かならずよんで ね!

ハンセン病と仏教

Hansen disease and Buddhism

池田光穂

★キリスト教世界がハンセン病者を差別し排除したことは、歴史的事実である。それに対してキ リストを含めて聖人たちが、ハンセン病を癒したり、治癒したりした挿話もまた多くある。この矛盾は、キリスト教世界がハンセン病者たちに対して過酷な差別 をしていることを前提に、それを乗り越える普遍的な慈愛の精神をキリスト教がおこなうのだという仮想現実つまり「理想や理念」を謳ったものであろうと思わ れる。このような事情は、仏教世界でも同様で、仏教者はハンセン病者を分け隔てなく平等に取り扱ったというものではなく、むしろ業(カルマ)として、それ を忌み嫌ったのであろう。キリスト教も仏教も、ハンセン病を癒したり救済するというのは、現実の世界で起こりえない「奇跡や奇特」を、我が宗教こそが起こ すのだという、儚いリップサービスに過ぎなかったのであろう。ここでは、既存の仏教や仏教徒がどのように、ハンセン病とつきあってきたのかを、インター ネットから拾うことで考えてみたい。左のカラムは、ネットからのほぼ無批判な引用であり、右側はそのコメンタリーである。

その背景には仏教思想が関与している。法華経には、これを受持するものを軽笑したり、謗ったならば、「この人は現世に白癩の病を得ん」と記されている。

  愛媛県西予市三瓶町にある「姫塚」に祀られているハンセン病を患った姫が、死ぬまで石に法華経を写経していたという伝承は、このことに由来している。

    『娘巡礼記』の中にも、若い女性である高群が遍路に出ようとしているのを見て、「よか所の娘でも、病気ばかりは仕方がない。前世の罰だろう」と言ったり、 18歳の時に村を追われて遍路をしている娘に対して、「業病も因縁だろかいのう」と人が言う場面がある。

  ハンセン病は、前世の悪業の報いだと考えられていた。そして奇跡か、せめて来世での救いを求めて四国遍路をする患者に施しをすることは、仏教の功徳とされ た。そのため街道筋の人々は彼らを受け入れたのである。(もっとも明治になると、いわゆる「乞食遍路」と呼ばれたこれらの人々の追放が行われるようにな る。高知県で、彼らの追放を強く述べた論客は『東洋大日本国国憲按』の自由党員植木枝盛であった。)

   中世社会では「触穢思想」や「仏教的業病観」の高まりから、『癩者』(ハンセン病患者)はもっとも穢れた存在として、共同体からは排除された。

   その「仏罰の極致」と見なされたハンセン病患者に、救いの道を示したのが鎌倉仏教であり、代表者の一人が一遍である。『一遍上人絵伝』には、彼を慕って一 緒に旅をする患者たちが描かれている。(しかし彼らは、他の信者とは別に、自分たちだけで輪になって食事をしている。ここからもハンセン病患者が、中世社 会の最下層であったことがうかがえる。)

   一遍は、ハンセン病患者もまた時衆(信徒)と見なし、布教の対象にしていた。そのため、一遍の没後、彼に殉じ、入水往生を遂げた患者もいた。

   ハンセン病患者に手を差し伸べたのは、新仏教の側ばかりではない。最も有名なのは、叡尊と忍性の師弟であろう。
  忍性は叡尊を師として出家、亡母の13回忌に当たり癩宿17カ所から1000人を集めて食事を施し、慈善救済活動に入っていった。彼らを救うことが文殊菩薩を供養することになるというのが師叡尊の教えであったらしく、忍性は奈良に北山十八間戸を創設する。

 そして患者たちの生活を成り立たせるため、歩けなくなった重症のハンセン病患者を背負って毎日早朝に町へ出、物乞いをさせて夕方再び背負って戻ったという逸話は有名である。
 関東に下向した後は、鎌倉極楽寺などを拠点に布教を続け、貧窮民への施物や療病所・浴室の開設、架橋などの社会事業に大きな業績を残した。

