はじめによんでください

ラップ音楽・黒人アイデンティティ・身体経験

Rap music, Black identities, and thier bodies

池田光穂

☆ 1990年代中頃のアメリカ合衆国の黒人文化と身体感覚、そして黒人差別をその身体性への脅威と感じる時代における黒人アイデンティティの諸相を描いたタナハシ・コーツの文章から。

And I could no longer predict where I would find my heroes. Sometimes I would walk with friends down to U Street and hang out at the local clubs. This was the era of Bad Boy and Biggie, "One More Chance" and "Hypnotize." I almost never danced, as much as I wanted to. I was crippled by some childhood fear of my own body. But I would watch how black people moved, how in these clubs they danced as though their bodies could do anything, and their bodies seemed as free as Malcolm's voice. On the outside black people controlled nothing, least of all the fate of their bodies, which could be commandeered by the police; which could be erased by the guns, which were so profligate; which could be raped, beaten, jailed. But in the clubs, under the influence of two-for-one rum and Cokes, under the spell of low lights, in thrall of hip-hop music, I felt them to be in total control of every step, every nod, every pivot.(pp.61-62)
そして僕にはもう、自分のヒーローをどこで見つけられるかが予想できなかった。僕はときおり友 人たちとU ストリートをぶらつき、地元のクラブでたむろした。当時はバッド・ボーイ・レコードと そこからアルバムを出しているビギー(ノトーリアス•B.I.G.)の時代で、「ワン・モア・チャンス」や 「ヒプノタイズ」が流行っていた。僕はとても踊ってみたかったが、ほとんど踊ったことはなかった。 僕は子ども時代に自分自身の肉体にどこか恐れを感じたせいで、うまく肉体を動かせなかったのさ。 けれども黒人が肉体を動かす様子や、こうしたクラブでまるで自分の肉体でなんでもできるみたいに 踊る様子は、よく見ていたものだよ。それに彼らの肉体はマルコムの声のように自由に思えた。外面 では、黒人は何一つ支配しておらず、とりわけ自分たちの肉体の運命は支配していなかった。黒人の 肉体を警察は力ずくで奪うことができたのだからね。黒人の肉体は銃で殺すこともできたし、それも やり放題だった。黒人の肉体は、陵辱(レイプ)することも、殴打することも、刑務所に入れることもできた。 けれどもクラブでは、一杯買えば一杯分おまけがつくラム・コークのおかげか、薄暗い照明という魔 法のおかげか、ヒップホップ音楽に魅了されたおかげか、彼らはステップも、首を前に倒すことも、 片足旋回(ピポット)もひとつ残らず完璧に支配している、そう僕には感じられたんだよ(pp.74-75)。
世界と僕のあいだに / タナハシ・コーツ著 ; 池田年穂訳, 慶應義塾大学出版会 , 2017 Between the world and me, Ta-Nehisi Coates. Thorndike Press. 2016.

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