草原文明研究所の設置構想
Tentative Plan for the Institute of Mongolian Plateau
■みんなで草原文明研究所を作ろう!(→「草原文明研究所と国連の持続可能な開発目標」初出は「私のモンゴル三昧」です)
ここからは地域研究としてのモンゴル研究について考えます。モンゴルに関心を持った研究者が同一地域の観察に基づき、ちょうどこの前の時間の講義のようなものがより専門化 するといわゆる地域研究的アプローチという形になります。それこそ桜美林大学の今日、私もバトルという形で参加させていただいている民族文化DAYになる のではないかと考えます。
今回省略させていただきますがハンドアウトにある
ように、文化人類学や生態学の先達に今西錦司先生という方がいらっしゃいました。この方は1902年生まれ、90歳ですでに亡くなっています。二十世紀を
生きた
偉大な探検家であり文化人類学者、あるいは自然人類学者でありました(『遊牧論そのほか』平凡社、1995年)。この人は1944年、太平洋戦争と呼ばれ
る戦争が終わる直前ですね、長くモンゴルでフィールドワークを行
い、草原学という学問を構想しようとしました。学問というものは皆バラバラになっている。
社会科学も経済のことは経済学者。畜産のことは畜産学者。風俗についてはエスノロジーといった民族学者、現在でいうところの文化人類学者。こういったのを
皆バラバラにして生活現象を一括して研究するというような学問が無いんだとおっしゃっています。ではどうすればいいのかということで今西錦司先生は「関係
性」を見るんだと。その関係性のキー概念になるのが「エコロジー=生態学」であると。(僕の後にお話しされる片山先生がヴァンダナ・シヴァ
というユニーク
な先生、民主的で地球に優しい環境)経済学、開発学、生活学的発想で関係性を明らかにしようということを、極めて原始的萌芽的ではありますが、今西錦司さ
んもまたおっしゃっています(Shiva, Vandana. 2005, Earth Democracy: Justice
sustainability, and peace. Cambridge, Mass: South End
Press)。この今西さんの発想を非常に抽象化してスピリット
を吸い上げるとすると学びたい、知りたいという欲望が皆さん一人一人の夢に向かって行動を
起こすのではないかと考えます。今西さんも同じようなことを言っていて、1944年にモンゴルの草原のどこかに立派な草原学のような総合的な学問を研究す
る「草原研究所」を作ってみたいという風におっしゃっていました。その夢は実はですね、京都大学における人類学教室という形で戦後結実するわけです。
今西
先生の経験、そして現在我々や桜美林大学の学生が経験から何がまとめることができるかといいますと、モンゴルから何かを学びたいという欲望が一人一人の心
の夢であると。その中でもしかしたら何か新しい学問が生まれるかもしれない。そのように思います。ご清聴ありがとうございました」
■ 今西錦司(Kinji Imanishi, 1902-1992)という人
1902 京都で生まれる(以下の情報は「今西錦司」「歴史の中の今西錦司webpage」などによる)
1920 京都府立第一中学校卒業
1925 第三高等学校卒業
1928 京都帝国大学農学部農林生物学科卒業
1929 劔澤の萬年雪に就いて(出版地不明)
1933 京都帝国大学理学部講師嘱託
1936 京都帝国大学理学部講師(無給)
1938
8月京都帝国大学内蒙古学術調査隊。隊長は木原均。
1939
On the altitudinal regions of the northern Japanese Alps / by Kinji Imanishi, Biogeographical Society of Japan , 1939
6月 - 興亜民族生活科学研究所(→戸田正三)研究員(→「歴史の中の今西錦司webpage」)
12月「日本渓流産蜉蝣目」により京都帝国大学理学博士
1940 山岳省察, 弘文堂 , 1940
1941
生物の世界, 弘文堂書房 , 1941 . - (教養文庫 ; 88)
- ポナペ島探検
1941-1942 国防科学研究所
1942 5月-7月 - 北部大興安嶺探検(国防科学研究所主宰、石原莞爾所長1941-1942)
1943
民族学研究所嘱託。「民族研究所は、1943年1月に勅令第20号「民族研究所官制」により文部省管轄の研究機関として設立され、その所長には京 都帝国大学教授の高田保馬(1883-1972)が就任した」出典)
