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スカースとバフチン

Skaz (or Scrath) in Russian Literature, and/or the context of Michael Bakhtin's polyphony and unfinalizability theory

池田光穂

藤田智子(online)によると、スカース (Skaz)とは、 ロシア文学理論において2つの意味をもつという。また、さらには、この2つの意味の両方を兼ね持つ形式も藤田は示唆している。

1.「語り手が過去あるいは同時代の実話を物語る (narrated story)と いう形式のフォークロアの」ジャンルのこと。

2.1830年代のゴーゴリに登場し、次に1920 年代に展開した「共通の手法、スタイル、思想をもつ、記述文学のなかの一群のテクスト」こと。

3.さらには、この2つのことを兼ね備えた、ある特 定の作者が、「語り手が過去あるいは同時代の実話を物語るという形式」を利用しながら、上掲の2のような「「共通の手法、スタイル、思想をもつ」テクスト をつくりだすこと。

つまりスカース(Skaz)には、以上の3つの意味 があることになる。 さらに藤田によると、ボリス・エイヘンバウム(Борис Михайлович Эйхенбаум, 1886-1959)が、スカースに関する論文(1918)を書き、さらに、それを11年後の『ドストエフスキーの創作の問題』においてミハイル・バフチ ンが批判するという歴史的構図がある(バフチン 2013:154)。

「1918年、エイヘンバウムは論文「スカースの幻 影」のなかで、<耳による>分析を芸術的散文の分野でも試みようと呼びかけ、スカースの問題を提起した。そして論文「レスコフと現代の散文」 (出版年不詳:引用者)において、スカースを「語彙、シンタタスにおいて、またイントネーションの選択において語り手の話し言葉志向を明らかにするような 散文叙述形式」であり、「原則的に書き言葉からはなれ、語り手を実在人物とでもいったような存在にする形式」であると定義した」(藤田 online)。

「生きた口頭の言葉というエイへンバウムのスカース 概念を、バフチンは1929年、「ドストエフスキイの創作の諸問題」のなかで批判し、「スカースとは大部分のケースにおいて何よりもまず他者の言葉への、 そしてまさにそこから、その結果として、ロ頭の言葉への志向なのであ るということを、彼はまったく考慮していない。<...>大部分のケース において、スカースが導入されるのはまさしく他者の声のためであると私には思われる。すなわち社会的に一定の、自らとともに一連の視点や評価——これこそ 作者がまさしく必要としているものなのであるが——をもたらすような声である。導入されるのは、そもそも語り手である。この語り手は文学的でない、大部分 のケースにおいて低い社会層、すなわち民衆(まさにこのことが作者にとって重要なのであるが)に属する人物であり、自らとともに話し言葉をもたらす。」と 述べた。ここでバフチンが提出したスカース概念の新しさは2つある。1つはスカースの言葉を他者の言葉を志向する言葉として小説言語全体のなかに位置づけ たことであり、もう1つはスカースの生産性が他者の声がもたらす社会的・イデオロギー的に特殊な世界観にあると指摘したことである。バフチンは、スカース とは、民衆(民衆は記述文学の伝統のうちにある作者から見て社会的に他者である)の他者の声がもたらす社会的・イデオロギー的に特殊な世界観を描写するた め、民衆の他者の声がもたらすロ頭の言葉を導入したテクストである、と考えていた」(藤田 online)。

当該箇所における、桑野隆・訳()は以下のとおりで ある。

「スカースの問題をはじめて提起したのは、わが国で はエイヘンバウムである。かれはスカースを、もっぱら口頭形式の語りへの定位、話しことばとそれに相 応した言語特性(口頭のイントネーション、話しことばの統語論的構 成、相応する語葉、その他)への定位とみなしているエイヘンバウムは、たいていの場合ス カースはまず第一に他者のことばへの定位にほかならず、その結果として話しことばへ の定位となっていることを、まったく考慮していない」 (p.154)。バフチン、ミハイル『ドストエフスキーの創作の問題』桑野隆訳、平凡社ライブラリー、平凡社、2013年

ここで出てくるレスコフとは、あのベンヤミンの「物 語作家」に出てくる、Nikolai Leskov, 1831-1895、つまり、ニコライ・レスコフその人である。

Nikolai Leskov, 1895-1931

聞き手の語り手に対する素朴な関係語られたことを覚えておこうという関心によって支配されている、 ということは、これまでほとんど顧みられることがなかった。無心な聞き手にとって重要な点は、話を再現する可能性を確保することだ。記憶(ゲデヒトニス)こそ、他の何ものにもまして叙事的な能力である。すべ てを包括する記憶によってのみ、叙事文学は、一方では事物の成り行きをわがものとし、他方ではそれら事物の消滅、すなわち死の暴力と和解することができる」—— ヴァルター・ベンヤミン「物語作家」1936年(Banjamin_NIkolai_Leskov1936.pdf

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