かならずよんで ね!

リップ・ヴァン・ウィンクルと入植者たちの啓蒙について

Rip van Winkle and the New Settler's Enlightment

池田信虎・池田光穂

別掲の絵画は、John Quidor (1801-1881)の作品になる「リップ・ヴァン・ウィンクルの帰還(The Return of Rip Van Wiknkle, 1849)」という作品である(米国国立芸術ギャラリー収蔵)。

リップ・ヴァン・ウィンクルは、同国のワシントン・ アーヴィングの同名の短編小説の主人公で、20年の眠りのうちにアメリカが独立し世間が変わっていたという架空のオランダ人移民のことである。

私はこの絵画の中に焦点化される2つの事柄に着目し ようと思う。それは、ひとつは、この絵の主人公ヴァン・ウィンクルであり、もうひとつは、右端にある合衆国旗である。

絵画の中央には老人が、20年の眠りを経験したリッ プ・ヴァン・ウィンクルの姿がある。私を含めたこの絵画を見た多くの人は彼に注目するのではないだろうか。その理由について二つ考えられる。ひとつは、 ウィンクルが中央に配置されていること、もうひとつはアメリカ合衆国国旗であり、ともに私には光によってハイライトされていると思う。当てられている。彼 に光が当てられていることだ。ではこの光とは何なのだろうか?

光とはenlightenment、つまり啓蒙の象 徴とも考えられる光である。この光は視覚的に主題であるウィンクルを際立たせると同時にアメリカ合衆国国旗にも降り注いでいる。彼が受ける啓蒙を意味して いるのではないか。

啓蒙の光は彼とアメリカ合衆国国旗に当てられてい る。そして彼を取り巻く大衆には光度はそれほど向けられていないのだ。なぜ勤勉ではなく20年も眠りこけていたウィンクルに光が当てられているのに対し て、アメリカという国を独立させた大衆に光が当たっていないのだろうか。それは、ウィンクルのように自然と共に行き自らを律して来なかった人にこそ、啓蒙 の光が当てられるべきだからではないだろうか。啓蒙の光は、未だ覚醒していない人にこそ振りそがれるべきであり、また、それは人民のみならず、国旗のよう なシンボル的事物にも当たっている。この絵画の作者が、啓蒙の普遍的な価値を賞賛しているように、私(信虎)は思えてならない

そしてもうひとりの私(光穂)は、この絵画の中に、 アメリカの啓蒙理性の形成において陰に陽にさまざまな影響を与えたアメリカ先住民の存在が見えない(=不可視)であることに、違和感をもつ。あるいは先住 民や黒人奴隷たちは、国旗と同じように、彼/彼女たちは完全に事物にされてしまってるのだろうか。今日まで続く、アメリカの啓蒙理性の限界が、垣間見える という点で、この絵画は私には興味深い。私は、今、ようやく、啓蒙理性の光に曝されたリップ・ヴァン・ウィンクルに強く同一化したい気持ちがあるが、この 驚愕の気持ちがいつまでも新鮮に保たれ、そして、郊外に広がるアメリカ先住民たちのコミュニティや、南部の奴隷労働のプランテーションの人たちにも、その 光によって導かれんことを望んでいる。

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Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2017

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