山岳研究講座 / 日本山岳會關西支部編, 朋文堂 , 1943
1944
ポナペ島 : 生態學的研究 / 今西錦司編著, 彰考書院 , 1944
(蒙古善隣協会)西北研究所所長(-1945., 張家口;石田英一郎副所長)
1947 草原行 / 今西錦司著, 府中書院 , 1947
1948
遊牧論そのほか / 今西錦司著, 秋田屋 , 1948
京都大学理学部講師(有給)
1949
常緑廣葉樹林 / 今西錦司 [著], 日本林業技術協會 , 1949 . - (林業解説シリーズ ; 19)
生物社会の論理 / 今西錦司著, 毎日新聞社 , 1949 . - (毎日選書)
1950
山と探檢 / 今西錦司著, 岡書院 , 1950
原始時代の生活 : 太古の人類と文化 / [京都大学] 自然史学会編, 群芳園 , 1950
生物の集團と環境 / 民主主義科學者協會理論生物學研究會編, 岩波書店 , 1950 . - (科學文獻抄 ; 23)
京都大学人文科学研究所講師
1951
いわなとやまめ / 今西錦司著, 日本林業技術協会 , 1951 . - (林業解説シリーズ ; 35)
人間以前の社會 / 今西錦司著, 岩波書店 , 1951 . - (岩波新書 ; 青-71)
1952
村と人間 / 今西錦司著, 新評論社 , 1952
人間 / 今西錦司編, 毎日新聞社 , 1952 . - (毎日ライブラリー)
大興安嶺探検 : 1942年探検隊報告 / 今西錦司編, 毎日新聞社 , 1952
+
■まず、みんなの心のなかに草原文明研究所を つくるのだ!
「まずどのようにやるべきなのでしょうかというのを(学生が)先生に聞くっていうのが全然ダメな発想ですよね(笑)。なぜなら最後にオレは一人一人、自分
が持つ夢はなんだろうってのを明確化すること。その夢を実現させるために自分たち一人一人が、草原文明研究所やあるいはモンゴル研究所を持たなくてはならない
ということなんですよ。
俺は俺で、片山先生は片山先生でもそれぞれあると思います。片山先生が言われたのはいわゆる資本主義は豊かさを追求してると言ってるけども、片山先生の考
える豊かさは資本主義が有している貨幣だとか、富の多さといっただけではない、もっと豊かな沃野が広がるものだと。生命や命がもつ本来の《豊かさ》である
とか、命の内実であるとか。あるいは人間が生まれ変わって別の人生に転生していったときに、お金を溜めて幸せになって家族をたくさん作って、というような
ものが本当の人間にとっての幸せではない。自然に還っていく、つまり永遠の命のようなものを持つ。そういうような豊かさを持つ。つまり我々が持ってる善悪
だとか道徳みたいなものを突破しているということを言ってるように思うわけですよね。
だからそういうのは(幸せを享受するみなさん)一人一人考がえればいいっていうのが私の結論なのですが……そういうことを言うととり付く島が無いし、私自
身がそういうことを言ったとしてもじゃわ、KSさんの夢はKSさんの夢、オレの夢はオレの夢、ということになるとみんながバラバラですよね。バラバラに
なっ
てるんだけども、そこにつけこむのがまさに資本主義ですよね——
俺とお前は違うんだ、違うためには、いろいろなものを消費したり身に付けたりして差異化し
なくちゃならならないと考える「強制的な思考習慣」制度を押し付ける。バラバラなものにブリッジするのがいわゆる貨幣であるとか、あるいは商品の魅力です
よね。
要するにユニクロでもなんでもいいんですがそうし た共通の通貨、貨幣、あるいはシンボル。そういうものをどんどん我々の前に提示してこれを所有するのが我々にとっての幸せだと共通化させていく。このよう な中で重要なのはやはりメディアの力ですよね。私も片山先生もどちらかというと、みなさんがモンゴルの世界よりも家の中でインターネットをして 『Youtubeは楽しい!』としているところへ無理やり首に縄を付けてモンゴルへ突撃! ということをするためには、まさに私とKSさんの間にあるそれ ぞれの夢を追いかけていくうちにどこかの部分で『俺の夢も聴け!』と越境していくかもしれないし、そうしていかないと駄目だと思います。これがひょっとし たらバトルの意味じゃないかなと思うんですね。要するにバトルっ ていうのはただ単に違う意見がガチンコするのがバトルではなくて『俺とお前の夢。どこか共 通点でどこが相違点なんだろう』とか、あるいは二人共通している部分があれば力を合わせて『我々の夢』という第三項の夢が出来るわけですからそのためには 何をしようかというそういう発想が出てくるんじゃないかという風に思います」
学生とモンゴルの犬(→「狗類学ギャラリー」)
■同盟軍は強いゾッ!
