On Narrative Analysis of St. Yuki SAKAGAMI, b.1915.
テキスト(→英訳およびスペイン語[試訳])
■課題1)下記のテキストは、坂上ゆき(「ゆき女」)が、水俣病の有機水銀中毒による麻痺に耐えながら必死に石牟礼道子(Michiko ISHIMURE, 1927-2018)に伝えたメッセージ (語り)である。まず、これをグループで音読で輪読し、その意味を把握してみよう。なお、実際の語りは、文中で「(ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しょ の、な、か、お、おな、ご、に、なった、な、あ。)」と表現されるようなものを、石牟礼道子が整理したものと「推測」される。
うちは、こげん体になってしもうてか
ら、いっそうじいちゃん(夫のこと)がもぞか(いとしい)とばい。見舞にいただくもんなみんな、じいちゃんにやると。うちは口も震ゆるけん、こぼれて食べ
られんもん。そっでじいちゃんにあげると。じいちゃんに世話になるもね。うちゃ今のじいちゃんの後入れに嫁に来たとばい、天草から。 嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。残念か。うちはひとりじゃ前も合わせきらん。手も体も、いつもこげんふるいよるでっしょが。自分 の頭がいいつけんとに、ひとりでふるうとじゃもん。それでじいちゃんが、仕様ンなかおなごになったわいちゅうて、着物の前をあわせてくれらす。ぬしゃモモ 引き着とれちゅうてモモ引き着せて。そこでうちはいう。 (ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しょの、な、か、お、おな、ご、に、なった、な、あ。)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、 働いて食えといただいた体じゃもね。病むちゅうこたなかった。うちゃ、まえは手も足も、どこもかしこも、ぎんぎんしとったよ。 海の上はよかった。ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕いで働こうごたる。いまは、 うちやほんに情なか。月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね......。 うちは熊大の先生方に診てもろうとったとですよ。それで大学の先生に、うちの頭は奇病でシンケイどんのごてなってしもうて、もうわからん。せめて月のもん ば止めてはいよと頼んだこともありました。止めゃならんげなですね。月のもんを止めたらなお体に悪かちゅうて。うちゃ生理帯も自分で洗うこたできんように なってしもうたっですよ。ほんに恥ずかしか。 うちは前は達者かった。手も足もぎんぎんしとった。働き者じゃちゅうて、ほめられものでした。うちは寝とっても仕事のことぽっかり考ゆるとばい。 今はもう麦どきでしょうが。麦も播かんばならんが、こやしもする時期じゃがと気がもめてならん。もうすぐボラの時期じゃが、と。こんなベッドの上におって も、ぼろぼろ気がモメて頭にくるとばい。 うちが働かんば家内が立たんとじゃもね。うちゃだんだん自分の休が世の中から、離れてゆきよるような気がするとばい。握ることができん。自分の手でモノを しっかり握るちゅうことができん。うちゃじいちゃんの手どころか、大事なむすこば抱き寄せることがでけんごとなったばい。そらもう仕様もなかが、わが口を 養う茶碗も抱えられん、箸も握られんとよ。足も地[じだ]につけて歩きよる気のせん、宙に浮いとるごたる。心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよた る。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにやわかるみゃ。ただただじいちゃんが恋しゅうしてこの人ひとりが頼みの綱ばい。働こうごたるなあ自分の 手と足ばつこうて。 海の上はほんによかつた。じいちゃんが艫櫓[ともろ]ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。 いまごろはいつもイカ籠やタコ壷やら揚げに行きょった。ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい。四月から十月にかけ て、シシ島の沖は凪[なぎ]でなあ——。 石牟礼道子「五月」「第3章 ゆき女きき書」『苦海浄土』(講談社文庫版)Pp.127-129 |
■課題2)下記のナンバリングは、『旧約聖書』『新約聖書』の書記法を真似て、文章単位で分析用に振ったものである。下記のような点に着目しな がら、各センテンスを(時空間[クロノトポス]にも配慮しながら)分析しなさい。
1.彼女が自分の現在の境遇について語っていること
2.彼女が自分の配偶者との関係について語っていること
3.彼女が自分の「かつて」の生活体験や、自分たちをとりまく環境について語っていること。
(1)1.うちは、こげん体になってしも
うてから、いっそうじいちゃん(夫のこと)がもぞか(いとしい)とばい。2.見舞にいただくもんなみんな、じいちゃんにやると。3.うちは口も震ゆるけ
ん、こぼれて食べられんもん。4.そっでじいちゃんにあげると。5.じいちゃんに世話になるもね。6.うちゃ今のじいちゃんの後入れに嫁に来たとばい、天
