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ヘゲモニーと暴力の位相

 Hegemony and it's aspect of Violence

解説:池田光穂

ヘゲモニーとは、人々による合意にもとづ いた覇権や支配権のことをさす。この言葉の語源はギリシャ語のヘーゲスタイつまり、都市国家による別の 国家や農村の支配のことをさしていた。イタリアのマルクス主義思想家・運動家のアントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci, 1891-1937)は、強制や恐怖による権力支配とは異なり、人々の合意による権力掌握のことについて指摘し、それをヘゲモニーとして称した。

さて、グラムシによるヘゲモニー理論のこ とを理解するためには、彼の政治的信条と実践の原理であったマルクス主義(共産主義)と、当時の共産主 義の状況、さらにはイタリアのファシスト政権の樹立などのことを考慮すればわかりやすい。

マルクス『ゴータ綱領批判』(1875) では、革命の過渡期における「労働者階級=プロレタリアート」が権力を掌握し、政治支配を確立する統治 のアイディアが構想された。いわゆるプロレタリアート独裁についての考え方である。

この政治支配は、ロシア革命の政治権力の 確立のプロセスにおいてにおいてウラジミール・I・レーニン(1870-1924)により一種のドグマ 的正当化に成功した。ここで興味ふかいことは、レーニンはヘゲモニー(ギリシャ語的語源のとおり「政治的支配」)をプロレタリアート独裁と同義語として 使っていたということであり、この用語法はやがて使わなくなる。しかし1918年にはドイツのK.カウツキー(1854-1938)は、プロレタリアート 独裁は、ソビエトによる一党独裁にすぎないことを喝破して(=今からみれば当然の批判のことながら「革命の遂行」という使命感に燃えていたソビエトからみ れば裏切りと思われ、レーニンは口汚く批判した)、カウツキーは社会民主主義の立場を明確にした。

他方、グラムシは、イタリア社会党を経由 して、1921年にイタリア共産党の結成にかかわり、翌年から1年ほどモスクワに滞在し、その直後亡命 先でイタリア共産党書記長になる。ファシスト=ムッソリーニ政権下で下院議員に選出されると、議員は逮捕を免れるという特権を利用して帰国するが、最終的 にはその特権が剥奪されて1926年より禁固刑に処され、1937年まで収監される。

グラムシは、獄中での論文等の執筆が許さ れ、そのなかでサバルタンやヘゲモニーに関する論考の断片が記されることになる。グラムシによれば—— 自分の足元を掬ったファシスト政権の存在もあり——イタリアにおける政治支配の問題は、ロシアほど単純であるとは思われず、[共産主義者のみならず反共産 主義の勢力の]支配の形態は複雑であった。つまり、政治を通して支配関係を確立するということは、力ずくの暴力だけではなく(=この点はプロレタリアート 独裁における単純な暴力観からは離礁している)、文化、道徳さらには教育というプロセス、さらには市民社会の確立や民主主義という政治制度(=この点では レーニンよりもカウツキー的な社会民主主義的な政治権力掌握の概念に近い)が関係していると理解した。

ただし、グラムシのヘゲモニーに関する議 論は、むしろさまざまなノートの断片のなかに登場し、彼自身も(学位論文のように)一つのまとまった議 論としてまとめる(ブルジョア的?)という気持ちもなかったようで、グラムシのテキストのどこかに「グラムシのヘゲモニー論」があると期待すると失望する ことになる。また後のグラムシ研究者がヘゲモニー論として、その価値を取り出そうとする議論の多くは、贔屓の引き倒しのものが多いので、ノートから読者の 創造的解釈によってヘゲモニー論に新しい生命を与えるほうがより生産的であろう。

ヘゲモニーの理論では、主体性をもつ人々 が、なぜ意見を異にする勢力や権力に従属するのかということについて明らかにする。すなわち同意をもと に活動に参加していると感じている主体は、その活動がもつイデオロギーを実践を通して内面化し、全体の活動に「従属」するということが可能になるというこ とだ。これは、強制的な権力により従属していることでもなく、また処罰や恐怖によって主体性のある人をあることに従わせることでもない。

大衆動員が、参加者全員による合理的な理 解によって可能になっているのではなく、その動員を正当化するイデオロギーに対し て合意しているのだと いう共同体感のみによって従っているかも知れない。

政治的支配や統治について、文化、道徳お よび教育が深く関わるというアイディアは、のちにルイ・アルチュセール(Louis Althusser, 1918-1990)「国家と国家イデオロギー装置」の議論で興味深い展開を遂げる。

また、文化研究(カルチュラルスタディー ズ, Cultural Studies)において、スチュアート・ホール(Stuart Hall, 1932-)は、この研究領域における重要な鍵概念として、としてグラムシのヘゲモニーと、アルチュセールのイデオロギー論をあげている。

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権威と権力の合致こそがヘゲモニーの確立 を意味する(→ハンナ・アーレント 暴力論)。

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文献