「今日は知のバトルということで、実は学生たちの企画案としては私と片山先生がガチンコをして学者同士が面白い話で盛り上がったら、学生たちも知的刺激を
受けておもしろがるんじゃねえか、みたいな作戦だったようなんですけれども、実は片山先生と私の間ではお互いに共通するトークン(=共通のコイン)、共通
する項目があって、それはどちらかというと同盟軍というものだったんですね。結局、モンゴルは知識を吸収するためだけの対象ではなくてモンゴルに行ってモ
ンゴルの経験、異文化経験、あるいは異社会経験、異次元経験。そういう経験を通して自分が変わっていくというところだとおもうんですよね。だから最終的に
は自分が変わるっていうことは、ほかの人——つまり学生が替わる——も変わりうるということなんだと思うんですよ。
だから、どちらかというと学生さんたちの方は我々から何かを得るという、あるいは、異分野の人があるテーマをめぐってガチで議論してそっから何かを得
るっていうのはどちらかというと観察者の眼っていうかな、だとおもうんですよね。あるいは実験する人の眼。つまり、ある原子とある原子をぶつけて、どうな
るのかな、みたいな。加速器があってそこの窓から覗いて、あるいは写真を撮ってというような学者の眼だと思うんですよ。自分の視点とか自分のあれっていう
のは不動で、変わんないわけですよね。世界がこういうふうに変わって、それをウォッチするみたいな。ところが、片山先生とか、私はどちらかというと片山先
生のモンゴル経験というのは私なんかと比べるともっとドラスティックで、わたしの発表というのは、どちらかというとまだ学生たちと共通して、観察して、な
んかすごい心打たれる経験というか、そういうものがあって、そういう経験の一端をお話しよう、で、その、今西錦司というそういうひとの話を見ると紐解く
と、今から半世紀以上前にそういう経験をした方がいたと。だから、今西さんの追体験とか体験とか今西さんが語ってることっていうのが、いまだ実現されてい
ないとしたら、同じことをやっている。だから、今西先生の経験を通して、我々は更に、今西さんの夢をうけついで、さらにもう一歩進めなきゃいけないという
ことで。まあ、昔だったらどこか文科省からお金をとってきてとか、桜美林大学の学長を動かしてそれで金をとってきてなんか研究所をつくると
か、教育プログ
ラムを作るとかそういうことだけれどももはやそういう段階ではなくてひとりひとりの生き方の問題なんだみたいな。あるいは、一人ひとりの生き方、見方が変
わんないと世の中変わんないんじゃないかみたいな。いろいろ外側から圧力を加えて、革命だとかそういうもの、みんなを教育して、お前ら間違ってる、資本家
に騙されてる!