草から。 (2)1.嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。2.残念か。3.うちはひとりじゃ前も合わせきらん。4.手も体も、いつもこげんふる いよるでっしょが。5.自分の頭がいいつけんとに、ひとりでふるうとじゃもん。6.それでじいちゃんが、仕様ンなかおなごになったわいちゅうて、着物の前 をあわせてくれらす。7.ぬしゃモモ引き着とれちゅうてモモ引き着せて。8.そこでうちはいう。 (3)1.(ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しょの、な、か、お、おな、ご、に、なった、な、あ。)2.うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるば い。3.親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。4.病むちゅうこたなかった。5.うちゃ、まえは手も足も、どこもかしこも、ぎんぎんしとったよ。 (4)1.海の上はよかった。2.ほんに海の上はよかった。3.うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕いで働こ うごたる。4.いまは、うちやほんに情なか。5.月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね......。 (5)1.うちは熊大の先生方に診てもろうとったとですよ。2.それで大学の先生に、うちの頭は奇病でシンケイどんのごてなってしもうて、もうわからん。 3.せめて月のもんば止めてはいよと頼んだこともありました。4.止めゃならんげなですね。5.月のもんを止めたらなお体に悪かちゅうて。6.うちゃ生理 帯も自分で洗うこたできんようになってしもうたっですよ。7.ほんに恥ずかしか。 (6)1.うちは前は達者かった。2.手も足もぎんぎんしとった。3.働き者じゃちゅうて、ほめられものでした。4.うちは寝とっても仕事のことぽっかり 考ゆるとばい。 (7)1.今はもう麦どきでしょうが。2.麦も播かんばならんが、こやしもする時期じゃがと気がもめてならん。3.もうすぐボラの時期じゃが、と。4.こ んなベッドの上におっても、ぼろぼろ気がモメて頭にくるとばい。 (8)1.うちが働かんば家内が立たんとじゃもね。2.うちゃだんだん自分の休が世の中から、離れてゆきよるような気がするとばい。3.握ることができ ん。4.自分の手でモノをしっかり握るちゅうことができん。5.うちゃじいちゃんの手どころか、大事なむすこば抱き寄せることがでけんごとなったばい。 6.そらもう仕様もなかが、わが口を養う茶碗も抱えられん、箸も握られんとよ。7.足も地[じだ]につけて歩きよる気のせん、宙に浮いとるごたる。心ぼそ か。8.世の中から一人引き離されてゆきよたる。9.うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにやわかるみゃ。10.ただただじいちゃんが恋しゅうし てこの人ひとりが頼みの綱ばい。11.働こうごたるなあ自分の手と足ばつこうて。 (9)1.海の上はほんによかつた。2.じいちゃんが艫櫓[ともろ]ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。 (10)1.いまごろはいつもイカ籠やタコ壷やら揚げに行きょった。2.ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい。3. 四月から十月にかけて、シシ島の沖は凪[なぎ]でなあ——。 |
■課題3)下記にアレナス、ティルオイゲンシュピーレルの物語、イリッチの警句をあげている。石牟礼道子ならびに坂上ゆきは、これらの警句の意 味とどのように交錯するのか、各人が解釈を展開しなさい。自分の素朴な思いではなく、課題2)で分析した、章句にも着目しながら考えてください。
「この世の弱きものが倒れるならば、破滅が傲慢な者を打ち据えるだろう」レイナルド・アレナス
「この世に不正があるかぎり、おまえたちは立ち上がって闘わねばならない。迫害されるものを守らねばならない」ティル・オイゲンシュピーゲルの 妻が息子たちに語ったことば
「犠牲をはらいながら世界の破滅に抵抗する人びとがいる。そういう人びとによって世界は支えられている。だが、彼(女)たちは、そのことを知ら
ない。しかし、そのような人たちが倒れる時、世界もまた崩壊するのだ」イヴァン・イリッチ
●アマゾン・ドット・コムにあった「土下信人」氏の米本浩二『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』のレビュー(改行省略)
著
者は、2014年から数年かけて石牟礼道子の評伝を書くために、石牟礼道子のもとへ何度も通った。新聞記者なので、評伝を書く前にも石牟礼道子にはあって
いた。2017年3月に出版。2018年、読売文学賞評論・伝記賞を受賞。そのひと月後2018年2月に石牟礼道子は90歳で亡くなる。石牟礼道子の生き
ている間に、聞き取り、資料を調べ本となった。石牟礼道子の才能を発見した渡辺京二は、50年以上石牟礼道子の作家活動を支援してきた。本書を読むと渡辺