出典:
http://nozawanote.g1.xrea.com/03episode/episode41.html

仏教とハンセン病差別

これまで、過去に僧侶が一般に説いてきた法話の中には、ハンセン病を現世で最も重く治し難い病、「業病」と呼び、前世の悪業の報いによって病にかかったと 述べたものがありました。また、恣意的に「正当化」する論理説明をしてきた経典などもあります。その表現は様々ありますが、それらの要点をまとめれば、患 者の方々に「過去世に悪業をしたあなたが悪いのだから、現状を甘んじて受け入れなさい」といい、その他の人々に「癩病にかかりたくなければ悪いことをして はいけない。信心せよ」と話していたのです。

曹洞宗では、こういった言説を「悪しき業論」と位置づけ、再び繰り返すことのないよう学習を続けて来ました。しかし、業論そのものは仏教の前提であり、そ の理解は難解でもあります。詳しくは『曹洞宗報』2020年1、3、5月号 人権フォーラム「『業』」の教えと人権思想」にあります。

……[以下の]人権フォーラムでは、ハンセン病を恐ろしい業病とし、恐怖を植え付けてきた仏教の誤った解釈・理解と宗門の取り組みを見ていきます。

ここまでの出典:https://www.sotozen-net.or.jp/column/20201111_1.html

道元禅師・瑩山禅師の両祖が生きた時代には、ハンセン(癩)病は、現代のように医科学が発達していなかったために病気・病因が解明できず、仏教の業論(詳 細は本誌人権フォーラム2020年1、3、5月号参照)や因果論が俗説と融合し、「業病」という観念が生み出されたのです。

いわゆる「業病」は、前世の悪業によって不治の病・難病になったりするもので、前世の業という実際の病気と無関係の事柄にもとづいて、恣意的に説明される ものです。この原因不明の不治の病・難病=業病という形がさらに差別思想として進行した事例が仏教経典にも説かれています。

 

諸の病の中、癩病最も重し。宿命の罪の因縁の故に治し難し。(「大智度論」巻59)

 

人となり癩を病むは、三寶を破壊する中より来る。…… (『善悪因果経』)

 

悪病業病煩うは、三寶やぶりし大罪よ。……  (『因果和讃』)

 

そして、近世、江戸中期以降に寺請制度によって宗教統制がなされると、仏教各宗は民衆教化に進みはじめます。そこでは難解な仏教教理や思想を用いず、『善 悪因果経』や『因果和讃』によって、易しく解りやすく、同時に差別的な仏教本来の教えから離れた「悪しき業論」を展開していったのです。


『洞上室内切紙参話研究並秘録』及び関係書籍
特に 『善悪因果経』や『因果和讃』はハンセン病のことを三宝を破壊する極悪人の末路として捉えています。転じて民衆にとってハンセン病とは「現世」の良い行い次第では、その「難から逃れられる」ものとされていました。

 

このように、ハンセン病の原因や治療法が分からなかった時代に「ハンセン病になったのは、過去の悪しき行為の報いに対する罰」と意味付けし、ハンセン病は 「業病」や天の裁きによってかかる、「天刑病」などとよび、仏教における説教の場面において「業罰」の恐怖とハンセン(癩)病に対する差別意識を世に行き 渡らせていきました。

曹洞宗において「差別図書」として回収本となっている『洞上室内切紙参話研究並秘録』とうじょうしつないきりがみさんわけんきゅうならびにひろくに収録さ れた「非人癩病狂死者ひにんらいびょうきょうししゃ引導法並符いんどうほうならびにふ」という切紙の中に、「其ノ屍しかばねヲ導師ノ風上ニ置クベカラズ」 とあり、その遺体を「穢れたもの」として見ています。これは、部落差別をはじめハンセン病患者や障害者差別を助長するもので、「癩病」や「不具者」には 「一般」と異なった葬送儀礼をせよと指示し、自分とは異なるものに対する恐怖と不安、差別意識を定着させたのです。

