かならずよんで ね!

人種主義を抜いた民族誌は可能か?

Is ethnography possible without racism?

池田光穂

★我々文化人類学者たちは、文化人類学がもはや形質人類学 (自然人類学)とは袂を分かったために、後者の学問がいまだに引きずる「人種論(racial theory)」あるいは人種主義(racism)からは自由だと思いがちだ。だが、アメリカの文化人類学の歴史をみて も、日 本文化人類学史を概観しても、「民族学とルーツと形質人類学のそれは共有していた」あるいは「民族学(文化人類学)と形質人類学は、キョウダイあ るいはツイン・サイエンスである」ことは、今や明々白々の事実である。

自然人類学や日本考古学が、先住民の遺骨や副葬品返還に応じる時期に来ており、また、その科学がもつ人種主義 に対する歴史的検証がはじまっているのに、日本の文化人類学者は、この〈自然人類学の苦境〉に対して、相変わらず知らぬ存ぜぬの姿勢がいることができるの か?これは、研究倫理以上の〈研究対象の人たちへのモラルコミットメント〉の問題あるいは歴史的反省であり、日本の文化人類学者もまた、この問題に真摯に 向き合い、歴史的反省をする時期に来ている。

そこで、ここでのレッスンは、このページのタイトルにあるように「人種主義の抜きの民族誌は可能か?」ということである。










































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