かならずよんで ね!

2つの自由の概念について

On Two Concepts of Liberty

池田光穂・池田信虎

自由は善いものだろうか? それとも悪いものだろう か? このような議論に陥るのは、二者択一の議論、つまり アレか、コレかという選択のジレンマに陥ることである。自由とは、絶対的なものではなく、アイザイア・バーリンの論文("Two Concepts of Liberty,"1958)で主張された、消極的自由と、積極的自由という区分を持ち込めば、このようなアレかコレか というジレンマからまさに「自由」になるはずだ。

消極的自由(negative liberty 消極的自由(negative liberty) とは、他者の権力に従わないという自由である。信条の自由とは、国家や共同体があるひとつの信条を信じろと強制する際に、僕たちが「個人が持つ信条は国家 に強制されず自由なはずだ」と主張する際の自由の概念である。
積極的自由(positive liberty 積極的自由(positive liberty) とは、個人が自己実現や能力を発揮するときに、まさに自分の思うままにその能力を発揮する時の自由である。後者の積極的自由には、積極的自由が発揮される ような「他者の権力」というものが想定されていない。

再掲

消極的自由(negative liberty) とは、他者の権力に従わないという自由である。信条の自由とは、国家や共同体があるひとつの信条を信じろと強制する際に、僕たちが「個人が持つ信条は国家 に強制されず自由なはずだ」と主張する際の自由の概念である。

他方、積極的自由(positive liberty) とは、個人が自己実現や能力を発揮するときに、まさに自分の思うままにその能力を発揮する時の自由である。後者の積極的自由には、積極的自由が発揮される ような「他者の権力」というものが想定されていない。

解説

バーリンは、西洋政治思想において、もっとも重要視 されてきたのは、積極的自由であるという。つまり、抑圧的権力(例えば、王権力や宗教権力など)からの自由を主張し、そこから自由(=消極的自由)が重要 なのではない。抑圧的権力から解放されて、民主主義革命を通して自らに対して自らを統治するようなった市民が直面する自由が重要だという。すなわち、自分 たちがなりたい自分になるための自由(=積極的自由)こそが、市民社会が直面した「自由」の問題の根本的課題だったという

社会への同調圧力の強い日本では、「自由気まま」と いう言葉が、何か否定的なニュアンスとして主張される。しかし、西洋とりわけ西欧では、自由の概念と権利には、とりわけ高い地位が与えられているのは、 バーリンの用語による、消極的自由から積極的自由への概念の鍛え上げという伝統に基づくものだからであろう。人間の普遍的権利として謳われる「自由の概 念」すら、歴史と来歴をもつということは、忘れられてはならない重要なポイントである。

バーリンの自由論はあまりにも真面目すぎて大学での 自由論の議論のように、地に足がついていない。むしろ、市井の人は、消極的自由を経 験しながら、人生における積極的自由の概念を獲得していくようだ。その ために、ルネ・クレールの映画『自由を我等に(À nous la liberté)』1931年のルイとエミールの2人の物語は、現代における自由の意味について考えさせてくれるだろう。

◎ルネ・クレールの映画『自由を我等に(À nous la liberté)』1931年のシノプシス

(1)ルイとエミールは刑務所の二人部屋に収 容され ている。昼間は、長い台に大勢の囚人が向きあって作業する。看守がエミールを叱る隙に、ルイは糸鋸をくすねる。それで部屋の窓格子を切って脱獄を計るが露 見し、エミールはルイだけを逃がしてやる
(2)エミールはルイだけを逃がしてやる
(3)刑務所の塀を乗り越えたルイに、自転車がぶつかってきて転んだ。 それを 拝借して全速力で逃げたところ、自転車競技のゴールに着き、チャンピオンになってしまった。ルイは露天商からレコード店の店員へと出世してゆく。
(4)一方、漸く出所したエミールはまず、鳥のさえずる野原に寝そべっ ていた ところ、遊んでいてはいかんとまた留置された。悲観して首を吊ろうとすると縄を結んだ窓格子が落ちた。留置場から逃亡し、求職の列に潜り込んだエミール。 就職先は蓄音機製造会社だった。長い台に大勢の工員が向きあって作業するが、今度はベルトコンベアが走る流れ作業である。エミールがミスして混乱し、監督 に追われて逃げ込んだ先は、宮殿風の建物だった。
(5)社長が大勢を引き連れ正面の階段を降りて来た。ルイだった。ルイ が社長 になっていた。エミールが近寄ると、強請られると勘違いしたルイは、別室にエミール を連れこみピストルを向けた。厚い札束も出したが、エミールはただ再会 を喜ぶだけ。ルイにも友情がよみがえった。抱き合った。
(6)エミールが近寄ると、強請られると勘違いしたルイは、別室にエミールを 連れこみピストルを向けた。厚い札束も出したが、エミールはただ再会を喜ぶだけ
(8)ルイ社長も吹き出し、晩餐会はおじゃんになり、奥方は怒って愛人と家出 してしまった
(7)オートメーション新工場の落成式を明日に控えた社長邸の晩餐会 に、エ ミールも招かれた。彼には着飾った淑女紳士のお上品ぶりごっこがおかしい。たまらず に吹き出すエミールにルイ社長も吹き出し、晩餐会はおじゃんになり、奥 方は怒って愛人と家出してしまった。
(9)脱獄犯ルイの前科が警察にばれてきた。ならず者たちから強請られ るよう にもなった。ルイ社長は有り金をトランクに詰め工場の屋根に隠し、落成式の演説を始めた。聴衆には張り込みの警官も混ざる。激しいつむじ風になり、ルイの トランクが落ちて札束が飛び出し、演説の広場は、風に舞う札の群れを追う人たちが右に走り左へ駆け戻る大騒ぎになった。その混乱に乗じてルイは逃亡する。



(10)翌朝、ルイとエミールは自由であった。ルンペン姿の二人は野原の直線道 路を歩き出す。高級車とすれ違った。思わず振り返ったルイの尻を、エミールが蹴る。ルイが蹴り返す。二人は蹴り合いながら遠ざかっていく (10)翌朝、ルイとエミールは自由であった。ルンペン姿の二人は野原の直線道 路を歩き出す。高級車とすれ違った。思わず振り返ったルイの尻を、エミールが蹴る。ルイが蹴り返す。二人は蹴り合いながら遠ざかっていく

◎[1931 Movie] 自由を我等に (A Nous La Liberte Rene Clair 1931)


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