■熱く桜美林大学の学生を(知的に)煽動する
そういう発想じゃなくて、いや、騙されてるのは俺だったんだ、みたいな。そういう、目からウロコの経験を通して生き方を変えてみる、っていう段 階に来て るんじゃないかなあって思うんですね。で、そう言う意味から言うと、じゃあ、これは多分片山先生も僕も、皆さんもそうかもしれませんけれども、僕の経験 を、今度は葛西くんにガチで話して、これからじゃあ、桜美林の学生どうやってかえていくんだ! みたいな。そのときやっぱり、新聞作ってとか、イベントやってとか、いやアントロポロギっていうのをつくってみんなに配りましょうとか、でも、そんなの読 むか? とか、webページ作ってみんな見るか? とか。いや、妄想やない、みんなモンゴル人の格好してキャンパスの中歩いてあいつらなんや?! みたいな。もう俺たちバーチャルモンゴル人! みたいなね。もう日本人を(在日外国人の人はその国籍人を)やめよう! みたいな。そういうなんかこう、もう日本人やめてもいいと思うんですよ。日本人やめてもういっかい(自分のなりたい、)日本原人に生まれ変わる、新しい日 本人に生まれ変わったらいいと思うんですよ。モンゴル人の中にエイリアンみたいに入って、モンゴル人の栄養吸収して、モンゴル人の腹の中からキキッーーと こうでてくるようなエイリアンになればいいと思うんですよね(会場は爆笑の渦)。まあ、いいすぎですけどなんかやっぱりひとりひとりの生き 方を変えるには どうしたらいいか考えないといけない。たぶんそういうことをひょっとしたらなんだろう、香港の、21歳の学生運動のリーダーの女の子だとか、台湾の反原発 運動、とうとうあれですよね、与党の党首が辞任しましたよね、ああいう学生たち、国会とかそういうところにのりこんでああいう連中が何をやっているか、単 に、政治的に過激になるということじゃなくて、あいつらがなんかやっていることっていうのは、なんか目が違うし、言ってることが、なんか、俺たちが教えて いる日本の学生となんでこんなに違うんだろうみたいな。そういうふうになれという意味じゃなくて、なんでこいつらがこんなことを言っているんだろうみたい なことを考えることを通して、自分たちにも何か出来ることはあるだろうか、みたいな。べつにそれは政治のアリーナでなくてもいいと思うんだよね。趣味の現 場でもいいし、あるいはクリエイションでもいいし、なにか変わったことをやってみる、なにか生まれ変わってみる。そういうことが重要なんじゃないかなと僕 は思います」
■私のモンゴル三昧、あるいは新モンゴル学の提唱について(2013-2014年)→「草原研究所と国連の持続可能な開発目標」
さあ、僕のモンゴル経験について語ろう!——(詳細 クレ ジットはこのページの最後にあります!)
■俺の蒙古狂い!
私の話は私の蒙古狂いということで、メキシコや中央アメリカのグアテマラというところでフィールドワークをしておりますので、自分の調査言語であるスペ イン語で「Mi Locura Romantica Academica Mongoliana」というタイトルをつけさせて頂きました。私のモンゴル体験というのは昨年、2013年の8月の環境研修旅行と、モンゴル教育大学創 立二十周年記念、まあ、桜美林大学と深い関係があるところの記念シンポジウムへの参加で、奥野先生、バイカル先生、副学長の足立先生と三人で参加させてい ただきました。10日、2週間前後の参加でした。今年は2014年の8月の末から9月にかけて、モンゴル環境会議、モンゴル環境研修旅行ということで、文 化人類学の学生とともに、桜美林大学の学生、教員非常に同行多数で、私のモンゴル経験というのは大阪大学とは違った異文化経験というか、私はどちらかとい うと大学院生の授業を主に授業しておりますので、そういう桜美林大学という異なった経験ということです。
■広いぞ蒙古!
私にとってモンゴルというのは、風景が広大で豊かで、非常にインパクトのある空間というのが最初のイメージです。これはヤギですけれども、放牧されてい たりですとか、ゲルというものが見えたりですとか、非常に広大な ところで2、3時間バスに揺られ、寝て起きてもまた同じ風景だということで、全然動いてな いじゃないか!とそういう感じです。
モンゴルに行った人たちはご存知かもしれませんが、
ガソリンとか、ディーゼル、軽油とかを売ってるんですね。このポリタンクは大変大きなポリタンクです。ガソリンスタンドとかはありませんのでこのようにポ
リタンクをドカンと置いて売ってると。安全基準から考えると危険極まりないですけれどもね。途上国、特に奥野先生とレンタカーで四輪駆動を借りまして、
ニューギニアへ行きましたけれども、やはり同じように山の中の村々で同じようにポリタンクがありまして、20ℓ、何ℓという感じのポリタンクが置いてあり
ます。これは、ものすごく広大な風景の中にポリタンクがあるんですけれども。
それからハイウェイですね。近代化、こういうルートから人とか文化がやって来ると同時に、モンゴルの若者たちがウランバートルあるいは中国の北京を経由し
て世界に飛び立っていくそういう場でもあります。私にとってもこれが近代化のシンボルでもあるわけです。
■さらりとしたエキゾチズム!
