集団遺伝学者。当初は物理化学者として教育を受け、科学ジャーナリストに転向し、1967年にロンドンに
移住するとユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのゴルトン遺伝学教室で理論生物学の研究を行った。彼は進化生物学に三つの大きな貢献をした。一つはプライ
スの公式によってビル・ハミルトンの血縁選択と包括適応度を血縁者以外にも適用できる、より一般的な概念へと拡張した。二つ目は進化的に安定な戦略のオリ
ジナルの概念を生み出したことである。これは後にジョン・メイナード=スミスによってさらに洗練されることになる。第三に、ロナルド・フィッシャーの自然
選択の基本定理を定式化したことである。プライスは厳格な無神論からキリスト教徒に転向し、貧しい人々に財産を分け与えたあと、自殺した。 プライスは1922年に生まれた。父は電気技術者であったがプライスが4歳の時に死去した。母親はかつてオペラ歌手をしており、家族は大恐慌の中、苦労を した。ニューヨークの公立学校で学んだ後、1943年にシカゴ大学で化学の学士号を取得し、1946年に同大学から化学の博士号を取得。この間マンハッタ ン計画に参加している。1947年にジュリア・マディガンと結婚した。しかし彼は強い無神論者で、妻はローマ・カトリックを実践していたので、夫婦の仲は 良好ではなかった。二人は1955年に離婚した。二人の間にはアンナマリアとキャサリンの二人の娘がいる。 1946年から1948年の間ハーバード大学の化学の講師を務め、アルゴンヌ国立研究所の研究員であった。その後、ミネソタ大学の医学研究員として働い た。そのほかに蛍光顕微鏡と肝灌流の研究も行っている。1955年と1956年に、サイエンス誌に超能力に関する二つの論文を書いている。 その後、科学ジャーナリストの道を歩む。プライスは中国、ソ連とアメリカの間の冷戦について『No Easy Way』と題した本を書こうとしたが、「私が書くよりも速く世界が変わっていく」と言って断念した。1961年から1967年にはIBMで画像データ処理 の仕事に携わった。1966年に甲状腺癌の治療を受けた。癌の切除には成功したが、手術のミスによって肩にマヒが残り、チロキシンに依存することになっ た。医療保険から多くの資金を得、新たな生活を始めるために1967年にロンドンに移住した。 |
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W.D.ハミルトンはプライスがいつ彼に連絡を取ったか思い出せなかっ
たが、プライスはハミルトンの1964年の血縁選択の論文を集団遺伝学や統計学の教育無しで読んだと回想した。プライスはダーウィンの自然選択説から導き
出される道徳的な結論があまりに残酷だと感じており、(ダーウィンの拡張である)ハミルトンの理論の誤りを見つけ出そうと試みた。そしてプライスの公式と
呼ばれる集団中の対立遺伝子の変動を引き起こす共分散方程式を提案した。
方程式の最初の部分は以前に李景均やその他の幾人かによって提案されていた。第二の要素によって方程式がマイオティックドライブ、伝統的な自然選択から包
括適応による拡張、群選択まで全てのレベルの選択に適用できる。 1970年6月6日にプライスは宗教的な体験をし熱心なキリスト教徒になった。彼は人生であまりに多くの偶然の一致があったと考えた。『復活祭の12日』 と題した長いエッセイを書いている。後に聖書の研究を離れ、そのかわりに北ロンドンの貧しい人たちを救済しようと試みた。 プライスはロナルド・フィッシャーの自然選択の基本定理を定式化し、そ のためにフィッシャーの定理は広く受け入れられるようになった。1972年にはハミルトンの打ち負かされない戦略から着想を得た動物の対立 に関するゲーム理論の論文をネイチャーに投稿した。査読者であったジョン・メイナード=スミスは要約して送り直すよう要求したがプライスは応えなかった。 彼はその頃ホームレスの救済に関わっており論文を書き直す意欲はなかった。メイナード=スミスは自ら新たな論文を書き、進化的に安定な戦略と名付けプライ スを共同執筆者とすることを認めさせた。メイナード=スミスにできたことは、序文で、この理論の大部分はジョージ・プライス博士の動物の対立に関する論文 に依っていると述べることだけだった。 |
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W.D.ハミルトンはプライスがいつ彼に連絡を取ったか思い出せなかっ
たが、プライスはハミルトンの1964年の血縁選択の論文を集団遺伝学や統計学の教育無しで読んだと回想した。プライスはダーウィンの自然選択説から導き
出される道徳的な結論があまりに残酷だと感じており、(ダーウィンの拡張である)ハミルトンの理論の誤りを見つけ出そうと試みた。そしてプライスの公式と
呼ばれる集団中の対立遺伝子の変動を引き起こす共分散方程式を提案した。方程式の最初の部分は以前に李景均やその他の幾人かによって提案されていた。第二
の要素によって方程式がマイオティックドライブ、伝統的な自然選択から包括適応による拡張、群選択まで全てのレベルの選択に適用できる。 1970年6月6日にプライスは宗教的な体験をし熱心なキリスト教徒になった。彼は人生であまりに多くの偶然の一致があったと考えた。『復活祭の12日』 と題した長いエッセイを書いている。後に聖書の研究を離れ、そのかわりに北ロンドンの貧しい人たちを救済しようと試みた。 プライスはロナルド・フィッシャーの自然選択の基本定理を定式化し、そのためにフィッシャーの定理は広く受け入れられるようになった。1972年にはハミ ルトンの打ち負かされない戦略から着想を得た動物の対立に関するゲーム理論の論文をネイチャーに投稿した。査読者であったジョン・メイナード=スミスは要 約して送り直すよう要求したがプライスは応えなかった。彼はその頃ホームレスの救済に関わっており論文を書き直す意欲はなかった。メイナード=スミスは自 ら新たな論文を書き、進化的に安定な戦略と名付けプライスを共同執筆者とすることを認めさせた。メイナード=スミスにできたことは、序文で、この理論の大 部分はジョージ・プライス博士の動物の対立に関する論文に依っていると述べることだけだった。 |
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Schwartz, J. (2000) Death of an
Altruist: Was the man who found the selfless gene too good for this
world?. Lingua Franca 10.5: 51-61 |
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ジョー
ジ・プライス (科学者) |
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https://en.wikipedia.org/wiki/George_R._Price |
リンク
文献
出典:「嬰児殺しと棄老に関する考察ノー
ト」
Mitzub'ixi Quq Chi'j
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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