京二が書くといいよと言ったようだ。石牟礼道子の作品は、たくさんある。本として40冊以上ある。
本書は、石牟礼道子、渡辺京二の両者が読んでいるということに、意味もある。ある意味では、オフィシャル評伝である。
1927(昭和2)年3月11日、現在の熊本県天草市で生まれた。私の父親が大正15年生まれなので、1歳年下なんだね。白石亀太郎と吉田ハルノの長女と
して生まれた。ハルノの父、吉田松太郎は石工の棟梁で、道路港湾建設業を営んでいた。白石亀太郎は、吉田松太郎の仕事を補佐し、帳簿付けをしていた。道子
は、名前は白石でなく、吉田姓を名乗る。生後3け月で水俣に移住する。小学校の入学が役所の連絡ミスで一年遅れ、弟と一緒に水俣の小学校に入学する。道子
8歳の時に、吉田松太郎の事業失敗で一家が没落し、自宅を差し押さえられる。小さな家に移転する。
この評伝では、8歳までの道子の生活が浮き彫りとなる。
石牟礼道子は「石」と縁が深いと書き始められる。教師石牟礼弘と結婚が決まった時に、「よかペンネームができた」と思ったという。石が牟礼(群れ)るとい
う呪術師的なイメージが好ましかった。
祖父の出身地天草・上島・下浦は石工発祥の地として知られている。吉田松太郎と菅原モカと結婚した。おばあちゃんは、おモカさまと呼ばれる。ハルノが10
歳頃におモカさまは精神的な異常が始まる。松太郎が妾を持ち、妾が子供を二人産んだことが遠因とも言われる。松太郎は、腕はよかったが贅沢好きで、生活は
乱脈だった。総勢60名ほど働いていたという。ハルノは早くから家事の中心となり家を担った。亀太郎は、謹直で緻密だったが、真面目にすぎ、融通が聞かな
い実務派。松太郎は芸術家肌で、性格は合わないが、必要とされ、ハルノと結婚した。
幼い道子が住んでいたのは栄町で、米屋、花屋、たどん屋、タバコ屋などがあり、小学校そしてそのさきに日本窒素があった。日本窒素が急速に拡大していく時
期だった。道子のいた家から先隣に、末広という女郎屋があった。天草から売られてきた10代の娘たちが日本髪などをゆっていた。その娘たちに道子は可愛が
られていた。幼い頃に、道子は可愛がられていた末広の娘が刺殺される事件にも遭遇する。道子は、気狂いのばばしゃまのおモカさまのお守りをやっていた。盲
目のおモカさまの膝に載せられて、おモカさまの「どまぐれマンジュにや泥かけろ、松太郎どんな地獄ばい、こっちも地獄、そっちも地獄」という呪文のような
歌を聞いていた。気狂いのおモカさま、女郎屋、そして女郎の殺人事件、松太郎はおモカさまを蹴っ飛ばす。そんな環境の中で道子は育つのだった。
道子は「わかりえない人間の存在、徹底的な孤独な少女」であり、おモカさまの異界が隣にあった。
道子は、最初から地獄を見て、反抗し、世の中に反抗していたが、生活は従順で、日記を書いていた。「人類というより生類という言葉で表現したい。海から上
がってきた生類が最初の姿をまだ保っている海。それが渚です。海の者が上がる時、ここが陸地だと思うでしょう。海と陸を行き来する。文明と非文明、生と死
まで行き来する。人間が最初に境界というものを意識した。その原点が渚です」。海と陸、天と陸。道子は、渚に立つことで、二つの世界を常に行き来すること
になる。
「渚につづくトントン村の家、幼い道生をおぶって行商した薩摩の山中、筑豊のサークル村、東京の座り込みの現場、どこにいても、私は渚に立っていた」
学校では、優秀な成績で、卒業する。そして、1943年に代用教員をやる。その中で、1945年7月31日水俣の空襲にも会う。逃げ惑う時に浅ましい人間
を見る。戦争が終わる。道子は戦争の持つ愚かさを強く心の中に沈めていく。道子は小説家になりたかったが、生活は生きるためにひきづられていく。「自分の
天邪鬼を持て余していた」元来「気が強か」であり、激情にもかられていた。実際生きていることが嫌でたまらなかった。戦後に苦境の人を見過ごせない「もだ
え神」が心の中に生まれる。それでも、教師の石牟礼弘と結婚するが、教師のルールに縛られている夫といかに生くべきかを悩み、夫に語ろうとしても拒絶され
る。夫という存在までも嫌になる。1946年1月4日に自殺未遂をする。4回目の自殺未遂は1947年7月。道子は新婚4ヶ月、20歳だった。結婚しても
癒されることはなかった。渚に立つことよりも、あの世に行きたかったのだ。しかし、道生が生まれるとやっと自分の安定を取り戻す。ただ、それでも道子の体
内にある「もだえ神」はむっくりと起き上がる。そして、水俣病に出会うことで、道子は、苦海浄土をつむぎ始める。子供と夫を捨てて、言葉を紡ぎ始め、行動
を起こす。自然と近代、人間の非人間的行為、人間でありながら言葉が話せない。水俣に対する国のなさ。水俣病という被害者でありながら、差別される。石牟
礼道子は、呪術師となって、語り始め、水俣病の先頭になって戦うのだ。訴訟することだけで勝つとは言えない。非条理に向き合い続けるのだ。石屋に生まれ
て、戦争が終わるまでに、道子は人間形成されて、彼岸の渚に立っていた。出典:https://amzn.to/3AxkWH9. |
リンク
文献
その他
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
Do not paste, but [Re]Think our message for all undergraduate students!!!