これはバイカル先生とオボーというか、ハラホリン(カラコルム)に行ったときの写真が左の写真で、仏塔とかが見えますね。
それからゲルの中で歓迎会があるということで、家の造りなどは伝統的な移動式家屋ですが、現代風のたくさんのひとが一堂に会することができる、非常に立派
な伝統文化の精髄というような風景であります。手前には、中国製の魔法瓶のようなものが見えますね。
■羊を解体!と動物の風景!
こちらのスライドは羊の解体の光景なのですが、(先ほどSさんが屠畜と乳製品の利用について御発表されてましたように、)血を一滴も流さない見事な解体
をするわけなんですね。そのようなシーンをここで見て、上手に血をとって、皮をとって、解体のプロセスが進んでいきます。30分で物の見事に何もなくなる
という、そういう風景であります。
五畜、つまりラクダ、牛、馬、ヤギ、羊という五つの獣と共に、モンゴルの文化、遊牧文化はあるわけです。これは、ハラホリンの、チベット仏教の寺院の中に
あった壁画のようなものなのです。野生動物や犬も見えますけれども、動物の表情が非常に豊かに描かれています。これはシンボルというよりも、非常に写実的
なものですね。この動物の目をみると非常に生き生きとして、(発
表にもありましたが)モンゴルの人たちが自分たちの身の回りにある、人との関係、人と動物
との関係というものが、このような図像の中にもよく現れていると思います。
■研究者マフィア!
これは、今年の8月に北京(ペキン)についたばかりの調子がいいところの写真です。少々強面な、非常に楽しい同行三人組でありました。嬉しそうでしょう? 研究にいく、学生を引率するというよりも、俺たちは楽しむんだという雰囲気でいいんじゃないかと思います。
■正藍旗の自治政府庁舎はすごい!
これは中国内蒙古なんですけれども、正藍旗というところに長い時間をかけて、(Sさんの話にも発表ありましたけれども、)行った時に泊まったホテルの隣 に西南の自治政府の建物があったわけなのですが、非常に立派ですね。これは中国とモンゴルの人々との、政治的、あるいは自治政府との様々な関係。あるいは ここは世界遺産になったところですので、経済投資や、世界文化遺産という関係が見事に表象されています。非常に大自然豊かな空と、先ほどのポリタンクのガ ソリンとは好対照な近代的なものが見えます。四輪駆動の自動車というのももちろん見えます。
■ゲルというすばらしい住居!
我々はゲルに学生たちと宿泊したのですけれども、遊牧に伴って移動をするゲルを解体するところを見学させてもらうと同時に、我々自身も学生たちも一緒に解 体するところを手伝いました。そうすると、建物の構造がよく見えてくるわけです。なので、見て、泊まってだけでなく(実際の構造を)見ることによってこん なふうになってるんだ! とわかる。例えばいちばん天井の部分は丸く、取れるようになっている。さらに、一本、一本と木を組み合わせていてほとんど釘を 使っていないんですね。というわけで、このような貴重な体験をさせて頂きました。
■女性のライフコースに触れる感動!
こちらは、(Oさんの発表にもありましたが、)乳製品の搾乳をして、チーズを作っているところですけれども、チーズを作りながらいろんなことを話してく れるわけです。学生に対して何か質問はないかといってくれて、バイカル先生が通訳をしてくれるわけですけれども、その中では単にチーズのつくり方だけでは なく、女性としてどのような生き方をしてきただとか、お子さんはどのように育てたのだとか、そんな語りをしながら、寒いところですから火に当たりながら、 刻々と変化していく乳製品の甘酸っぱい香りを嗅ぎながら、そういう質問をしていきました。こういう風景をみると、未だに私はその当時の臨場感を思い出して 胸が熱くなるんですけれども、多分一緒にいた学生もそのおばさんの語りとか、喋り方とか、それから語ってくれた内容を断片的に覚えてらっしゃるかと思う し、ひょっとしたら(フィールドノート)とか、最近の学生はスマホでどんどんとテキストを作っていきますので、そういう時のデータがみなさん一人一人の記 憶の中に残っているのではないかと思います。
■政府高官から/に接待される!