この切紙は、ハンセン病患者等の葬(とむら)いで「汝元来不生不滅、無父無母無兄弟、此土身去再不来、輪廻顚倒直断絶」と書かれた呪符を用いるもので、こ の世の一切の者と縁を絶ち、二度と生まれてきてはならない、輪廻さえも許さずと、極めて差別的な絶滅・断絶思想を伝承したものでした。

また、1953(昭和28)年に曹洞宗の僧侶が著した『家庭訓』という本にも極めて差別的な箇所があります。

さらに厳重に血統をまもらなければならぬうえからは、精神病、癩病、悪質の伝染病等に注意し、不純な血を警戒し防止せねばならぬ」

ここでは「血統」を重んじ、不純な血を警戒防止しなさいと、世俗化した教説で「業病」とされたハンセン病をはじめ精神疾患等を排除するという考えが記されています。

「不治の病」「恐ろしい伝染病」であるという意識を人々に植え付けた背景には、仏教の間違った解釈・理解があり、「らい予防法」をめぐる歴史に大きな影響を与えました。

https://www.sotozen-net.or.jp/column/20201203_1.html

曹 洞宗では、仏教の間違った解釈・理解があったことを深く受け止め、元患者の方々の人権を侵害し、差別や偏見を助長してきたこれまでの重大な過ちに真摯に向 き合い、2001(平成13)年6月の第86回通常宗議会において「ハンセン病患者及び元患者とその家族及び親族に対する謝罪と人権回復のための啓発活動 に尽力することの決議」を採択し、宗門を挙げてこの問題に取り組むことにいたしました。

ハンセン病の正しい理解と、過去の歴史から仏教とハンセン病の関わりについて学び、後世に教訓として歴史を残し、再び同じ過ちを繰り返さないためにも、自 らの差別解消の誓いとして心に刻み、地域社会に広めていくことや、現存する「ハンセン病差別」をなくしていく行動として、全国の国立療養所13ヵ所を公式 に訪ね、謝罪と追悼のために物故者の追善法要を修行させていただき(2001年8月~2004年3月)、研修などを通じてハンセン病差別解消につながるよ う取り組みを行ってきました。

現在でも、東海管区の宗侶を中心とした曹洞宗駿河親睦会の活動や、熊本県管内宗務所による継続的な支援など、療養所入所者との交流が各地で重ねられています。


東海管区内宗務所僧侶による読経
1996(平成8)年にようやく「らい予防法」が廃止され、違憲国家賠償請求訴訟が提起されました。また、2001(平成13)年熊本地裁で原告勝訴の判 決が下され、国は早期に全面解決する必要があると判断し、原告の主張を受け入れ控訴をせず、「ハンセン病補償法」が制定施行されました。さらに2009年 には、今後のハンセン病政策の指針となる「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が施行され、療養所の周辺住民とも広く交流が図られています。

しかし、かつてハンセン病患者であった方たちは「人間回復」を基軸に提訴された裁判を勝ち取ったにもかかわらず、名誉の回復は未だ不十分であるのが現状です。いったい何がそのようにさせているのでしょうか。

90余年という長きにわたる「らい予防法」をはじめ、ハンセン病患者の方々を排除し、曹洞宗を含む仏教教団が社会に恐怖をかき立てるような間違った教えを 広め、差別に加担してきたことがあります。それらは至心に懺悔しなくてはなりません。僧侶が「救済」を説いてきた背景には、前世の悪業の罰を認めるという 前提があったからです。

人権擁護推進本部 記
  • 「曹洞宗人権擁護推進本部紀要第二號」曹洞宗人権擁護推進本部
  • 『リーフレット 知ろう考えよう ハンセン病に対する差別や偏見をなくすために』
  • 人権フォーラム『曹洞宗報』2016年9月号
出典:https://www.sotozen-net.or.jp/column/20201203_1.html

仏教とハンセン病:「得白癩病」の漢訳をめぐって、奥田正叡(pdf)——日蓮宗ポータルサイト

ハンセン病患者との共感・共生、近藤祐昭・岡山良美(pdf)——四天王寺学園












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