先学期では、後ろの方に学生が桜美林モードで盛り上がっておりますけれども、手前はですね、日本で言うところの文部科学省、非常に高官の偉い方たちに招待 して頂いて、交流会をしたわけです。その時の写真です。非常に著名な詩人、作家の人たちが来てお酒飲みながらご自身で即興の詩をつくって語ってくれたんで す。あと、馬頭琴ですね、即興で歓迎の意を表してくれるんです。こういう文芸従来は我々の社会の様に、村上春樹に代表されるような出版物になったり、メ ディアで紹介されているということではなくて、芸術とか文化というものがその現場で沸き上がってくる瞬間というのをみることができる。こういう人たちが政 治や文化につくと、日本の文部科学省、有名大学や国立大学を卒業した、官僚と呼ばれるような人たちが、文化は社会はこんなものだと政治をつくるのとは全く 違うタイプでした。ご自身がクリエーターの人たちですからね、そういう違いみたいなものが出ると。それから、日本で教鞭を取ってらっしゃる バイカル先生 が、知的レベルで同じ知識人として、交流をしてモンゴルの文化が日本に伝わっていく。バイカル先生が、(モンゴルの)著名な作家さんの著作集をまとめられ たということもあるかと思いますが、やがてそういうものが日本語になって伝わっていく。こういう現象はトランスカルチャリゼーションと言いましょうか、ト ランスカルチャー化と言ったり、トランス文化化と言います。
■ふるい万里の長城の存在感!
これで写真は最後ですけれども古い万里の長城で私が自撮りした写真と、明時代の新しい万里の長城よりももっと古い万里の長城ですけれども、結局ここを境に
して漢民族と蒙古の人たちが民族的な境界のかたちである。この境界も現在では、どんどんと北へ移動してるんだという話を聞くことができて、国境というのは
みえないけれども文明とか、文化というものが人工的に、衛星からも(万里の長城が)見えるぐらいですから、こういうふうに見えるということです。
こんどは、モンゴルの基本的な知識、私は専門家ではないのでここで紹介するのは、教科書的な話となります。モンゴルという世界でも類まれなるユニークな文
化を持ってる社会見る眼というのがあります。アルカイックモデルと書きましたが、古くはウィット・フォーゲルという有名なマルクス主義の経済史学者が中国
の古代国家というのは水利政策にもとづく農業生産をコントロールすることによって、強大な権力を持ったと主張しました(『オリエンタル・デスポティズム』
新評論、1995年)。国家というのは、強力な生産手段を所有も
しくは、独占している、そこから権力が生まれるんだということです。そのモデルからみる
と、草原で生産性が無く、家畜は畑みたいなものですよね、生産性があるとしても畑みたいなものです。そういうものと中国のもの時代によっては中国そのも
の、全体を統治した、支配したという歴史があるんですね。これはもう世界史の謎みたいなもので、なぜこういう騎馬民族が、大きな権力を持ったのかという議
論があったりします。あるいは、もっとフィールドワークをして今度は我々の文化人類学だとか、生態学というような学問に近いんですけれども、遊牧パラダイ
ムというものがあって、生態とか環境が権力を文化をつくるんだというよう議論もある(ドゥルーズとガタリ『千のプラトー(下)』の第12章
「1227年
——遊牧論あるいは戦争機械」参照、河出文庫、2010年)。
それから、最近は持続可能型の社会の可能性として、遊牧とか遊牧文化のエネルギーフローというものを見る立場もあります。それから、直近の課題としては、
サスティナブル(持続可能)な地球環境問題をどう考えていくのかということで、今必死に経済学や、開発学の人たちが、近代国家がどのようにして、伝統的な
過去に逆戻りするのではなくて現代社会をリニューアルするにはどういうふうに社会やエコロジーを変えていこうかとかそういう動きがある。
■
《クレジットと註》
この講演の内容の完全版は、桜美林大学人類学研究会
(学生組織)編による定期刊行誌『アントロポロギ』第6号、Pp.1-31、2015年、に収載予定の「【民族文化DAY対談】リベラルアーツから「モン
ゴル」を語る」(片山博文・桜美林大学教授とのリレー講演と対談)から抜粋したものです。なお、対談そのものは、2012年12月4日に、桜美林大学で開
催された「民族文化DAY」イベント講演会でおこなわれました(参加者:学生・院生・教員・市民を加えて約60数名でした)。
Do not paste, but [re]think this message for all undergraduate students!!!